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見直しが、新たな発見を生む

前回の記事でアドベントカレンダーを完走したと思っていましたが、勘違いでした。そんな勘違いが多くなってきた年頃なのか、「見直すこと」の大切さを日々実感しています。

自社の理解促進のためのWebコンテンツを企画しているのですが、自社への理解促進なので、当然ながら自分自身の自社への解像度を高める必要があります。

そのため、入社前にも、入社後にも何度も読んでいるはずの「チームのことだけ、考えた。」を改めて読み直してみたところ、なんとなく理解していたと思っていた部分に対して、新たな発見がありました。

例えば「質問責任」と「説明責任」。サイボウズで大切にしている考え方の1つですが、これまで自分の中では、質問責任は「わからないことがあれば質問すること」、説明責任は「相手に納得してもらうためにわかりやすく説明すること」という解釈でした。

ただ読み返してみると、質問責任には「質問した結果、自分の理想が叶わなかったとしても受け入れる責任」、説明責任には「説明した結果、批判があったとしても受け入れる責任」までがセットで、受け入れる責任までは明確に認識していませんでした。

この一文も、過去に何度も読んでいるはずなのに、なぜか記憶として定着していなかったようです。例に挙げたもの以外にも、前回読んだときは引っかからなかったけど、なぜか今回は引っかかる箇所、がいくつもありました。

一説によると、人間の記憶は静的ではなく、時間によって変化し、新しい知識や経験によって再解釈される。再解釈した後では、同じ文章でも以前とは違う見方をすることがある。これは新しい視点を持つようになったことで、物事を深く理解するようになった証拠でもある、とも言われているようです。

そうなっている自覚は全くないですが、なっていればいいなとか考えていると、過去に感銘を受けた「読書について」という本の、好きな一節を思い出したので引用してみます。

紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。

ショウペンハウエル「読書について 他二篇」斎藤忍随訳 岩波文庫 1960年 129頁

一度読んだだけではやっぱり理解はできなくて、理解するには歩行者が見たであろう景色を見る必要があるのですが、知識や経験を積み重ねることで、少しずつ、少しずつ、その景色の片鱗を見られればいいなと思うのでした。

Webサイトのコンテンツでも、構築時には特定の考え方で制作したものが、いま見直してみると少し違った視点が見えることがあります。新規コンテンツ制作は楽しくて、ついつい重視してしまいがちですが、メンテナンスやアップデートも同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのではと改めて感じました。

この年末年始、積読を消化するつもりでしたが、本棚とにらめっこして、過去に読んだ本も手にとってみたりしようかなと思いました。こういうので永久に積読がなくならないのだろうな。

今度こそ、担当分のアドベントカレンダーは完走!


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