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物忘れ外来につれていく

いくら5分ごとに同じことを聞き返されても、私は「認知症だ」というし、弟は「ショックで不安になっているだけ」というように認識は違う。
しょせん素人だし、身内なので客観的な評価がしづらい。
かかりつけ医の見立てでも「物忘れはある」という認識だったが、専門医の診断が一番話がはやかろうと考えて、市内の脳神経外科に予約を入れた。

きれいな個人病院だが母の緊張はMaxのようで、血圧が見たこともないような数値だしトイレはいつにもまして回数が増えるし。
看護師さんの問診には「特に困ったことはない。自分ではできていると思う。」と想定通りの答え。そして看護師さんもさらっと流す。慣れてるっぽい。
自分の書いたメモの意味がわからず泣いて電話をかけてくるのに「困ってない」と答えるのは、困った事実を忘れたのか、それとも見栄を張っているのか。

診察室に入って先生が目の動きを確認して簡単なやりとりをしたあと、MRIと認知症のテスト(認知機能検査)を受ける。
私にもできることとできないことのヒアリングがあった。

両方の結果が揃って再度診察室へ。
テストのスコア的には軽度の認知障害〜認知症の入口という感じ。
アルツハイマーに見られる脳の萎縮はそれほど見られない。
それとは別に脳の血管と頸動脈に狭窄があり、特に頸動脈は一部が本来あるべき太さの2割くらいの細さに見える。

これが認知機能に影響しているとは言えないが、これを放置しておくと今度は脳梗塞ということになってしまうので、まず血液検査をして薬を検討することになった。

母が採血している間に、先生に状況を話す。
脳神経外科の先生なので父の話をするにも理解してもらえるまでが早い。
この先のプランニングをするためにも母の現状を明確にしておきたい、という目的も伝えられてよかった。

身についたルーティン(身支度とか掃除とか洗濯とか)はできても、短期記憶はできないし、複雑なことを考えるのも難しくなってきているはず、とのこと。
これからできないことが増えてくるので、父のことはもちろん、母自身についても誰かの手を借りなければいけないでしょう、という判断だった。
特に薬の管理ができていないことが問題で、血液検査後にいわゆる「血液サラサラ」になる薬を服用することになれば、間違って多く飲んでしまうと脳出血のリスクが大きくなる。
あー、そりゃそうだ。

母自身は大見得を切った割には忘れている自覚はあるので、しょうがないな、くらいの反応だった。
ただ、自分が誰かの助けを借りなければならないことには納得しても、具体的に自分がデイサービスに行ったり、自宅にヘルパーさんが来たり、宅配の食事をとることには否定的というかほぼ拒絶反応を示している。
全然納得してないじゃん、と思うのだが、そういうものなのだろう。

夜になって父の担当看護師から電話があり、どうにか行けていたトイレではあるがタイミングが合わなかったり、高次脳機能障害のために正しい判断ができず、ベッドの上で済ませてしまうなど、1日に2回着替えなければならないことも多いそうだ。

最初から「元の生活に戻るのは難しい」と聞かされていたし、カンファレンスでも何度も「高次脳機能障害があるので」という話が、医師をはじめどの担当者からも出ていた。
日々の暮らしの一つ一つを正しく判断できない2人が元通りに暮らせるわけはないけれど、一方で母にはまだできることも多い。

どこか落としどころを探らなければいけないんだろうな。
でも地域連携室の人も地域包括支援センターの人も、一緒に考えてくれる。
大丈夫大丈夫。

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朝、実家に向かう機内で読んだのはこの本。
認知症の世界の見え方を知るにはいいのかもしれない。

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