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Sonny Boy第8話考察「死にゆく日本と、どうすることも出来ない私」

これは完全に日本の話だ

そもそもこの作品の概略をば、

舞台は現代。8月16日の夏休み、たまたま学校にいた生徒が突如として学校ごと真っ黒な世界へと漂流してしまう。

ただ、その真っ黒な世界では「超能力」が使えて

・重力
・電気
・瞬間移動

と色んな能力が使えるのだが、今作の主人公“長良“が、あらゆる異世界を移動できる「世界ワープ」の能力に目覚めたことにより、黒い世界から無人島へワープし、そこから、その能力を駆使して元の世界への帰還を試みようとする。

というのが大きな話の流れで、今回はその中のメンバーの1人の過去回想となる。

ただ、今回の8話は1〜7話の続きというよりも、1本の私小説として作り上げられているので、概略さえ知っていれば問題なく見れる内容となっている(続きで見ていても今回の話は全くの別作品のように感じた)。

というよりも、1〜7話から見るとバイアスが掛かって大事なところを見落としてしまうので、初見にこそ見てほしい内容となっている。

8話解説

ただ、そのまま見ても意味が分からなくなるので、8話の重要人物について解説。

そもそもこの作品では、漂流したのは8月16日に漂流したメンバーだけでなく、そこから過去、未来と、あらゆる時間に存在するその学校の生徒が漂流したという設定になっている。

そして、今回の重要人物である”ヤマビコ”という中3男子は、主人公たちの二年後輩(面識はなし)なのだが、主人公たちが漂流した時点よりも、5千年前に漂流していた。

5千年経っても死なないのは、この異世界が時空を超越していて、それ故に時間が静止していて死ねないことになっているから。

ただ、彼はある事件を境に誰にも見つからないところでずっと1人で引きこもっていた。

そこに主人公たちが現れたことで、外に出る決心をし、彼らの前に現れ、そして第8話にて、引きこもりの原因となったその事件について語ることとなった。

事件以前

事件が起こるはるか前、ヤマビコもまた主人公たちと同じく集団で漂流した。

脱出するなら周りと行動したほうが良いのは分かりきっていたが、一緒に行動するよりも1人でいる方が気楽だったので、ヤマビコは1人あてもない旅を始めた。

その道中には、鉄の針が無数に飛び出た針山、無数の人骨が転がる断崖の丘といった無味乾燥で薄暗い地獄絵図が広がっていた。

そんな景色に心が折れて疲れ果てたのか、ヤマビコは人骨の上でうずくまり、まぶたを閉じる。

そして気がつくと彼は何故か浜辺に打ち上げられていて、自分と同じ漂流生徒に助けられていた。

居場所が欲しかった

そこには自分の知らない生徒達がたくさんいて一つのコミュニティを築いていた。

ただ、漂流しても集団に馴染めないで、1人放浪していたヤマビコにとってはこのコミュニティも何だか居心地が悪く、すぐに逃げ出そうとする。

そうして、コミュニティにあった食料を盗み、筏で帰ろうとするも、そこで1人の少女”こだま”に呼び止められてしまう。

彼女はこのコミュニティのリーダーで、万物を操る能力を持っていた。それは、

・傷を負った鳥を直して再び飛べるようにする
・枯れた木を復活させて大木にする
・空を指差して動かすことで、時間を昼から夜まで自由に変えることができる

といったように他にも、食事を無から生み出したり、白い鳩を呼び寄せたりと本当に何でも出来るように描かれている。

彼女は、今いる「この世界」を

「ここはとても穏やかで優しい世界だ。信じられないくらいに。」

そう評していた。

しかし、ヤマビコはそんなことは気にもかけずに筏で帰ろうとするが、こだまはこの世界と同じく、優しさをもって、ご飯を能力で生み出して振る舞おうとする。

するとヤマビコは

「いらない」

返す言葉で

「遠慮するなよ」

とコダマは言うも

「いらないって言ってんだよ!」

と跳ね除けて海の中へ捨てててしまうヤマビコ。

こだまに助けられて看病されている間、ヤマビコは彼女の底なしの優しさに不気味さすら感じていた。

そして、盗んだ食料も彼女の能力(=不気味さ)で生まれたものであることに気づき、それすらも海に投げ捨てる。

「クソ…クソ!クソっ!クソっ!クソっ!クソヤロウ!」

ただ、彼女はそうやって悪態を付かれてなお、彼に施しを続ける。

彼女が海に飛び込んで数刻、海から突如、スープが噴水のように勢いよく湧き出る。そして、その上に彼女は立って

「分かった、君猫舌なんだろ?」

と見当違いな問いかけをする。あまりのことに「はぁ?」と拍子抜けしてしまうヤマビコ。

そうして「飲んでごらん」と言われると流石に断り切れず、四つん這いになって溢れ出るスープを舐めてしまうヤマビコ。

突っぱねていたことは止めたが、味の感想を聞かれても「しょっぱすぎる」と敢えてぶっきら棒に答える。

こだまは塩加減は合っていると思っていたのに、しょっぱいと言われたためもう一度、味を確かめる。

ただやはり合っていると思いつつも、眉をシカメながら(そうじゃない筈なのにと思いながら)

「そうだな、少し塩を入れすぎたみたいだ。」

とヤマビコの言うことを否定しなかった。こだまは相手の言うことにどこまでも合わせる。

このやり取りの真意はセリフだけを聞いていただけでは見落としてしまいがちで、表情までみないと真意を測りかねてしまう。

そして、ヤマビコは「こんなしょっぱいスープは初めてだ。信じられない。」と言いつつも今度はスープを飲み続ける。

そして回想の語りとして「そんな自分が恥ずかしくて、悔しくて、少し嬉しかったんだ。」と独白が入る。

ここのそんな自分とは、「1人で居たい自分とその気持ちを裏切って、女の子の上から降るスープを振る舞われて喜んで飲んでしまう」という一連のシーンにかかっているのだろう。

このシーンは夜と月という女性と死の象徴の上で、スープを四つん這いで飲むというかなりフェティッシュな描写の上に、自分の心情を吐露するというかなり官能的で私小説的な展開となっている。

この文脈は最早、普通のストーリー仕立てのアニメとはかけ離れていて、それこそが1〜7話の後に見るとバイアスがかかって大事な描写を見落とすと言った最大の理由となっている。

この回は完全に一人の男の私小説として構成されており、カタルシスやエンターテイメントは一切ない。一人の男の後悔と絶望の過程だけが描かれている。

そしてその後悔と絶望が作品を通して現実の私たちに語りかけている。

旅の終着点

そうして、コミュニティで暮らし始めたヤマビコ。

この2人きりになるシーンで、ヤマビコはやはり後悔を嘆く。

「俺は後悔ばかりしている気がする。人生の殆どを全部それに費やしている。そしてまたそのことを後悔するんだ。」

そして、「君は後悔しないのか。」とこだまに問いかけるが

「選ぶ余地はなかったもの。後悔したくたって後悔しようがない。僕らはね前にしか進めないんだ。」

この会話の後にまたヤマビコの独白が入る「私は長い旅の終点はここだったのだと、そう信じるようになった。そんな日々がずっと続くと思っていたんだ。」

後悔をし続けて人に心を開くかなくなったヤマビコが、底なしの優しさを与えてくれるこだまと出会うことで徐々に心を開くようになり、最後に「後悔したくたって後悔しようがない。僕らはね前にしか進めないんだ。」と自分の心の中に渦巻く後悔という問題に答えをくれたことで、ヤマビコは彼女を慕うようになった。

世界は許してくれない

そしてヤマビコの「そんな日々がずっと続くと思っていたんだ。」という思いとは裏腹に、ある日を境にコミュニティで疫病が流行ってしまう。

その原因不明の疫病は、ザクロ石のような腫瘍が体を覆っていくおぞましい病気であった。

その疫病の治療は万物を司るこだまの力をもってしても不可能。

こだまも疫病に侵され徐々に醜い姿になっていく。

ヤマビコは、こだまから「どんな顔してる?正直に言って?」と聞かれるも

「髪の毛が透き通って雪みたいだ。それから唇が空のように青くて、目元が前より優しげな印象になった。」と心にもないことを言ってしまう。

その証拠に、こだまに近寄られるとヤマビコはすぐに眼を閉じてしまう。

ただ、彼女の頭から血が出てしまい、それを彼女が手で拭いて病状の悪化をごまかそうとしたとき、ヤマビコは手をとっさに掴んで舐め始める。

それは、沸き立つスープを舐めるシーンと韻を踏む構成になっている。

ヤマビコは本音を”言葉”で言えない代わりに、舐めると言った”行動”で意思表示をする。

そしてヤマビコの独白、「私は彼女のためならどんなことだってするつもりだった。なんにだってなるつもりだったんだ。そう何にだって。」

そういって彼は能力によるものなのか、真っ黒なイヌに変身する。

なぜ犬になったのか

これは端的にいって、人対人という対等な関係から降りたかったという意思表示ではないかと思う。

血を舐めるシーンからも分かる通り、ヤマビコはこだまに本音を言わない。

その代わりに手を取り、血を舐めて慰める。何も言えないし何も出来ないのである。

それは2人で話をしたときに彼女が自分の後悔の問題に答えを与えてくれたのを境に、彼女に対して抱いていた思慕が、いつのまにか”従属”となり、そこから抜け出せなくなっていた。

「彼女を信じていたから…自分自身よりも。」

やがて、コミュニティでは疫病をもたらしたであろう男を洞窟で見つけ、そのことについてヤマビコとこだま2人で話すことになった際、

「僕は出来るなら、彼を見捨てたくないと思ってる。」
「それに、この腫瘍も原因が分かれば僕の力でなんとか出来ると思うんだ。君はどう思う?僕はどうしたらいいと思う?」

とこだまはヤマビコに尋ねる。しかし、ヤマビコは

「俺は…ぁ…」

言いかけるも、彼女の腫瘍だらけの顔を見てしまい

「君の考えが正しいと思う。」

と目を横に流しながら、励ますかのように、少し高い声で戸惑いを少し含みながら言う(この辺りは実際の演技を見て頂きたい)。

ただそれに対して

「本当に?本当にそう思ってるのかい?」

こだまは見抜いて問いただす。しかし、それでもヤマビコは

「当然だ。君はいつだって正しい。そうだろ?」

と目は合わせるも、声は変わらない。それを聞いてこだまは

「僕そんな立派な人間じゃないよ。」

と言って欲しいことを言ってくれないヤマビコに落胆したかのように顔を背けて言う。

「あっ」

思わぬ返事に、戸惑いの声が漏れてしまうヤマビコ。それに対し

「彼は少し似ている。ここへ来たばかりの君に。」

と急に疫病を持ち込んだ男を引き合いに出すこだま。

これは彼女が洞窟で男を見つけた際に、男がこだまに

「お前はなんて醜いんだ」

とささやいていたことに因む。

ヤマビコは腫瘍の印象を聞かれた際に、はぐらかして答えていたのと逆に、ここえ来たばかりの疫病男は正直に答えた。

こだまにとっては、その答えを求めていた正直な答えだと思ったので喜んで受け取ったのである。

だからこそ、たえずはぐらかしてばかりのヤマビコには、彼女の思う”本当のこと”を言ってほしかったのである。

だが、ヤマビコにとっての答えは本当のホントウに”従属”しかなかったのである。それは後に続く独白、

「私は目を背けていたんだ彼女の過ちから。あのとき私は彼女の選択を正すべきだった。だが出来なかった。」

「それは多分。彼女を信じていたから…自分自身よりも。」

に色濃く現れている。

こだまはヤマビコの自立を求め、ヤマビコはこだまへの従属を求めた。

このすれ違いは8話を通して続き、そしてこれこそが今回の最大のテーマとなっている。

崩壊

その後も、こだまは治療法も分からぬまま生徒を診ては

「うん大丈夫。また明日見せに来て。」

と先延ばしすることしか出来ず、それに対して

「昨日も同じこと言った。」

と痛い所を突かれて「それは…」と口籠る。

そして泣きっ面に蜂とばかりに、全身が腫瘍化して宝石の塊みたいになってしまった生徒が連れてこられてしまう。

「モノになっちゃった。さっき大丈夫って、そう言ってもらったばかりなのに。」

感情が希薄になってきている生徒に対して

「見せてみて、まだ…」

そう言って触ろうとするこだまに対し

「触らないで!」

生徒の我慢も限界に近づいていた。生徒の一人が愚痴を漏らす。

「あいつさえいなければ。あいつが病気を持ちこんだんだ。あのとき、あいつを殺していれば」

そうして、こだまは皆の代わりに疫病男と話し合いをつけに行く。

疫病男

最初にあったころの疫病男は腫瘍に侵されていたように見えたが、このシーンではすっかり元の姿に戻り、鳥に向かって銃を発砲する。さながらガンマンのように。

「君のこと醜いって言ったけど。あれ嘘さ。」
「本当は美しいと思ったんだ。」

腫瘍も見せかけ、言葉も嘘。そんな男に対し

「どうして嘘を付いたんだ。」

そう尋ねると

「君に好かれたくて。案の定、君は喜んだね。」

つまり腫瘍があるのも気を引くためだった。

だが、なぜ彼女に醜いと言えば好かれると思ったのだろう?

『美人は、美人って言われ慣れてるから逆を言えば気が引ける』

的なものだろうか?ただ彼の発言、

「本当は美しいと思ったんだ。」

においては、”腫瘍まみれ”の彼女が美しいと思っている。

そうなるとやはり、なぜ彼女は醜いと言って欲しいと分かったのかは今のところ不明。

ただ、ヤマビコが「醜い」と思いながら嘘の「美しい」を言うように、この疫病男は「美しい」と思いながら嘘の「醜い」を言う。

従属したいが故にヤマビコは嘘をつく、好かれたいが故に疫病男は嘘をつく。

ビジュアルは違うのだが、この2人は実はかなり共通項がある。

それが8話の重要ポイントとなっていく。

話をもとに戻し、嘘を付かれたことに対しこだま、

「人の心をなんだと思ってる。」

自分の心が弄ばれていたことに怒る。

ただ、ここで怒るならば本当に怒るべきはヤマビコだったのではと、ヤマビコと疫病男の対比を考えて思う。

「それ!よく言われるんだ。」

対して飄々と受け流す男。このままではラチがあかないので

「この腫瘍は君が原因なんだろ。」

と早速、本題に入るも

「うん、そうだよ。僕が持ち込んだんだ。」

とあっさり認める。

「だったら教えてほしいんだ。その攻略法を。腫瘍は治せるはず。」

答えがあると信じるこだま。対して男は

「誰かに傷を治すことは出来ない。」

「君にだって分かってるはずだ。僕だけが原因じゃないって。」

自分が持ち込んだのに、その原因が自分だけではないと主張。

さっきの対比から考えるに、仮に彼女を喜ばせられるセリフをヤマビコの代わりに疫病男が言ってもらっていたとするならば、ヤマビコは彼女の問題を解決して欲しい(自分のことを求めないで叱ってほしい?)と思っていたのかもしれない。

「もういい、行くよ。僕には時間がないから。」

付き合いきれなくなり帰ろうとすると

「ねえ待って。コレ上げるからさ。ねえ。」

男が手を掴みチューリップの勲章を渡す。

「これは?」

思わず尋ねるこだまに対し

「キレイだろ。コレはね百人殺したらもらえるやつなんだ。こっちは千人で、こっちは1万! ね、キレイだろ?」

ここでも疫病男の美意識が異質だと分かると同時に、それを体に巻き付けていることからそれを誇りにしていることが伺える。

「やめてくれ。」

こだまは受け取った勲章を投げ捨てる。

「ごめん、いつもそうなんだ。つい間違えちゃうんだよ。そして最後に嫌われちゃうんだ。どうしたらいいかわかんないんだよ。」

ここで急に男があたふたしだす。異常に嫌われることを恐れる。

それと「つい間違えちゃうんだよ。」というのは、これまたヤマビコとの対比から、肝心なとこで言うべき言葉を間違えて相手が遠ざかってしまうということを差しているのだろう。

疫病男は極端であるが、それと同じくヤマビコもまた平凡・平穏であろうとするがゆえに間違えている。本当にヤマビコとこの男は似ている。

「もう僕たちに近寄らないで。」

それに対してこだまは切り捨てる決意を決める。

「はぁ…そんなどうか怖がらないで。」

なんとか取り繕うとするも。

「僕らの前から消えてくれ。」

三行半を突きつけられ、

「あああああ!ああ!くそ!いつも僕だ!なんでこうなるんだああ!」

と後悔を叫ぶ。ただ、ここで「いつも僕だ!」と言っている。

つまり、何らかの場面で自分がこう拒絶される目にあってきて、否定される理由が分からないことを告げている。

ヤマビコ ≒ 疫病男

そして、この後にヤマビコと疫病男が対話するシーンに入るが、ここで8話の全体像がようやく分かるようになる。

まずはヤマビコの独白から、「やつは自分が持ち込んだのは疫病ではなく、別のこの世界だと言った。心の傷が腫瘍となって具現化される世界。やつはその世界をキズアートと呼んだ。」

心の傷が腫瘍となるなら、その外見がさらなる心の傷を生んで負のサイクルに突入する。

つまり、このキズアートが持ち込まれた時点で破滅は決まっていた。

そうして、塊が散在する建物の中で、”今回の勲章”を作る疫病男。

「そう、コレは僕のアートなんだよ。もっともっと集めたいと思ってる。」

醜いものを美しいと思い、心の傷の塊をアートと呼ぶ。

つまり、この疫病男は人の”負の心”を全肯定・賛美する存在として描かれている。

それに対し、威嚇するヤマビコ。男は気にもせず

「ねえ知りたくない、なんで君だけ病気にかからないか。」
「教えてあげる。それはね、この世界が君の作った世界だからだよ。」

と今回の核心について語る。

つまりこういうこと

ヤマビコは気づかぬ内に自分が作った世界でコミュニティと一緒に暮らしていた。

詳しく見ていくと、まずヤマビコは骸骨だらけの丘の上で眠っていた。

次に目が覚めると、彼は浜辺に打ち上げられていて、そこをこだまに救われ、コミュニティでの生活が始まった。

つまり、眠りに付いたらヤマビコは無意識に世界を作り上げてしまい、そのまま眠りに付いたまま時間が過ぎた。

そこに、こだま達一行がヤマビコの世界にたどり着き、生活を始める。

そしてある日、浜辺で埋まっていたヤマビコを見つけた、ということになる。

だが、何故その能力を疫病男は知っていたのか?こだまの件(本心が分かる)といい疫病男はどこか勘が良すぎる。

色々考えた結果、これは仮定になるのだが、この疫病男とヤマビコは表裏一体の関係ということなのかもしれない。

つまり、こだまが望むこと(醜いと言って欲しい。本心を話して欲しい)をヤマビコ自身は従属していて出来ないので、代わりに疫病男がやってくれていると考えると、

・異常に嫌われることを恐れる
・つい間違える
・「いつも僕だ!なんでこうなるんだああ!」

の合点がいく。それぞれの心情は

・嫌われるのが怖い→従属していたいヤマビコの恐れ
・つい間違える→ヤマビコが本心にないことを言って、彼女を落胆させる。
・いつも僕だ→後悔し続けるヤマビコ自身

という風にも取れる。

ただ、代わりにやってくれても疫病男は負の心そのもので、ヤマビコでもあるので、やはり上手くいかない。

それどころか取り返しのつかない事になってしまう。

そうしてヤマビコの独白、

「言われるまで気づかなかった。心の内側を具現化する力。それが私の能力だった。」

ステンドグラスが美しく輝くドームの中でそう呟くヤマビコ。内なる世界の美しさに囚われて外に出られないことを表現している。美しいが故に出られない苦しみ。何とも切ない一枚。

「私はいつの間にか自分の殻に閉じこもっていたんだ。」

そして、ここで従属していたこと・殻に閉じこもり本当のことから目を背けていたことを告げる。

心の内側の具現。それは疫病男の心の傷が腫瘍となって現れることと似ている。そして、

「だから私だけが疫病に侵されず、境界の内側ではコダマの力も意味をなさなかった。」

このセリフには2つの解釈がある。

1.世界のホスト(創造者)であるヤマビコには被害が及ばない。
2.疫病男はヤマビコの能力の一部であるのでそもそも効かない。

こだまの力が意味をなさないのは、万物を操れても世界そのものは操れないから。

そして、疫病男は傷の原因について

「傷そのものの原因はこの世界の外で起こっている事象にあるんだよ。」

「君たちはそれを解決しないといけなかった。」

ヤマビコは独白で、「別のこの世界で、心の傷が腫瘍となって具現化される世界。」と言っていた。

つまり、自分たちの問題を解決するだけでは治らず、外で勝手に渦巻く問題をも解決しないといけなかった。

問題は外からだってやってくる。自分たちだけで暮らしていては平和なんて簡単に崩れる。

それは理不尽であるが、来てしまうものは対処しなければならない。

ここの「内と外の問題」こそが8話のテーマの根幹にあたる。

「じゃあどうすれば。」

ヤマビコはこだまと同じく答えを疫病男に尋ねる。

「君自身が変わればいい。自分の殻を破って外に飛び出せばよかったんだ。」

と答える疫病男。

これは、こだまに対するアンサー

「(この世界の)誰かに傷を治すことは出来ない。」

「君にだって分かってるはずだ。僕だけが原因じゃないって。」

とは打って変わり、自分問題の解決を提示している。

外にも問題があること、だからこそ外に出ろと疫病男は言う。

これは無意識からのメッセージでもあると言える。

ヤマビコには出ないといけないことは分かっていた。

その切迫感が腫瘍としてこの世界に現れていったのだろう。だが、それでも飛び出すことが出来なかった。そうして、

「だがもう手遅れだ。僕が帰るからね。」

駆け寄るヤマビコ。最後のチャンスさえも失い、噛み付くことすら出来なかった。

「分かるよ君の言いたいことは。」

そんなヤマビコに対しねぎらいのような言葉をかける疫病男。

「だけどしょうがないんだ僕ら切り捨てられた存在はね。」

切り捨てられた=漂流してしまったということで、ここで言いたいのは「理不尽だ」と言いたいヤマビコに対して、それでも外に出るしかないということ。

「僕らに選択肢は無いんだよ。」

そもそも選べる選択肢などない。しなければならないことを放棄すれば、それは破滅に至る。

「君も聞いただろ。声を。」

ここで、ヤマビコが腫瘍にまみれて倒れるイメージカットが入る。

声とは、この世界で聞こえる「神のお告げ」みたいなもので、ヤマビコに対しては外に出ても自分が腫瘍にまみれて死んでしまうことを告げられたのだろう。

つまり、外に出ればこだまは助かるかもしれない。だが自分は助からない。あるいは両方共倒れの危険もある。

色んな結末が思い浮かぶ中で、やり切れなくなりヤマビコは叫ぶ。

「お前は一体何なんだ。」

何から何まで予言めいたことを言う疫病男に苛立ちが募る。

「忘れちゃったの僕たち前にもあったことあるのに。」
「君は見てきたはずだ。いろいろなところでさ。それも一度じゃない。何度も。」

ここで明らかにされる。やはり、事あるごと、ヤマビコがいるところにこの疫病男は現れ、そうして全てを破滅させていく。

ヤマビコの中の無意識に疫病男がいて、そして彼が自発的に動いて世界を引っ掻き回す。

ヤマビコは何度も世界を無意識に作り上げ、その度に疫病男が現れ世界を破滅させていた。

内側の世界から出ていくよう急かすように。それがヤマビコにとっての無意識の問題であり焦りだったのかもしれない。

そして疫病男はヤマビコを手懐けるように触り

「ドード、いいこいいこ。」

とイヌとして扱う。

「君にあとちょっとの勇気があればあの娘を救えたかもしれないのに。彼女は待っていたんだよ。」

ここで一番キツいセリフが飛び出る。自分が殺してしまったという一番受け入れがたい事実を突きつけられる。続けて、

「不気味なくらい優しくて驚くほどつまらない。この世界って君そのものだ。」

このセリフは、こだまが最初のころに言った「ここはとても穏やかで優しい世界だ。信じられないくらいに。」と対をなす構成となっている。

「信じられないくらいとても優しくて穏やか」を曲解して翻せば「不気味なくらい優しくて驚くほどつまらない」となる。

こだまは肯定してくれたが、無意識の疫病男は無関心・笑止千万と思っていたということになる。

そして、こだまはもうじき居なくなる。残ったのは疫病男だけ。

全てを否定されたヤマビコは何も言えなくなる。

最後に、ここでようやく疫病男が自分の名前を語る。

「それじゃさようなら。そういえば言ってなかったね。」

「ぼくの名前は”戦争”だ。」

自分の内にわだかまるモノの正体。それは戦争だった。

自分の中の戦争だけが残っていく。希望にすがろうとすればするほど内なる戦争がかき乱していく。

この「”戦争”だ」というセリフは、表面だけ追うと捉えきれないが、ここまでの心情の動きを追ってみると、最後に一番重くのしかかるものとなっている。

やまびこ と こだま

後悔と絶望だけが残るヤマビコ。それでも最後までこだまに付き従う。

「あれだけ飛んで行けといったのに」
この世界の初期からいた鳥。傷を追うごとに直して、こだまは外へ飛びたてと言い続けていた。

だが、ついにこの世界から飛び出せずに鳥は腫瘍にまみれて死んだ。

ここは完全に犬になって飛び出せなくなったヤマビコを象徴している。

だからこそ、

「悪いことをした。僕が助けないでいればこの子はどこか遠い世界へ飛んでいけるはずだった。僕はこの子を助けたつもりでいてホントは邪魔をしていたんだ。」

とうとう彼女は正されることもないまま、破滅に至ってようやく彼女は間違いに気づく。

筏で逃げ出そうとしたヤマビコ。あのとき引き止めていなければ、彼女たちはそのまま穏やかな世界で平穏に暮らせたのかもしれない。

ただ、引き受けてからもチャンスはあった。腫瘍が出始めたころなら、なおさら動き出せたはずだった。

それでも、ヤマビコはもう旅に疲れ果てたがゆえに居場所を求め、更にはそこへ従属してしまったがため動き出せなかった。

もう一度あの頃(旅)には戻れなかった。たとえ横にこだまがいたとしても

「ヤマビコ。」
「なんだい。」
「何でもぼくの言うこと聞く?」
「もちろんだ!」

最後になっても尚、ヤマビコはこだまにすがる。

「じゃあいつか僕とした約束を果たして君はここから飛び立つんだ。」

そんなヤマビコに対し、ついに外の世界へ行くように告げるこだま。

「ここは本当の世界じゃない。」

従属し続ける世界は本当ではない。前に出ざるを得ないときは出ないといけない。

そうしてコダマが倒れかけ、ヤマビコが近寄るも

「大丈夫」

と言いいながらマテをされ、座り込んでしまうヤマビコ。どこまでも従うことしかできない。

そうして、こだまは息絶え、ヤマビコの独白、

「森には1匹のイヌだけが残った」

そうして、今までのことをこう振り返る。

「やつは正しかった。チャンスは何度も会ったんだ。」
「彼女を救うチャンスは何度も会った。私はその全てに目をつぶった。」

最後まですれ違い続け、終わりになって気づく。ここでもまた後悔しか出来なかったヤマビコ。

「彼女の願いは一緒に外の世界を歩いてほしい。それだけだった。」
「彼女はずっと待ってくれていた。」
「なのに私は答えることが出来なかった。」

ヤマビコに自分の意見をもっと言うべきだったこだまと、彼女に本当のことを言うべきだったヤマビコ。

もっと素直になれていれば…ただ、それはお互いの信条ゆえにどうすることもできなかった。

だが、この話をずっと聞いていた2人、名前は「長良」と「瑞穂」から、
「やまびこ。」
「なんだい。」
「一緒に寝ていい?」

と言ってもらった。

彼は5千年もの間ひきこもっていたが、彼らと出会ったことで再び旅を、歩きだすことができるようになった。

今回の話は、そんな旅の中での回想であった。

だからヤマビコは今、仲間と一緒に歩くことができ、あの時から一歩は前にすすめるようになった。だから途中、辛いなら止めてもいいと2人に言われても話す必要があった。

そうして、一緒に寝て、また目をつぶるとあの世界に戻ってしまったヤマビコ

部屋のベッドには、腫瘍まみれの彼女がこちらを見つめている。

「約束だよ。」

「一緒に歩こう、君がいつか話してくれた骸骨だらけの道をさアイスクリームでも食べながら。2人で。」

そうしてこだまが約束の小指を差し出すも
ヤマビコは自分のイヌの手を見てしまって手を繋げなかった。

そうして自分が引きこもっていた木に青い炎がともるカットが入る(絶望と後悔を表しているのだろう)。

やれるさ

メンバーの1人で今作の主人公、”長良”は眠れずにドームの上で空を見つめる。

「寝てないのか。」

気にかけるヤマビコに対して

「うん色々考えちゃって。」

「僕はあのときどうしてああしてしまったんだろうとかああしなかったんだろうとか。そういう、どうしようもない事ばかり考えていたら眠れなくなっちゃった。」

この主人公もまたヤマビコと同じくぶっきら棒で何も言えない性格だったのだが、色んな世界を巡っていくことで、徐々に前向きな性格になってきていた。

だからこそ、このヤマビコの話は漂流以前の自分と重なる部分が多いし、自分が辿る未来の自分像の一つにも思えたわけである。

ヤマビコはもう1人の主人公でもあったのだ。

だからこそ、そうやって悩む長良に対し、最後の独白

「私はただヒカリを受けていたかった。ヒカリを失うことを恐れ最後まで踏み出せなかった。だがやっととびだせた。」

こだまというヒカリを受けていたかった。ずっと自分の世界の中にヒカリを閉じ込めていたかったのかもしれない。だから手放すのに時間がかかった。

「5千年かかった」

冒頭で枯れた木をこだまの能力で大木にし、そこでずっとヤマビコは引きこもっていた。

そこに、長良と瑞穂、そしてもうひとり”希”というメンバーが近くに来て話した「外に出ていかなくてはいけない」といった内容(詳しくは2話参照)のやりとりを聞いて、ヤマビコももう一度外へ出ようと決心した。

そうして、長良は

「僕にもできるかな。」

そう呟く。話を聞いた長良は能力で世界を旅しているのだが、ここでさらに外の世界へと旅立とう決心する。それがどこなのかはまだ分からないが。

それに対してヤマビコは

「ああやれるさ」

そう言って、ようやく人に手をかけることが出来た。

神殺し

そして別々に行動していた希と合流し、ヤマビコの話を聞かせてからの希のセリフ

「でもその戦争って誰と戦ってたの?」

内なる戦争でもあるが、ヤマビコは

「やつは神殺しを目指していた。」

とも言う。この世界ではそもそも漂流は神が引き起こしたことになっている。

能力も世界も神が用意したもの。

その神を殺すということは

1.漂流生徒をすべて殺し、そもそも神を認知するものをいなくさせる。
2.神そのものをこの世界の仕組みを利用して消す

と考えられが、それに対し長良は

「もし殺せたとしても、それで何かが変わるのかな。」

と言う。(そしてこのままEDに入り、この壮大な私小説である8話がようやく終わる)

最後のセリフは、神はプログラムを実行しただけで、殺したから元に戻れるなんて保証はないと言っている。

これは、問題が内側ではなく外にもあるという、今回の「外と内の問題」というテーマに合わせて言っている。

つまり、物語構造としてボスキャラを倒して終わりという、分かりやすい内側の問題ではなく、そもそも作品が出来る背景そのものの問題(何故この世界が存続するのか、神が世界を作った理由)に切り込まなければ話は終わらないという壮大なテーマの宣言にも見える。

以上を踏まえて

セリフだけを追っているとあっさりとした印象で終わってしまう8話だが、きちんと状況を整理していくと、とんでもない作品構造を有していることが分かる。

だからこそ、この膨大な1話まるごとの解説が必要となった。

8話の意義

ここまではストーリーの流れを整理したものだったが、ここから更にこの話数で、作者がしようとしたことについて考えていこうと思う。

時系列

そもそも、この話の前提として、ヤマビコは主人公たちより2年後輩にあたる。

そして、その未来の存在であるヤマビコが主人公たちよりも5000年前に送られ、そこで今回の事件があった。

つまり未来という可能性を過去に配置することで、居場所を探している主人公たちに対してひとつのアンサーを提示していることになる。

この構造があることで、今のまま主人公たちが居場所をみつけても、あるのは破滅だけだ、ということを表している。

そうした上で見えてくる構造

そうした上で、こだまとやまびこの関係を見ていく。

まず、やまびことこだまの関係はイヌと主人となっている。

そして、その関係は対等ではない。人として接して欲しかったこだまに主人として仕えてしまったヤマビコ。

そんな歪な関係を嘲笑うかのように戦争が、むこうからやってくる。

この三つ巴の関係は見る角度・レイヤーを変えていくことで如何様にも捉えることが出来るようになっている。

母と子

与えてくれる人と与えてもらう存在。これを一番大きく感じるのはやはり母と子という関係であろう。

ヤマビコはイヌでもあり、与えられる存在というところから抜け出せずに、そのまますがり続ける”子”という立場にもあったと言える。

そして、親も永遠には居てくれずやがて終わりも訪れるし、そこから飛び出さなければいけないときも来る。

未練を捨て外に出ることが出来るか。現代の実家問題にも繋がる話といえる。

ただ、母と子という話は何も今だけでなく古今東西の小説、映画、アニメといったあらゆるコンテンツで問われ続けた話だ。

今で言うと押見修造の「血の轍」が近いのかもしれない。

「血の轍」では、消えてしまいたい母が子を持ったが故に縛られ、そこから抜け出せないからこそ、子供もまた自分と同じ様に縛り上げていく。そして子もまたその環境に依存してしまう。

それはある種、共依存の関係がヤマビコとこだまにもあったのかもしれない。

ただ、ヤマビコとこだま、少なくとも人対人としての関係を持てたはずが、ヤマビコはその関係を進めることはできなかった。

対等な関係を進ていけば、こだまと友達、恋人として一緒に協力できたのかもしれない。

だが、ヤマビコはどこまでも付き従うイヌ・子どもであることを選んだ。男になることが出来なかったのである。

だからこそ、ヤマビコが抱えたのは”大人の男になれない”という、今の男性が一番大きく抱えている問題だったのだ。

そこに戦争がやってくる。それは子どもの終わり、進路の決定や一人暮らし、はたまたや親からの希望(どこそこに行ったほうがいい)ありとあらゆる衝突が戦争となって現れる。

ただ2人は共倒れしてしまった。2人ともその関係から抜け出せなかった。

破滅して5千年、もはやもう一度転生する勢いでなければ、長良たちの前に出て変わることが出来なかったのかもしれない。

だからこそ、この作品の5・6話にてヤマビコは長良にこう告げる。

「まだ間に合う。」

それは、未来の一つの可能性として破滅が用意されているのだが、そこから生まれ変わったからこそ、長良たちにならまだ間に合うと告げることが出来たのだろう。

未来人から今の人へ、過去という形で語りかけるのは中々無い構図であるし、こういう形のメッセージは中々、胸になかなか去来するものがあった。

国と私

8話後半、疫病を持ち込んだ男が別れ際に、自分を”戦争”と呼称した。

それは内にある問題でもあると同時に、外から来る問題である。

そうして、この内と外の問題、万物を操るものが滅びを待つしか出来ないという設定は「進撃の巨人」に通じる話であると感じた。

そもそも「進撃の巨人」の1話では、敵が向こうからやってきて平和を尽く壊し尽くす。

そして、敵側が攻め込んできても壁の王(レイス家)は「我々は抵抗せずに死を受け入れるしかない」という思想に囚われ、何もしない。それに対し、エレンは自ら外の世界へと赴き、逆に世界を破壊しようとした。

敵が向こうからやってくる。理由は外にも内にもある。まさしく8話を見たとき進撃が脳裏をよぎると同時に、進撃そのものが日本の実情を作品の中に落とし込んでいたことから、これもまた日本の話だと(個人的に勝手に)確信した。

8話での関係

まず、名前の話だが、登場人物には

・やまびこ
・こだま
・のぞみ

と新幹線の名前がよく出てくる。つまり、作者(夏目真吾氏、原作・脚本・監督・担当)としてはここに何らかの意味を託そうとしている(インタビューでは好きなものを散りばめたと言っている)。

そして、こだまは日本初の国鉄新幹線である。つまり、日本の技術とその黎明の象徴ともいえる。

そのこだまが内と外からの問題により、腫瘍にまみれて遂には息絶える。

まず、作品の中で外の問題・戦争は向こうからやってくるが、向こうの問題を解決すれば終わりという簡単な話でもない。

「母と子」でも言ったとおり問題は、本当のことを言えない、踏み出せない、依存してしまう、という内側・ヤマビコやこだま自身にもあったということだ。

まず、ヤマビコを一国民として見た場合、ヤマビコは万物を司る力をもつこだまを「自分以上に信頼」してしまうことで何も言うことが出来なくなっていった。

それとは反対に、こだまに対してちゃんと進言する(戦争を殺すべき)者や、大事なものに触れようとするこだまに「触らないで!」と拒絶する者もいた。

だが彼らもまた、それ以上は行動に移せず、やがて全ての国民が腫瘍の塊となってしまった。

つまり、この国から外へ出ること・内側の問題を解決することが出来なかったのである。

それは全員、自分の立ち位置に甘じてしまい、ジリジリと進行する問題に立ち向かわず、本当の終わりが来てもどうすることも出来ない、ある種の正常性バイアスに囚われていたのだと思う。

だからこそ、この回想を、この切迫感を今の人に伝えたいために、監督は未来人が体験した過去の話として用意したのだろう。

それは未来人が今に現れて「未来がこうだから対策してくれ」というよくあるパターンではなく、時空が入り乱れた世界で起きた話ということにすることで、まさしくヤマビコのセリフ

「まだ間に合う。」

が、この8話が監督が見ているあらゆる可能性の一つであり、その結末を見せた上で、だからこそ、この最悪から脱して欲しい、まだ間に合う。そう言ってくれているような気がするのだ。

作品と作家

そして、この「国家と私」という関係から、作者の思いを感じたところで、

「この三つ巴の関係は「作品と作家」にも繰り上げて当てはめることができるのでは」

とも考えるようになった。

そもそも、ヤマビコと戦争の能力は何らかの世界を具現化するものである。

そして、こだまは万物を操ることができた、食料を無から生み出すことも出来る。

ここで、こだまも戦争と同じくヤマビコの一部なのではないかと考えた。

それに近いと思われるセリフとして、初めの方でこだまが言った

「ここはとても穏やかで優しい世界だ。信じられないくらいに。」

それと後半で戦争が言った

「不気味なくらい優しくて驚くほどつまらない。この世界って君そのものだ。」

このセリフは、対をなす構成となっていて「信じられないくらいとても優しくて穏やか」を曲解して翻せば「不気味なくらい優しくて驚くほどつまらない」となることから、戦争とこまだは実は言うことが似ていて問題意識にも共通の認識があるように見えた。

そして、ヤマビコの

「だから私だけが疫病に侵されず、境界の内側ではコダマの力も意味をなさなかった。」

というセリフがあるが、これは内側にて能力が使えたが、外にあるものには干渉できないということ。ならばこだまだけでも外側に行けば解決する話であるはずである。

それが彼女のヤマビコと一緒に歩きたいという思いにより、遂に決断することができなかった。

では、なぜそこまで頑なに答えを待ったのか?

ここからはどうしても仮説になってしまうが、さきほどの戦争のセリフを全文載せると

「君にあとちょっとの勇気があればあの娘を救えたかもしれないのに。

彼女は待っていたんだよ。

不気味なくらい優しくて驚くほどつまらない。

この世界って君そのものだ」

と言っているが、この「不気味なくらい」はこだまにも掛かっているのではと思う。

実際に音で聞いてみると戦争は「彼女は待っていたんだよ。」から間髪入れずに「不気味な〜」といい、「この世界って〜」のところでは少し溜めていて、この音感でしか伝わらないこの独特の間の取り方は、やはり彼女を意識しての発言であると感じた。

だからこそ、戦争の言う「この世界って君そのものだ。」とは彼女を含むこの世界(ヤマビコの内的世界=作られた世界)そのものだとも考えられる。

作り手の俯瞰

つまり、こだまも戦争も、全てヤマビコの内なる葛藤の象徴として、内的世界に登場したのではないだろうか。

こだまは万能の力を持ちながら、ヤマビコに対してどこまでも優しくしてくれる。

ただ、ヤマビコが前に出れないように、こだまも最後まで前に出ることはなかった。

そうして、気づかぬ内にその内的世界に閉じこもり続けた。

しかし、そんな世界へやってくるのは、倒せば終わりというような答えがわかっている物語的問題ではなく、内なる問題、つまり自分自身が変わらければならないという自己の戦争がやってきてしまう。

自己の戦争とは、「国家と私」でも話した死にゆく国、コミュニティに対して、このまま作品を作って、その世界にのめり込んでいるだけで良いのか?そこから抜け出せない自分は何なのか?と自問してしまう作り手にとっての”私”として、切実な問題がやってくることであった。

だから自己の戦争の前には、自分が作り上げた成果物は無力で、全てが為すすべもなく綻んでいく。

仮に自己の戦争に打ち勝っても、今までの世界にはもう居られなくなる。

だからこそ、作者は変わることを恐れてしまう。その世界を愛しているから。

それはつまり、自分が生み出したこだまを絶対視し、愛してしまい、そこから抜け出せなくなってしまったが故に、自己の戦争という嵐が吹き荒れても、最後の最後まで手放すことができなかったヤマビコそのものである。

それは、ヤマビコの「ヒカリを受けていたかった。」というセリフからも、その理想化された世界を享受し続けるために、この世界が病に侵されても、本当の問題と向き合わず、ジリジリと進む危機の中で、同じ生活を送ろうとしたことにも出ている。

なので、ヤマビコが破滅が来ることに理不尽さを感じて戦争に詰め寄るも

「分かるよ君の言いたいことは。だけどしょうがないんだ僕ら切り捨てられた存在はね。僕らに選択肢は無いんだよ。」

戦争はヤマビコに、その嘆きは言ってもしょうがないと説き伏せ、受け入れがたい本当の問題だけを告げる。

また、”切り捨てられた存在”というのもキーワードで、それは漂流した者を指している。

そして漂流とは、実世界から消えて異世界に来てしまうという現象であるが、元の世界の自分は消滅しておらず、漂流元と漂流先に自分が2人存在していることが6話で判明する。

つまり、自分が漂流した世界と、漂流していない元の世界がある日、独立して分岐したということで、帰ろうにも世界の仕組みとして帰ることが出来ないことになっている。

元の世界は何も変わらず当たり前のように進み、そこへ漂流を体験した人間が帰ることを許していないのである。

そして、SonnyBoyの公式twitterでは住所欄に、作品の内容と合わせて「ここではないどこか」と記載されている。

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この「ここではないどこか」にいるという感覚は、実世界において自分が存在しているようで存在しない、つまり存在が空気になってしまっている状態に近いと思う。

つまり、他人と協調していく内に、都合のいい他人を演じ続けることで、いつの間にか、この世界に存在しているようで存在しなくなってしまったことを”漂流”という現象に見立てて表現しているのではないかと思う。

そうして、切り捨てられた存在となっていき、そこからどうすることも出来ず、正しいと思ったことすら言えず、そのまま死が近づくことを、何もできず、ただ眺めることしか出来ない状況は、今の私達の状況に非常に近いと感じる。

そして、この鬱屈とした想いがあるからこそ、それを届ける手段としてこの作品が成り立つのだと思うし、それこそがヤマビコのセリフ

「まだ間に合う。」

として届けようとしているのではないかと思う。

そして、その想いが作品、世界、社会、私の問題を超えて、「SonnyBoy」として完成したということは、この作品の今後は、動くことの出来ない人たちにとってのアンサーがあるのではないかと期待してしまう面もある。

しかし、頼ってしまっては逆戻りで、答えや実践は自分で見つけていくしかないのも事実。

だからこそ、この作品があったことで少なくとも、考える切っ掛けになったと思うし、そこから得たものは、確実に今までとは違う”何か”(今本当にすべきは何か、少なくとも現状維持ではない何か)だと感じている。

なので、今作の「このままではマズい」という危機感に対して、「考えすぎ」、「苦しいことなんて忘れていたい」、「日本は平和だから問題なんて無い」と思って意見が合わなくなる人が出るのも正直仕方が無いと思う。

こればかりはどうしてもそうなる。非常に思想がハッキリしているが故に意見は別れる。

だからこそ、一度見た人、これから見る人の中で、惹かれるモノがあると思ったなら、それは正解だと思うし大事に掘り下げてもらいたいと思う。

そうして、そこから何か変わることが出来るなら、まだまだ希望は残っている。

「まだ間に合う。」







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