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長女お小遣い制へ突入

小学3年生の長女はおもちゃ屋や本屋へ行くとあれもこれも欲しいと特に最近ひどく言い始めてきたので、月2000円のお小遣い制に変更になった。
すると、面白い変化があった。先日、小物屋に行くと「あつまれ動物の森」の動物図鑑の本があって、いつもの調子で買いたいと言う。その日は長女は財布を忘れたので、ママに2300円を借りてその本を購入し、家に帰って返すことになった。最近は、虫に興味が出ているようで、本も好きになり始めて、興味があることを持つことと本を読むことはいいことだというのもあり、借りてでも買うことになった。

家に帰ってママに2300円を返す時には寂しい表情を見せて、「もうあまりお金は使わない」と言う。お小遣い制になる前のお金の所有が登場するまでは物に価値を置いていたのだが、お小遣い制になり、お金に価値を置き始めて彼女にとっての価値が逆転しそうな時を目撃したということである。

お小遣い制になる前のお金の存在に置き換わるものとしては、ママにお願いするという労力だけであり、その労力がお金に置き換わったようなものであったと考える。そして、その物対お金について、お金の方がそれを持つことによって購入できるものの選択肢が多くなり、長女はそれをすでに感じているのかもしれない。

最近は、お金よりも信用の方が大事だという趣旨の本を読んだのだが、その本の中では、お金が万一尽きて、人が窮地に陥っても、最終的にはお願い、助け合いでどうにかなるというようなことも言っていた。そこにそれまでに築いてきた信用が高ければ尚のことその生き抜く可能性が上がる。

それがお小遣い制になる前の長女のお願いのみによる手段しかない状況と似ているところがあると思った。結局のところ、お金という信用の指標の一つの存在があるから、便利な反面、それに振り回されて本来の人生の中にでてくるいろいろなものの価値がわからなくなってしまうところがある。お金だけを貯めても使わなければ本来お金というのは何の価値もないものだということは忘れてしまいがちになる。

模範的な子になることが子供にとっていいとは言えないが、もし長女がいつも買って買ってと何も欲しがらずに、大人しくして、いろいろ親のために良いことをしたら、親の方から何か買ってあげようかと言うぐらいになると想像する。

良いか悪いかは別として、お小遣い制にすることによって、お金の価値とはなんだろうか、物や信用など本来人生で所有すべきものはなんだろうかと感じさせる出来事であった。

#お小遣い制 #お金#物#信用#教育

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