見出し画像

テーマパークと神社との共通点?

神社作った人すげぇー!  と思ったので自分なりに書いてみました。

おかげ横丁(伊勢神宮の通りにある商店街)やUSJ、ディズニーなど周りを見渡すと、その世界観から抜け出さないようにするテクニックがある。それは完全な世界観に没頭できるように、目を背けさせないような作りになっている。
おかげ横丁に行った時、周りは古い民家のような建物に統一され、まるで江戸時代にいるような感覚を持つ。ディズニーもUSJも世界観の作り方は同じだろう。

よく考えれば、神社も全くそうである。伊勢神宮の入り口を例にすると、まず橋があって、その先が鳥居になっている。まさに俗世界から遠い、神聖なそして神秘的な世界に浸っていく。

神社は木を使い、外部の刺激を抑えている。エンターテイメントでは建物がそれだ。こうした働きによって周りはいつもの現実とかけ離れているように思うのだろう。

岡倉天心著、茶の本では、お茶も入り口は俗世界から離れさせる演出のために、木々を植え、周りを遮断していると書いてあった。
それをかなり昔よりサラッとやってのけている神社は本当に凄い限りだと感心する。


ちなみに神社が優れているのはそこだけではない。
まず端を歩く(場所で異なる)、鳥居に入る時に一礼をする。そして手水舎にいき、右手で尺を持ち、左手を洗う。そして、左手で尺を持ち変え、右手を洗う。再び持ち替え、左手に水を溜め、口をゆすぎ、左手を洗う。そして尺を立て洗い流す。神前に行き、お賽銭をあげ、ニ拝ニ拍手一拝。

長くなったがこうしたお作法を一つ一つこなしていけばいくほど、神という存在に近づくという心を作り上げて行くのだろうと思う。

余談ですが、1つでもお作法をおこなってしまったら一貫性の法則(自分が1度ポジションを取ってしまったら、そのポジションを変えようとしないという法則)が働き、より世界観に没入しざるを得ない。そして極め付けに誰かからすごいですね!偉いですね!なんて言われたら不信仰な態度なんてそうそう取れないでしょう。そのように演じてしまう。以上余談でした。

多分その世界観はワンマンで一方通行で行なってはおらず、みんなで作り上げている雰囲気が少なからずあると思っている。USJのホラーナイトはまさにみんなで作り上げた傑作だと感じた。キャストの力はもちろんだが、本気で怖がったり逃げたりしている。もちろん一定数その空気の逆をいく人もいる(笑)
そうして作り上げた世界は熱を帯び、人々に魅力を与える。

んーほんと良くできたシステムだと感心感心。

神社は岩だったり木だったり、自然に対するものもあるので、木々で囲むシステムはもしかしたら偶然、そして、今になってより際立ったのかもしれませんが、とりあえず神社すごいな!と思った事でした。


ー 書いてみて ー

こうした仕組みだったりを知りたくて見ていると、基本そこに目がいってしまって純粋な楽しみ方をしなくなっているな〜なんて思っている今日。と、言いつつも何となく自分で腑に落ちた時の楽しさと言ったら格別違うものでして、辞めれそうにないんですね。(笑)
あまり文を書かないのでいざ書き出すと、まとまらず、思いつくままに書いて、着地点を見失う事にも気付けました。
ここ最近、超自己満の世界に浸る事が多くて、Instagramでも自分で撮った自分が好きな写真をアップして、且つInstagram向きでない写真をアップして勝手に個展してるのですが、案の定、いいねの数は伸びず、しかし、それが心地良かったりしてます。またいつか共感と承認の違いをInstagramでどう分けていくのかを、自分なりに書けたらいいなと思ってます。

長くなりましたがありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?