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決めるということ #13

夏の終わりを告げる涼しい風が、わたしの髪をそっと撫でていく。カフェのテラス席に座り、少し冷めたコーヒーを手にしながら、わたしは遠くに広がる夕焼けをぼんやりと眺めていた。空は鮮やかなオレンジから淡いピンクへと染まり、やがて静かに夜の帳が降りてくる。季節が移ろいゆくこの瞬間が、わたしの心にも何かを告げようとしているようだった。

彼との関係に曖昧な影が差し始めたのは、ちょうどこの季節の変わり目からだった。太陽が高く照りつける日々が過ぎ、少しずつ日差しが柔らかくなる頃、わたしたちの間に漂う空気も変わり始めた。彼と過ごす時間は楽しく、安らぎを感じていたはずなのに、その安らぎがどこか仄かに揺らいでいるのを感じることが増えてきた。

「どうしてこんなに迷うんだろう?」わたしは自分に問いかける。カフェの片隅で、手元のコーヒーカップを見つめながら、心の中で繰り返すこの問いに、まだ答えを見つけられないでいた。

あの日、彼は静かな声で言った。「君は、僕と本当にこのまま一緒にいたいと思っているのか?」その言葉は、まるで秋風が木の葉をさらうように、わたしの心の中の不安を一気に吹き飛ばした。言葉にできなかった迷いが、彼の言葉によって現実となってわたしに迫ってきたのだ。

「そんなこと、どうして聞くの?」わたしは彼にそう返すことしかできなかった。自分の中で何かが崩れていくのを感じながら、彼の言葉を否定することができなかった。

「君が最近、僕に対して少し距離を置こうとしているように感じるんだ」と彼は静かに続けた。その瞳には、不安と共にわたしを想う優しさが映っていた。

わたしは彼の言葉に対して、心の中で様々な言い訳を探した。仕事が忙しかった、彼との未来が見えなかった、それとも自分自身に自信が持てなかったのかもしれない。しかし、どれも自分を納得させるものではなく、心の奥底で本当の理由を認めることが怖かった。

彼との未来を考えるたびに、わたしは心が揺れ動くのを感じていた。まるで季節が移ろう時期の風のように、どこか不確かなものに引き寄せられ、離れていく感覚だった。

その後もわたしは彼と何度か会ったが、心の中の迷いは深まるばかりだった。ある夕暮れ、彼と一緒に歩いた公園で、夏の終わりを告げる虫の音が聞こえてきた。薄暗くなり始めた空の下、彼がふと立ち止まり、わたしに向き直った。

「君が本当にどうしたいのか、僕にはわからない。でも、僕は君が自分で決めることを尊重したい」と、彼は優しく言った。その言葉を聞いて、わたしは初めて自分が何を恐れていたのかを理解した。

わたしは、自分自身の決断から逃げていたのだ。彼に対して、未来を委ねることで自分の責任を回避しようとしていた。その結果、もし何かがうまくいかなかったとき、彼を責めてしまうかもしれない。それがわたしをさらに迷わせていたのだ。

彼と別れたその夜、わたしは一人で静かな川辺に立ち、流れる水を見つめながら、ようやく心の整理をつけようとしていた。夏の終わりを告げる涼しい風が頬を撫で、川面には夕焼けの残照がわずかに揺れている。

翌日、わたしは彼ともう一度話すために会うことを決めた。彼を迎えに行き、彼が車に乗り込むときにはまだ、夕方の柔らかな光がまだ残っていた。窓を開けると、夏の終わりの風が心地よく車内に入り込んでくる。エンジンをかけ、わたしたちはしばらく無言のまま走り続けた。

隣に座っている彼の気配を感じながらも、どう話を切り出すべきか、わたしは迷っていた。手元のハンドルを握る手には自然と力が入り、まるでどこへ向かうかを自分でも決めかねているような感覚だった。

「どこへ行こうか?」と彼が問いかけた。

「まだ決めてないの」と、わたしは窓の外に目を向けながら答えた。道路脇には、夏が終わりかけていることを告げるように、黄色くなり始めた草花が風に揺れている。何かを言わなければ、という焦りが募るが、言葉はすぐには出てこなかった。

しばらく沈黙が続いた後、わたしは意を決して口を開いた。「あなたと一緒にいると、安心できる。でも……」と、言葉を選びながら続けた。「わたし、自分で決められないことが怖いんだ。」

彼は静かにわたしの言葉を聞いていた。わたしはハンドルを握り締めたまま、進む道を見つめ続けた。車のライトが徐々に暗くなっていく道を照らしている。

「君が決めることだよ」と、彼は穏やかに言った。「僕がどうするべきかを決めることはできないし、君自身が何を望んでいるのかを知るのが一番大事だと思う。」

わたしはその言葉を聞き、ようやく心の中の霧が少し晴れていくのを感じた。彼はわたしに未来を強制するのではなく、わたしが選ぶ自由を尊重してくれている。それが、これまで自分が避けていた決断の重さを改めて感じさせた。

車はやがて静かな海岸線の道に差しかかり、波の音が窓からかすかに聞こえてきた。涼しい風がわたしの頬を撫で、夏の終わりを感じさせる。その瞬間、わたしは深く息を吸い込み、決断を下した。

自分で決めなきゃいけないの。誰かに任せることは簡単だけど、もし望む結果が得られなかったとき、誰を責めればいいかわからなくなる。そうなったら、もはや何も解決できなくなるから。

彼はその言葉を聞いて、静かに頷いた。わたしはハンドルを大きく左に切り、彼の隣で道を進んでいく決意を固めた。

夏の終わりを迎えた夜、わたしは自分で選んだ道を進む勇気を持つことができたのだった。どんな未来が待っていようとも、それが自分の決断である限り、もう迷うことはない。



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