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「儲かるのに意義深い」から「意義深いから儲かる」へ

儲かるか、意義深いか

20世紀のトピックスは、市場価値と社会価値、つまり、儲かるか、意義深いか。この2つのどちらかの視座に「ウェイト」がおかれて議論されてきた。

たとえば、廃水処理にコストがかかるため環境に悪いとわかっているが、川に汚れた排水を流して生態系を崩す工場。廃水処理コストをかければ、赤字で継続できないコスト構造。一方では、環境に配慮するため、廃水処理にコストをかけているが、コストアップで売価も高くなり、ユーザーから選ばれず生きていくのもままならない。

「食べる」「生きる」といったキーワードが出たとき否定しにくい正義がある。そんなこといったって、死ねって言うのか!といった発言を真っ向に否定することは大変だ。市場価値と社会価値、どちらの「ウェイト」で考えるかは資本主義を採用する社会で、豊かさととても大きな相関関係がある。

2004年「学びたい…でも、その前に食べたい。」という秀逸なキャッチコピーとごはんで教科書を形どったWFP国連世界食糧計画のキャンペーン看板が会社最寄りの地下鉄の看板にあったことを強烈に覚えている。

お腹が減って、自身の安全も確保されていない人が社会のためと考えるのはとても難しい。国全体が貧しいときには、まずは食べるために、生きるために儲ける、市場価値のウェイトが高くなる。日本の高経済成長期に多く生まれた社会問題もここから来ている。

稼ぐことと社会貢献を「区別」してきた

20世紀では「儲かる」「社会にとって意義深い」どちらも両立することはむずかしく、議論をすればあちらを立てればこちらが立たずだった。2019年現在の日本でもどちらも両立できるビジネスはまだ稀有だ。だから、多くの議論はこのどちらかの視座によった二項対立となってしまう。

アメリカで財を成した人(特に金融は多い)が社会課題に向けた活動へ多額の募金をする流れが多い。これは、プロテスタンティズムの富の蓄積を戒めて再投資を促す倫理観が根底にもありつつ、儲けることだけでは満たされないもっと人としての根源的な欲求を社会価値として満たす側面があるだろう。

いまもITでプラットフォーム化されたサービスで富を築き、違うサービスへの再投資と同時にオープンソースへの貢献を行うことも同じような価値観なのではないだろうか。まだ多くの物事は市場価値追求と社会価値追求で「区別」されている。

ビジネスはそんな綺麗事ばかりは言ってられない。でも、そこで儲けたお金は社会的意義がある活動に募金や投資をする。広義には相互補完されてはいる。日本でもこういった側面はあるが、日本は三方良ししかり、同一性を高めたいと思う傾向が強いと思う。私も会社を経営しながらずっとこの同一性について苦悩しながら模索しつづけている。このメンタリティはこれから世界でも強みになるとも思っている。

マルクス、ウェーバーの時代から議論されてきているような話だけれど、未だにこれといった「次の主義」も価値観も解決策もぼんやりとしか見えておらず、先の通り20世紀的な二項対立となる議論が多い。ただ、1世紀あまりを過ぎて、少し明るい未来が描けそうな重要な変化が2つある。

二項対立を打破する可能性がある2つの変化

1つ変化は世界が確実に豊かになったこと。もう1つの変化は、インターネット以後のテクノロジー。

書籍『ファクトフルネス』の先進国分類でレベル4(日本はレベル4)にいるような豊かな人たちは市場価値と社会価値の重要度が拮抗してきているのが近年だろう。そのような人たちは衣食住で危機を感じることはなくなり、生活は豊かになり、結果、余暇が出来た。もちろん、局所的には異なる事情はある。ただ、それでも昔と比べて随分良くなった。

人は下位欲求が満たされると、自己でも社会でもより良くしたいという欲求が遺伝子レベルで組み込まれているのかもしれない。下位欲求の多くは豊かになることでクリアになるところがある。そして、スマホをみんなが持ったらサービスが変わったように、「みんな」といえる「量」でが変わると社会は変わる。

「儲かるのに意義深い」から「意義深いから儲かる」へ

社会価値が注目されるようになってきて、まず始まったのは、プロダクトを通して得られる価値が社会を豊かにしているのだというマーケティング的発想も多かった。いわゆるモノからコトへというやつを引っ張り上げることだ。市場価値を高めるために、意義を付加価値、ストーリーとしてつけたともいえる。

次の段階はまさに今で、モノやコトの本質を突き詰めていくなかで、そもそもなにを僕らは提供しているんだっけ?というところまで立ち返り、解決したい課題をビジョンや存在意義に落としていくことで、儲かるけれど意義深い」から「意義深いから儲かる」というところまでたどり着く事例も増えてきた。

意義深いから入ると、20世紀ではコストが高くなり、売価も高くなり売れなくなるという側面があった。ストーリーをつけて、インターネットで直接メッセージを伝えられるようになり、この企業を応援したいというファンが生まれてくるような形を実現できるようになった企業もある。インターネットによるブランドビジネスの民主化だ。これはこれでとても良い形だと思う。

ただ、やはり価格の影響はどうしても強い。このコスト課題もクリアし品質も保ち生産性も向上させられそうなテクノロジーがもう1つの変化、インターネットを含んだインターネット以後のテクノロジーだ。

「意義深いから儲かる」で大切なのは実は生産性の向上とコストが下がること

インターネット上の情報をベースとするサービスでは、いわゆる限界費用ゼロという世界がある。デジタルコンテンツの再生産はコピーできるのでコストがかからない(ここではあえてシンプルにいってます)といったようなもの。IoT、AI、ロボティクスなどを例とするインターネットと連携したテクノロジーでインターネットの世界でしか出来てなかったことがリアルな世界に染み出してきている。

こういった技術によって、品質を諦めることなく、生産性・効率性向上、コストダウンが同時にできる可能性が出てきている。結果、利益がでて余裕が生まれる。余裕が生まれると社会欲求へという流れ~という先に出したような流れだ。余暇同様、余裕があるということは書いていてとても大事なんだなと思います(笑)

社会価値からのアプローチでも、生産性を下げるどころか上げることができ、かつコストを下げて儲けられるテクノロジー。二項対立になってる議論があったら、どっちも解決する諦めなくてもよいテクノロジーはどんなものがあるだろう?という考えてみるとどうだろう。「諦めなくてもよいテクノロジー」だ。

豊かになって余裕ができて社会価値にウェイトを置くようになってきたこと、諦めなくてもよいテクノロジー。今まで想像しにくかったアプローチなのとまだ1つのテクノロジーだけではなく、いくつかのテクノロジーを掛け合わせることが必要なことから検索してもそのものずばりの答えはヒットしない。

二項対立になってる議論があったら、どちらも解決する諦めなくてもよいテクノロジーはどんなものがあるだろう?と想像、妄想してみる癖をつけてみようと思う。

先日、卵とコーンと飼料米を調べながらなんとも言えない課題感に苛まれたので別記事で妄想してみようと思う。

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