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「僕にとって写真とは。」--写真が飽和している時代だからこそ、僕は飾らない自分からでたゴミを投げ続ける。

こんにちは!YOSHIHIROです!

今回はちょっとヘビーな内容になっております。僕の中の感覚の話しや、欲求の話しを曝け出して書いてあるので何も着飾ってない言葉たちが見苦しいと思いますが、ご了承ください。その分、リアルなこと書いてます。表現についても感覚的に書いているので分かりづらいかと、、ではではお楽しみ下さい!それでは!

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私にとって写真とは。
表現であり、絵を描いてるような事であり、深さの探究でもある。自分の好きなものをガチャのようにランダム性を持つ時もあれば、狙って撃ち抜くこともある。本当に写真が好きで好きでたまらないのかと言われると少々ドライになるのが分かる。写真が好きと言うより、風景が写真の目になる時や、高まる瞬間が好きなのかもしれない。私にとって写真とは目的でなくて、自分が気持ちよくなるための手段なのかもしれない。

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以前noteで書いたように、決して上手いことは無く褒められるものではないのだけれど、そこに自分なりの思想だったり考えを持たせている。と言うことを書いた。そのことからやはり探求することの手段なのだろう。こうして考えている時の脳の快感は好きだし気持ちがいいからまた撮ろう。また書こうと思うのだと思う。

まあここら辺は当分変わりそうの無いもので、写真を撮る上で自分の中の核にあたるものかと思ってます。

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もう少し話していきます。この話になった時、同時に我々はなぜ写真をSNSにアップするのかと言う疑問が出てきましたた。つまり、写真を撮ることだけでなく撮ってからの行動のことです。
SNSにあげるために撮るのか、それとも撮った延長線上にSNSがあるのか。この違いは大きい。僕が思うに本当に写真好きな人は後者なのだろうと思うけど、実際は分からない。今からそこに少しピントを合わせてみたいと思います。私にとっての"写真とは"よりも、広い意味での"撮る"ということとは。の方がふさわしいかもしれないです。その"撮る“の秘密が隠されている可能性があります。解明して”現状の答え”を見つけていきたいと思います。

これらに関しては、どちらがいいとか悪いとかを言っている訳でないではなく、ただ自分はこうだと言う。それだけのものです。

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そこで、僕のポジションを明確にしておきます。上記の答えは前者であり後者。(笑) なんだよそれってね(笑) 

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ではなぜそもそも、SNSに載せるのでしょうか。
人は何かを共有をしたがります。僕はそうです。だからタグをつけるし、ネットにあげる。そもそもなぜ共有したがるのかは今は置いておきましょう。明確な答えは私は知りません。で、その際に得られる承認欲求や感動や伝えたいこと、自分はこういう人だよ!って意思表示等が含まれます。自己ブランディンにも使います。こうした欲が行動を促しているように思えます。僕はそれが無いかと言えばもちろん嘘です。承認欲求はありますし、こんな人です!って伝えたいと思ってます。

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そうでなければ別にSNSにアップしないで、1人で楽しめばいいのではないの?って言う話になってきます。でもそんなことはしないですよね。インプットしたものや、自分の表現は単に人に見て欲しいと思うものです。

じゃあ自分は何を思ってSNS、noteに書いてるのか。と考えてみると、noteに関しては自分自身の考えてることや表現を伝えたいと思う気持ちと、未来にきっと読んだり見たりしてくためのログだったりとする。ログだったらメモでいいし去年までの2年間はそうしてきた。見返して、忘れてしまった今の自分に大切なことなど書いてある。けれど、noteに書くのは自身を知ってもらうためでもある。ログでもあるから自己中心的な書き方だし、見てもらいたい欲はあるから書き方は他者に書くように書いている。

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話を写真に戻すと、何を持って載せているのか。と言う問いに対して、アイデンティティの話しにも繋がるのだけど、僕の写真が誰かに刺さればいいなって思うし、これが好きなんだ!って意思表示でもある。それはゴミなのかもしれない。と思うことあって、自分しか好きなもので、投げかけても反応のないゴミを撮り続け投げ込み続ける意味はあるのかな?って思ったことがあったんだけど、写真の溢れた世界に同じような写真はすでに飽和してる。マット調にしたりフィルム風にしたりとそれが好きならいいんだけど、統一するために使う事に本当の意味の芯が感じられ無いし、もう飽きている。同じような写真はもう見飽きてしまった。ゴミを投げ込み続ける意味はここなんだろうと思う。ただ前文にも書いているが、やはりウケることは無いんだろうし、いわゆる成功的なのは程遠いと思う。それでも自分の表現だし共有したいし、分かる共有できる人が少しでもいればいいと思ってる。みんなはフレンチ食べてくれればいい。僕はイナゴで野暮だから、好きな人に好かれたい。僕にとって撮るとは、写真とはそんな感覚です。


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正直、ここまで書いてきて、好きに理由なんていらないし、好きを言葉で要素分解しようとしたら、結果として言葉に縛られて非常に苦しいと思うし欲に対して素直になることができないのでは無いかと思っています。いいね数をKまで持っていっても自分がなければ苦しくて、壊れてしまいます。僕がそうでした。あなたにとって写真って何ですか?なぜ撮るのですか?

大変に角の立つ言い方や話になってしまったんですが、ここまで見てくれた人は少なくとも個々人の考えを受け入れることができる方達であると思う。

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また、何を言うのかでなく、誰が言ったのかと言うバイアスにかからない人たとだと思ってます。そんな方々にフォローしてもらえると大変嬉しいです。数よりも濃い関係性が僕は好きだし、そんな人たちに何か提供出来たらとは思います。今回の話を一人ひとりが自分の頭で考えて吸収して何か身になればいいなと思ってます。

みなさんにとって写真とは、写真を撮ると言う行為とは一体なんでしょうか。

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以上です!

ーーーーーーーYOSHIHIROXXXーーーーーーー

文字数を確認したら2700字でした。笑

ここまで読んで頂きまして、ありがとうございます。全く休みのない日が続いてしまってnoteを書くメンタルになりませんでした、、やっぱり体も、心も休みは必要ですね!島根行ったのでそのうち載せていきます!

ちなみに、になりますが、明確にSNSに載せるために写真を撮りに行くというアクションを起こすことはあります。しかし、撮っている時はそのことを考えることはまずありません。撮り終わって載せるものの選択をしていきます。バエそう!で撮ることはほんと無いです。この撮り方してみよう。このレンズに相性が良さそうな風景、エモい!って思えるものを探してます。その場の様子から1枚1枚、その子に合った表情にしたいと思って、色合い温度感など常に変わります。故に統一感はないんですね。

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YOSHIHIROでした!またね!

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