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【帰ってきた・資本主義をチートする03】日本の経済をダメにしたのはダイエーなのか?

 日本人全体が貧しくなり、日本経済が恐怖のズンドコに落ちてしまったのは、ひとえに「生産性」という表向きの言葉が低いことによるが、その裏を返せば「売値が低い」という本質にぶち当たる。

 日本経済がしんどいのは「生産性が低いからだ」という言説は巷にはびこっているが、それはカッコつけた言い方であって、ごく単純に言えば、ビックマック一個を500円で売るか1000円で売るかという「売値」の違いに集約することができる。

 一人の労働者が一回分仕事をしたり、一つの企業が一回分商売をしたとき「生産性が高い」とは「コストに対して物が高く売れる」と言い換えて、基本的には差し支えない。

 専門家である経済学者たちは「いやいや、労働生産性とはそういうものではない」とイチャモンをつけるかもしれないが、無視して構わない。そこは売値の問題が解決すれば、まるっとごりっと丸め込まれてしまうぐらいのものだからである。

  さて、先月次のようなニュースが出て、経済界はどよめいた。

https://toyokeizai.net/articles/-/597452

 それは、現在のパナソニック、つまり松下電機が、「価格決定権をメーカーが取り戻す」という施策を始めたというものだ。

 このニュースの何がすごいかというと、ある商品の価格を販売店ではなく、メーカーが決めるスタイルに戻す、ということなのだが、つまり「コストを無視した安値販売や、原価割れ販売などを阻止する」という点で、近年では画期的な方針であろう。

 どの商品にも、生産コストや流通コストがあり、それは適正に「関係者全員」に還元されるべきであるが、現実には、さまざまなルートのおこぼれを通じて、「極端にコストを無視した価格販売」が起きていて、そのせいで「ありとあらゆるものは、安値の方向へ圧力がかかっている」とも言える。

 こうした商いは一見すると「善で正しいこと」と思えるかもしれない。消費者にとっては、「安値は正義」であり、「庶民の味方」と捉えられるからだ。

 ところが、日本経済の失われた20年、30年の間に、そうした「安値合戦」の原資のどこが削られているのかが、明らかになってきた。非正規社員であったり、ブラック労働であったり、感情労働であったり、元請けからの圧力などであったり、つまりは

「安値は、人間性の抑圧によって、実現されている」

ことが明らかになってきたのだ。これは、非常にマズイことであり、それくらいなら、「価格と利益を取り戻せ!」という松下の決断は、あながち間違っていないと言えよう。

 商品の価格決定権を取り戻す、という決意は、すなわち「ダイエーの否定」である。

 なんのこっちゃ?と若い人は知らないかもしれないが、ダイエーが「価格破壊」をひっさげて消費者市場で暴れ回った時、松下幸之助と中内功の間で繰り広げられた「ダイエー・松下戦争」というものがあった。

 松下は、値引き範囲を制限することで、「適正利潤」を守ろうとした。それに対して中内は、それを下回る「破壊価格」をつけることは自由だ!とぶち上げたのである。

 消費者のために「価格破壊は善である」
と、もし、まだ読者諸君が思っているのだとすれば、おそらく読者は愚かだ。

80年代ダイエー教に毒され、そのために、今の日本経済を落ち込ませているのは、その考え方かもしれない。

 証拠はある。ダイエーは破綻した。松下は生きのびている。

 もっといやらしいことを言えば、ダイエー式安値を継承している「イオン」ですら、スーパー事業は赤字である。あそこは、モールのテナント料(ショバ代)で儲けている会社であり、その意味では、リアル店舗楽天となんら変わりはない。安値そのものは儲かっていないのだから。


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 ダイエーが消費者のために安値で販売したことは、すべてがすべて誤りというわけではない。そこには条件があり、「市場が拡大している間は、安値で下をくぐっても、まだ市場が残っているから成立する」ということが隠れている。

 ただ、「市場が縮小しはじめると、安値合戦はただの消耗戦」になってしまう。その矛先は、製造会社や関係各社の労働者になり、低賃金労働に転嫁されてしまうのだ。

 だから、市場が縮小し始めた時は、一転して「高値に転じることが、善で正義」になるのだ。

 その意味では、松下の決断は正しいし、遅いくらいである。

 もうひとつ、中内がおそらく気づかなかったことがある。それは、
「消費者というのは、その字の通り、消費するものである」
ということだ。

 労働生産性という言葉が議論されるように、「ある行動、ある活動をしたときに付加価値をどれだけつけることができたか」が経済発展の中身だ。

 だとすれば「生産性」を有する存在に対して利益を供与すれば、その利益は「増える」可能性がある。ところが、「生産性」を有しない存在に利益を供与しても、利益は「増えない」。

 つまり、「消費者を優遇しても、経済は発展しない」のである。

 それであれば、まだ「労働資本を持つ労働者」や「資本を持つ関係企業」の間で利益を分配したほうがマシだ。労働者はいちおう労働資本を持っているのだから、そこを優遇してやれば「余剰利益」を生み出す可能性がある。曲がりなりにも、労働者だって資本の一部だからだ。

 ここで、ふとした疑問が生じるかもしれない。

「え?労働者も消費者も、庶民家庭においては同じ存在なのだから、価格を下げて消費者を優遇することも、労働者を優遇することと結果的に同じになるんじゃないの?」

というナゾである。

 ところが、よーく似ているが、実は違うのである。マルクスの資本論にも書いてあるが、労働者が持っている資本というのは、一日仕事をすれば減少する。それを翌日の仕事に向けて復活させるために、給料やおまんまが投入される仕組みになっている。

 翌日の資本が復活することが企業の狙いなのだから、平たく言って「最低限の復活資金だけ渡せばいい」という方向へ流れてゆくのは当然だ。

 だから、賃金が抑制され、非正規雇用のような「その分だけ」の仕事、「その分だけ」の賃金が渡されるようになってきたのである。

 そして、「その分だけ」に向かって、商品価格は低く押さえられてゆく。
社会のしくみ全体が、「できるだけ余剰を生まないように、下がりつづける」わけである。

 この連載のどこかでも書いたかもしれないが、「豆腐の値段が100円から30円になったからといって、鍋を3倍も食べない」し、「もやしの値段が100円から10円になったからといって、もやしを10倍も食べない」のである。だから消費者を優遇しても、資本を増やして3倍〜10倍のムキムキマッチョに改造することはできないのである。


 ところが、消費者でないものを優遇すると、「資本が増強される」ことになる。その資本を持つものが仮に労働者だとしても、賃金が増えれば、何を買ってどれくらい復活させようか調整が自由になるのだ。あるいはうまく調整すれば、余剰を生み出すこともでき、新たな資本を増やすことが可能になるのである。

 遠足のおこづかいを思い出せばいい。おやつは200円までですよ〜、と言われた低学年の頃と、おやつは500円までですよ〜と言われた高学年とでは、自由度が違うのがわかるだろうか?

 これは別に10円の駄菓子が大量に買えるという意味ではなく、200円まででは本当に駄菓子しか選べないのに対して、500円の予算があれば、「ふつうの一般菓子」も選べるようになるということだ。仮に10円のうまい棒に対して、100円の袋ポテチが10倍したとしても、それでも自由度や采配の選択肢が増えるので、楽しみは増えるわけである。

 従って、労働者に渡す給与や、関係する企業の利潤が増えた方が、社会全体の自由度は増し、また余剰を作って再投資するチャンスが増えるのである。
 そうやって、昔の若者は「車」を買ったりできたのである。


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 「資本主義をチートする」の初期の連載でも、松下幸之助の考え方が正しいことに触れているが、

『1円で買うたものを90銭で売るということを誰も要求してない。お得意先は1円で買うたものは1円20銭で売るということをみんな承知してくれる』(松下幸之助発言集)

 そもそもこの利潤が「生産性」の本質なのだから、+20銭の部分をどれだけ拡大できるかが資本主義の核であることがわかる。

 ところが、中内がやろうとしたのは、「+20銭」をどこまで削れるか、ということだった。

 「+19銭」にして、「+18銭」にして・・・。究極は「+1銭」でもいい、という考え方である。

 中内の勝算はどこにあったか。それは「+1銭」でも20件かき集めてくれば「+20銭になるじゃないか!」ということであった。(薄利多売)

 これは、もうこの記事をここまで読んだ懸命な読者ならすぐに気づくだろう。市場が拡大していれば成り立つが、市場が縮小していたら、破綻だ、と。

 日本の総人口ピークは平成20(2008)年(12808万人)であり、その年を境に減少する一方である。

 ダイエーに産業再生機構が入り、明確にダメになったのは2004年だ。

 失われた20年を機に、1990年代後半からダイエーは業績が悪化したと言われるが、もしかしたら、「自分で自分の首を締めていた」だけだった可能性もあるだろう。


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 まあ、あの世で中内氏も思うところがいろいろあるだろうから、これ以上は言わないが、これからの未来を担う経済人、企業人のあなたにはぜひつぎの問題を考えてみてほしい。今日のまとめのおさらいである。

「あなたは会社の社長に就任した。その会社の名前は「ベビタン本舗」と「西松田屋」という乳幼児向け小売業である。赤ちゃんの出生数は86万人、84万人、81万人と推移している」

→ 現時点と同じくらいの企業規模を維持するにはどうしたらいいか
→ 出生数に応じた企業規模を考えるにはどうしたらいいか

それぞれ経営計画を立てよ。

 もちろん答えはひとつではないが、中内功と真逆のことをやらざるを得ないことだけは、なんとなくわかるのではないだろうか。

(おしまい)


 

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