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創作大賞感想文【エロを小さじ1/半径100m】

前半がネタバレ無し、後半がネタバレありになっています。
ネタバレタグをつけると、避けてしまう方もいらっしゃると思うので、先に断り書きをつけることにしました。よろしくお願いします。

 今年は創作大賞、どうしようかなあ、と思っていた。
 特に今年はガチ勢の祭典になるはずで、文フリで力尽きてしまった私は見送るしかないなあ、と思っていたのだ。
 で、諸々省略するけれども、京都に行った(省略しすぎ)。
 そこでどういうわけか変なエナジーをチャージして、創作大賞の片隅で「踊る女」になることに決めたのだった。
 「文学フリマまつり」の後、どうしようかなと思っていた「創作大賞まつり」に行ってみることに決めた、そんな感じだ。

 そのお祭りの楽しさを、まず最初に身体を張って示してくれたのが半径100mさんだった。「創作大賞まつり」の会場がどうなっているのかな、とサイトを覗いてみたら、そこでガンガンにカッコいいパフォーマンスを繰り広げている半径さんの動画が投稿されていて、うわまじか!すてきすぎる!らぶ!、と目がハートになった感じだった。
 同時に「レベル高すぎて私には無理・・・踊れない」という気持ちにもなったのだが、そこはお祭り。みんなウエルカムである。片隅でこっそり踊ったってばれやしない。それより楽しもうよ!という雰囲気が大事だ、と思った。私にとって、その「楽しもうよ!」の空気を送ってくれたのが半径さんだった。

 タイトルが攻めている。トップ画も「おらおら」している。このコンプラに息苦しくあえぐ世の中に、いきなりのお色気をぶっこんできたのである。
 でも私は知っている。半径さんが「ただのお色気」なんかぶっこんでこないことを。

 私と半径さんとのおつきいは、そんなに長くはない。半径さんを知ったのはシロクマ文芸部さんに入ってからあたりだから、昨年末くらいだっただろうか。遅すぎる。私はいつも、遅いのだ。
 最初に、半径さんの「物語の確かさ」に目を奪われた。私は初めてnoteにお邪魔した時にはできるだけプロフィールや最初の投稿などを読むのだが、プロフィールを目にした時に、タダものではない、と思った。上から目線からではない。もうほんとに、こりゃ大変だと思ったのだ。
 なぜならプロフィールで性別だけでなく、生き物としての種別もわからないのは初めてだったから。
 いくつか読み進めると、半径さんの実力に定評があることや、多くのファンを持つ人気noterさんであることはすぐわかった。
 
 私がその思いをぐっと深めたのは、このお話を読んだときだった。

 ああ、わたしの目こそ、穴でした。———私の目が、穴でした!そう思い、私はこの物語に、このようにコメントした。

目の穴。どんなお話だろうと思いながら読み、途中で疑惑が浮かび、ハラハラし、そして最後には鳥の目の穴を通してすべてを見ていた自分の目が穴だったと気づく――すごい!!と思いました✨

 半径さんの物語は、この「あなたの目が穴ですよね」を突き付けてくるものが多い。王様の耳はロバの耳ですよね。王様は裸ですよね。そういう視線だ。
 華麗なるどんでん返し、とか、そういうものとはちょっと違う。もちろんそういうお話も多いし、テクニックやレトリックといったものも、もちろん素晴らしいのだが、物語の中でのどんでん返し、だけではなく、読む側、読者にどんでん返しをつきつける「確信犯」だと思っている。

 こちらの物語もそうだ。この中には「尾も白い犬(カツヤさん)」が出てくる。この犬の視線が常にある。そして主人公と、彼女に洋服を依頼して年輩女性へのインフルエンサーとなる女性のやりとりを常に見ている。そしてその犬の視線は、読者の視線でもあり、カツヤさんの視線でもあり、そしてその犬とカツヤさんは、読者を見ているのだ。

 この視線の魔力というか、魅力に取りつかれた人は多いのではないか、と思う。コニシさんが「半径100メートルの円の中に入ったら」という、この「エロを小さじ1」の感想を書いていらっしゃるが、それはまさに半径さんの射程距離を示している。スタンドで言えば近距離パワー型のスタンドである。

 さて、この満を持しての創作大賞候補作、『エロを小さじ1』。
 私は感想文はネタバレ前提派である。だからこれから壮大にネタバレをする。もし、この後『エロを小さじ1』を思い切り楽しみたい、と思われている方は、ここまでで。

 未読の方にひとつ言い添えるとすれば、一度半径100mさんの射程距離内に入ってしまったら、容易に物語の魅力から抜け出せない、ということだ。連載の時は早く次が読みたくてうずうずした。一気読みできるのは幸せだ。ぜひ、物語の中に引きこまれて、一緒に体感し、半径100mさんの視線をぞんぶんに味わっていただきたいと思う。作者ご本人が最初におっしゃるように、エロは出てこない。残念だ。でもエロティシズムそのものを鋭くメスで切り裂いている。そういう面白さだ。
 では、物語の世界へいってらっしゃいませ。


 


 『エロを小さじ1』は、ひとつの「詐欺事件」を群像劇によって描き出している。だからといって、ただ犯罪を暴く話ではない。
 
 この物語の「詐欺」は非常に巧妙で、おそらくよほど全国津々浦々で同じ「エロティックの素」で長期に渡る「巡業」をしない限り、捕まることはなさそうだ。「エロティックの素」開発販売者である小早川夫妻は実にしたたかで、しくみは同じでも同じ商品は扱わない。ある程度儲けたら海外で素敵な余生を過ごすのではないか、と思わせる、詐欺師ドラマ、『コンフィデンスマンJP』みたいな詐欺師夫婦である。
 
 確かに、小早川夫妻は金もうけを企んでいる。中身が不明な(おそらくは人畜無害な)「エロティックの素」を、夫婦で分担して妻側=女性、夫側=男性に「それさえあればモテる」と思い込ませ、テレビ通販でお馴染みの手法「通常なら2万円だが特別価格の1万円で」売りつける。それだけならすぐ綻びが生じてしまうところだが、夫妻のすごいところはそこからだ。
 まず、会は男女同時にそれぞれ別の場所で開催。参加したメンバーの詳細な情報を夫婦で交換し合う。マッチングアプリのようなことをしているのだ。そして「予言」のようなものを、彼らに与える。
 女性には「エロティックの素をふりかけて電車に乗ると男性に誘われる」と言い、男性には「このようなアイテムを身に着けたこのような特徴のある女性があなたの運命の相手だ。エロティックの素をかけているから断られることはない」と言う。
 そして「場所」と「特徴」を与えられた半信半疑の男女は街に放たれ、「場所」と「特徴」に合致する相手を見つけると、「あの女性が運命の相手だ」「男性に声をかけられた」と信じ込み、「エロティックの素」の効果が証明される。

 そこで必ずしも恋愛に発展しなくても構わないのだ。そこから先は本人たち次第で、エロティックの素の効果が一時的にでも証明できればそれでいい。一度の成功が、疑う心を奪う。典型的な詐欺の手口だ。
 そしてここが肝心だが、「エロティックの素」は、「プラセボ(偽薬)であってもそれぞれの男女に自信を与えている。「あなたはこれによって魅力的になった」という暗示が、どれほど恋愛を成功に導くかもまた、彼らは計算済みなのだ。
 そしてメンバーの人間観察も怠らない。少しでも疑いを持つ要素のある人間が紛れ込んだら、その土地からはドロン。

 この物語の秀逸なところは、ピカレスクロマンを暴く側から描いているところだと思う。というと、普通のミステリはそうではないか、犯罪を暴く側から描くものではないか、と思う方もいると思うが、この物語は、ちょっと変わっている。
 ピカレスクロマンは「悪役」に主軸が置かれ、暴く方は騙されることを体現し、「やられた!」と歯噛みするだけである。しかしこの物語は、暴くほうに主軸があるのに、騙されて悔しがらない。「悪役」のはずの小早川夫妻に憎しみの気持ちが湧いてこない。

 妹が騙されていると思った春香と、父親が騙されているとにらんだ池上貴明は、この講習会のしくみをあばいてやろうと講習会に乗り込む。
 その「からくり」を知ったときには夫妻は逃亡、警察に連絡するのだが、春香と貴明はその「からくり」で出会っているため、ある意味特性が同じタイプで、マッチングはばっちりなのである。

 食べ物の趣味が合う人と向かい合って座る、食べる、飲む、話す、笑う。食べ物と二人の間の空気が絡まって、喉を伝い内臓に到達する。
 これこそがエロティックというものではないか、と春香は心の中でにやにやと笑っていた。

『エロを小さじ1』最終話より

 それでもその後にオチはあって、春香は貴明に惹かれるものの、貴明は別の人を好きになってしまい、ふたりはよい友達どまりで恋愛関係には発展しない。貴明はまさに「絶対騙されない人」だったわけだ。もし貴明が女性が好きな人であれば、春香も貴明も、ひょっとするとミイラ取りがミイラになった可能性はある。

 いっぽう、騙されたことを知った貴明の父は、

「ほぉ、下手くそなミステリー小説みたいな展開になったな。タイトルは……」
 焼酎に梅干しを入れてつぶす。
「エロを小さじ1、とか」

 と呟いている。
 騙されて、悔しがるわけでも怒るわけでもない。
 小早川夫妻のしたことは犯罪行為なのだが、それによって起こったことが必ずしも悪いことではない、と言うのがこの物語の面白さだと思う。

 人間は騙されやすく、暗示にかかりやすい。
 王様の耳はロバの耳ですよね。王様は裸ですよね。エロティシズムというのは、恋愛と言うのは、あなたの思い込みですよね。というのが、半径さんの視線である。
 
 ラストシーンは、めげない小早川夫妻のコンフィデンスマンなカットで、どういうわけか、妙にスカッとする気持ちになる。
 半径100mに入ったら射程距離内。
 小早川夫妻の口からもそう聴こえてきそうである。
 
 
 
 

 

 

 
 
 

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