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デジタル化は人間にどういった一仕事を残すのかということが重要なんじゃないか

こんにちは。Web関係の会社やコミュニティをやっている和田といいます。幸せに仕事をしたいなぁという思いが昔から強くて、幸せ感ってどうやったら出るんだろうなというのを個人や会社、コミュニティなど多方面で考えるなかで、最近、キーワードは一仕事(ひとしごと)なんじゃないかなと行き着くことが増えたので書いてみようと思います。

分業は人間しかできないけれど幸せ感を感じられない

一仕事とは、頭からお尻まで一通りのことを自分で把握してやりきりる、ということです。対義となるのは分業で、企業で働く人のほとんどの人はなにかしら分業していると思います。生産力を上げ、機械化を進めて、単純な作業はあらゆるテクノロジーで代替し、人は分業された仕事を管理することが近代化です。

私が経営している会社はWeb構築やデジタルマーケティングなどをやっていて、ディレクターが多い会社です。会社のポジションは、分業の間をつなぐようなことを得意としていることもあって、目的を意識するためによく聞くレンガを積む話なども引用したりしていました。よく聞くこれです。

1人目の労働者は汗と泥にまみれて仏頂面をしていました。
通行人が「あなたは何をしているのですか」と尋ねると、彼は「見ての通りレンガを積んでるんでさあ」と答えました。

2人目の労働者も同じように汗と泥にまみれて仏頂面をしていました。
通行人が「あなたは何をしているのですか」と尋ねると、彼は「時給2ドルで働いてるんでさあ」と答えました。

3人目の労働者も、やはり泥に汚れて汗まみれでしたが、希望に燃えたいきいきとした表情をしていました。
やっている仕事は他の二人と同じなのに、彼はそれを嬉々としてやっているように見えました。
通行人が「あなたは何をしているのですか」と尋ねると、彼は
「いま自分は大聖堂を建ててるんでさあ!」と答えました。

そうはいっても、ベルトコンベアーから流れてくるものを右から左にただ動かすような仕事は、部分から全体を見通すのは難しいですし、想像することに受動的でいると、人は隣の人がなにをしているのかも興味がなくなるものです。

近代化が進み合理的であろうとすると分業は進む。部分から全体を想像するという行為は人間しかできないことですが、「分業」も人間しかできないことなのだそうです。分業は仕事の合理化観点では人間らしいともいえそうです。ただ、予防医学研究者の石川善樹さんによると、分業は幸せに感じにくいそうです。合理的だけど幸せに感じにくい。たしかにこれはそんな気がします。

自分を例にとって考えてみると、私は、90年代後半のWeb黎明期からWebを作ることをやってきました。当時は、今のようにいろんな職種名もなく、「Webを作る人」というような人。役割定義なんてなくて、Webを作りあげるという目的を達成するために、電柱立てて回線引いたり、サーバーを立てたり、なんならサーバーを作ったり、デザインしたりプログラミングしたりとなんでもやりました。

仮説の通り、一仕事感に溢れていたからなのか、若かったから、新しいことだから、などいろんな条件が重なってますがとても楽しく幸せ感があったように思います。今はWebを作ることも大規模化、複雑化して、他の仕事同様、産業として安定化して合理化が進みして分業が進んでいます。となると、幸せ感も薄れて来たのか?これは困りました。

一仕事できる料理やキャンプ

日常的に一仕事できることってなんだろう?と考えると、料理なんかは全体を見渡せてハマる人も多いですね。私は、ここ2年ほど、キャンプにハマっているのですが、そう思うとキャンプはとても一仕事感があります。もしかするとキャンプブームにはそんな側面もあるのかしら?とも。

社会は理屈がわからない魔法の世紀へ

落合陽一さんは20世紀を「映像の世紀」、21世紀を「魔法の世紀」と秀逸な定義をしました。魔法の世紀を理解する上でマックス・ウェーバーとモリス・バーマンという二人の論が大事で、マックス・ウェーバーという人は「社会は脱魔術化した」と論じ、モリス・バーマンという人は「世界は再度魔術化する」と論じました。

脱魔術化とは、荒っぽくいうと、科学技術の発展で社会は合理化に進み、中身が明るみになっていくということです。再魔術化とは、むしろ科学技術が発展しすぎて中身がよくわからなくなるといったようなことだと思います。

それに対して、落合陽一さんは、機械学習やディープラーニングで出た結果は、統計的にこうなった結果はわかるが、なぜこの問題が解けるのかの合理的な説明ができない、といったようなことなどを例にあげて、それって魔法的だよねということで、そういった時代を魔法の世紀と定義しました。

こんな魔法の世紀だと、頭からお尻まで理解して一仕事することはとても無理そうな気がします。

どこで一仕事するのか

じゃあ、一仕事感を得るにはどうしたらいいのかを考えてみました。

1:主たる仕事
2:仕事(副業、複業)
3:趣味
4:コミュニティ

いろいろ考えてみて、一仕事感を得るにはこの4つくらいの方法がありそうです。

1:主たる仕事で一仕事する
先の通り、魔法の世紀的、資本主義のルールからいうと、いまここだけで頑張るのは厳し目の選択。(でも諦めたくはないのであとでここだけ深掘りしてみます)

2:仕事(副業、複業)で一仕事する
時代的に筋が良さそうです。経済合理性を最優先しない副業、複業の形は結構ありそうです。

また、ブルシットジョブはお金になり、社会的に必要とされるエッセンシャルワーカーは儲からず、リモートワークもできないといったようなことがコロナ禍で話題になりました。これはそのとおりで厳しい現実がありますが、エッセンシャルワークも一仕事観点で考え、副業や複業をとりいれたりするとなにか違う視点が生まれないだろうか、とも思いました。

3:趣味で一仕事する
趣味選びに一仕事感って観点をいれると面白いかもしれません。個人的には、キャンプ、特に焚き火がここ数年でとても楽しいです。

4:コミュニティで一仕事する
これも筋が良いかなと思ってます。多くのコミュニティは金銭的な利益を目的としていません。お金をもらっているからやるというのではなく、コミュニティの目的にやる、または、その共同体としての人間関係のためにやる、という関係。コミュニティには一仕事できるものが溢れています。コミュニティについてはまた別で書いてみたいと思います。

魔法の世紀のデジタル化は人間に一仕事させる設計が重要なんじゃないのか?

一仕事感が幸せになるポイントなのかもしれないという仮説なのに、主たる仕事(一番時間を使うものとお金を得るという意味で)が諦め感があるのが悲しい。こんなことをずっと考えてるのでポスト資本主義などについて考えちゃいます。

ポスト資本主義は大きいので、もう少し小さく考えると、デジタル化は、人間にどういった一仕事を残すのかということが重要なんじゃないか?と考え始めました。

魔法の世紀、再魔術化された社会では、すべて把握して一仕事感をがんばるのは難しそう。プロセスでわからないところはある程度諦める(笑)。単純なルーチン作業もテクノロジーに任せて自動化する。合理化を突き詰めていくと、人間は意味や意義がある「仕事」をしたくなる。この視点で考えるとサービス設計やDXなんかも変わってくるところもあるんじゃないでしょうか?

意味や意義は全体性から生まれる気がしていて、全体性は課題を見つけることや問いを立てるという人間しかできないことから生まれてそうです。どアタマから考えて、プロセスはデジタルを味方につけて、ちゃんと結果は見る。こんな一仕事が本業の仕事の未来なんじゃないかなぁと妄想しました。

この話を考える切っ掛けになった配信はこちら。

注意:はじめての一人配信かつ咳払いミュートできてなくて聞きづらいところが多いのでご了承くださいませ。

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