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もう若くないサムライの話

小学校のころ、国語の教科書に載っていた三島由紀夫氏の顔写真と、小学生の私がとても似ていた。そのことに気づいたクラスメイトから、面白がってからかわれていたが、単元が終わるころには話題にものぼらなくなった。

そんなことも忘れかけていた大学生の時、ある先輩からこの本を読んでおくようにと、三島氏の著書「若きサムライのために 1996年 文春文庫」を渡された。先輩から大切な何かを託されたような気がして急いでページをめくったのを今でも覚えている。

1970年に自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺を図った三島氏は、古典文学や思想、古来の礼儀作法など日本の伝統を重んじるラストサムライであり、読むだけで身が引きしまるフレーズが本書には散りばめられている。【以下引用】

危機というものが男性に与えられた一つの観念的役割であるならば、男の生活、男の肉体は、それに向かって絶えず振り絞られた弓のように緊張していなければならない。
小説家にとっては今日書く一行が、テメエの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、どうして今日書く一行に力がこもるかね。

生と死を行き来する抜き差しならない内容だが、人間味あふれる一節もあり、そこがまた魅力的なのである。

野心家こそ、作法を守るべきなのであり、また、人との関係に於いても、普段、作法を守っていればこそ、いったん酒が入って裸踊りのひとつもやってのけたときには、いかにも襟元を開いたように思われて相手の信用をかち得ることができる。普段からだらしがなくては、だらしがない姿を見せても人がツーともカーともこないであろう。

おすすめの本を紹介されたり贈っていただいた経験があるが、こんなパンチの効いた本にはなかなか出会えない。先輩から託されたメッセージとして、若くはなくなったが読み続けていきたい一冊である。

最後まで読んでいただきありがとうございます。これからも本好き、読書好きのエピソードを紹介していきます。

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