紙さま #秋ピリカグランプリ応募
糸氏家は代々「紙さま」を祀る社の宮司を務めている。
物心ついた頃自らの性に違和感を覚え、男児が偏愛する車や棒を好まずに女児の遊戯を愛した紙音は、この家で三つ下の妹と姉妹として育った。
「紙さま」のご神体は古い巻物だ。巻物は後世になって表として作られたもので、中に挟み込まれた紙片が真のご神体と言われている。昭和の頃に一度調査が入ったが、損傷しており開くこと叶わず、以後、中は誰も見たことがない。
紙音は幼い頃から「紙さまの声」を聴くことができた。
『魔女の宅急便』の挿入歌を聴いた時、「これは私のことを歌っている」と思った。「小さい頃は紙さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた」。「神さま」のところは、長いこと「紙さま」だと思っていた。
紙さまは紙音と波長があうのだそうだ。紙音に「憑いて」一緒に学校に通い、今では現代語の会話や読み書きに精通している。
長い間この宮を守っているが、声を聞き、姿を見たものは紙音だけだ、と紙さまは言う。
「それだけあなたとは、縁が深いのだろう。話しておきたいことがある。いとーじ、しおん」
異国の美貌を持つ紙さまに名を呼ばれると、自分の名が外国語のように聞こえる。
社の中で紙さまと対峙し、いつもとは違う様子に、紙音は居住まいを正した。
紙さまは、絹の道をたどってはるか遠い国からやってきた。
仕えていた姫君が結婚を嫌がり泣くので、一緒に逃げたのだ。
追っ手を振り切って乗った船が嵐に遭い、命からがら、貧しい漁村に流れ着いた。その時手を差し伸べたのが糸氏家の先祖だ。
紙さまは姫君と山の奥深くに身を隠すと、助けてくれた礼にと紙の作り方を伝え、製法は他には漏らさぬよう一家相伝とした。その紙は絹のごときしなやかさで、密かに渡来人から仕入れたと都で売り、村の糧にした。
漉いた紙に紙さまは、かつて姫君として仕え、今は妻となった女性の艶やかな姿を描いた。それに「あな、なまめかし」という評判が立つと、伝え聞いた欲深い豪族が妻を欲し、無理やりに連れ去った。
屈辱に耐えかね妻は自害。絵姿の切れ端だけが戻された。
半ば燃されて。
「では、あの巻紙の中の紙は」
紙音が問いかけると紙さまは頷いた。
「悲嘆に身罷った夫を不憫に思ったのだろう。糸氏の長が残った絵とともにここに祀ったのだ」
自分のことを、夫、と言う紙さまは、以来、糸氏家とこの一帯を護っているという。
「舞を。あなたの舞は心を慰める」
紙さまの声に頷くと、紙音は、舞の衣装である金糸の鬘を被った。姫君に心を重ね合わせ、古くから糸氏に伝わる舞を舞う。
金糸がしゃらと鳴るたびに、紙音は、姫君の金髪を思った。異国の拍子と音階が耳の奥に響くが、それは紙さまが奏でるものか。音は一度も聞いたことはない。
その妙なる調べ。
紙さまが舞を見つめる瞳は、限りなく優しい。
その瞳を見るたび紙音は、胸が張り裂けそうに切なくなるのだった。
了
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