クリエイティブにおける「特別な瞬間」
練馬区立美術館で開かれている、練馬区独立70周年記念展「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法」を見てきました。「独立」の記念なんですね。
手書きのもつ愛おしさ
サヴィニャックのポスターを見ていると、心がほっこりします。それはどこからくるのかというと、人が手書きで描いたという温かみなのかなと思います。現在のビジュアルに溢れているIllustratorのシャープなラインに比べて、筆のもつ柔らかさをもった線は、愛おしさを感じさせます。そしてそれは、サヴィニャックという人が、その瞬間に存在していて、絵を描いているという事実から発しているもののように思うのです。ある「特別な瞬間」の痕跡を、今見ているという感覚。
時計を見ていると、時間は均一に進んでいるようですが、あきらかに他の時間とは異なる「特別な瞬間」というものがあるように思います。何かを作っているとき、その瞬間でしかできなかったというものがあり、それこそが価値なのではないかと思うのです。
ソニー・ロリンズが鳴らしたサックスの音には、その瞬間にそこに彼がいたこと、そこで音を鳴らしたという事実から生まれてくるものがあります。極めて高度にコントロールされていたとしても、リードの繊維一つひとつの振動は毎回異なっていて、同じ音は二度と鳴りません。その一回性というものは、けっして戻ることのできない時間のなかを生きている私たちにとって、なんともいえない、せつなさを感じさせるのかもしれません。
その瞬間にしかできなかったことの、どうしようもない魅力
今のものづくりでは、小綺麗なものを作りがちです。ノイズは極力減らし、ヴォーカルには音程補正を必ずかけるといっているエンジニアもいます。写真にはフィルタがかけられ、文章ですら極端に用語が統一されていたりします。その瞬間に生まれたことの一回性や生々しさ、勢いなどがどんどん消されていき、それが完成度の高さであるかのように思われているようです。自分自身を考えてみても、小手先の小奇麗さを求めてしまう部分は少なからずあります。
でも、ほんとうに心に響くものというのは、その瞬間にしかできえなかったもの、十分に検討され、訓練されていたものであっても、ある程度の即興性を含んだものなのではないか。そういうものに惹かれるという傾向をもっている人は、少なくないのではないかと思うのです。デジタルの時代には、複製できること、完全再現できることが重視されがちですが、即興性、その瞬間にしかできなかったことの、どうしようもない魅力をもっと活かしてもいいし、そうした魅力を感じ取る感受性をもっていたいと感じたのでした。
そして、その特別な瞬間のなかで存在したいと思うのです。
美術手帳
過去最大のサヴィニャック展で見る、生活に息づくポスターの魅力
写真も多くて、会場の雰囲気もわかる、良い美術展レポートです。一番上の写真右下にいる指をさしているキャラが会場のあちこちにいて、会場案内をしてくれます。かわいい。