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満月は見ない方がいいんだよ。【短編小説】

「満月は見ない方がいいんだよ。」と花奈(かな)は言った。
「え、何、花奈は狼男の末裔か何かなの。」と半笑いで僕は言った。
「そんなわけないでしょ。ばっっかじゃないの。」

「どうしてさ。満月は見るもんでしょ。ちっちゃい頃、お月見にお団子食わなかったの。」
「お月見、したことない。」
「え、何で?」
「連れて行かれちゃうから。」
「どこに?」

「ソータくん、きみ、知っているかね、人間の体は7割が水でできていることを。」と花奈はよくある博士のマネっぽい言い方をして言った。
「あー地球とおんなじらしいね、人間の体って。海と陸の割合が、肉体の水分とそれ以外との割合と一緒なんだってね。」

「ソータくんよ、わかっていらっしゃる。ということはだ。海が満潮になるのと同じように月が満ちると、人間も引っ張られるということだよ。肉体の7割が。それはもう持って行かれるでしょう、どう考えても。」

「持って行かれないよ、月に持って行かれちゃった人間なんて聞いたことないよ。そんなこと言ったら、お月見には日本の大半の人が月に引っ張られちゃって、大変なことになってるよ。大惨事だ。」

「人間はさ、自意識が強いからね。さらには、『自分は連れて行かれるわけがない』って強い常識の力が働いているからさ。」と花奈は言った。

「私は常識を一番信じていない。そして、意志薄弱な人間なので、この地上で恐らく一番くらいに月に持っていかれやすいんじゃないかな。だから、満月は見ないようにしてるの。」と花奈は全然冗談を言っている風ではない真面目な顔をして言った。

そんな、まさかと笑って、その後も僕は何にも気にせず満月だと気付いた日にはベランダに出て、ビールを飲みながら月を眺めた。

花奈からこの話を聞いて以来、僕は花奈が満月の日にはあまりに早くから布団に入って寝てしまうことに気付いた。花奈が早くに寝ちゃうからすることもないし、満月の日を把握しやすくもなってしまったので、毎月のようにベランダで満月を見るのが習慣になっていた。

僕がいくら「今日は満月を一緒に見よう。きれいだから。」と誘っても、花奈は決して満月を見ることはなかったのに、それなのに、花奈は連れて行かれてしまった。

満月とは全然関係のない日に、花奈は死んだ。

足腰が弱くなっていた愛犬ボスの散歩中に、
ボスを抱きかかえようとしゃがんだら、
「車が突っ込んでくる」とびっくりして尻もちをつき、
早とちりで花奈の3メートルも前に車は停車していて、
「なーんだなんだ、でも頭を打っちゃったから念のためレントゲンを撮っておこう」と病院へ行ったら、
脳の奥のほうに頭を打ったこととは全く関係のない、
腫瘍が見つかっちゃって、
手術ができない場所と大きさで、
お医者さんから「余命1ヵ月です」と宣告された。

花奈が死ぬ1週間前の日が、満月だった。
僕は月に向かって「どうか花奈を連れていかないでください。お願いです、お願いですから。」と何度も何度もお願いをしたが、花奈は余命宣告からきっかり1ヵ月後に息を引き取った。
********

花奈が死んでから僕は、寝られなくなった。

その日は、近所の公園のベンチに座って、満月を見ていた。
深夜3時を過ぎると、酔っ払いのサラリーマンでさえ通ることはなくなり、鈴虫と後は何かよくわからない虫たちの音だけが響いている。鈴虫だけ独唱しているかと思えば、重なったり、よくわからない虫たちだけが鳴いたり。

はっと気付くと、砂利を踏みしめるような足音が遠くの方から聞こえて来た。目をやると、女性らしき人影がこちらに向かって歩いていた。

暗がりながら、女は肩にかからないくらいのストレートヘアに、タイトなスカート、高めのヒールを履きこなし、しっかりとした足取りで歩ていることがわかった。
そして、右手に中の瓶ビールを握ってラッパ飲みをしながらこちらに向かってくる。

「げ、酔っ払いだ...」と僕が気付くか気付かないかの内に、女はすかさず僕の隣に座った。

「付き合いぃなさいよお。」とコンビニの袋の中から缶ビールが差し出される。
女はシャキシャキとした足取りや動きとは裏腹に、酔っ払い特有の目のすわり方をしており、ロレツも回っていなかった。

「あんたあ、こんな時間に何してんのよお。」と女は言った。
「ちょっと、眠れなくて、月を見てました。」と僕は言った。
「ふふ、わかったあ。あんた、悩みがあるんでしょお。」
「あ、ええ、まぁ。」

「わかっちゃってるんだから。ずばり、あれね上司と上手くいってないんでしょおおお。あれでしょ、ちょっとパワハラっぽいんでしょ、あんたの上司って。それで、あんたは納得いってないことも飲み込むしかなくて、むしゃくしゃして眠れない。そういう感じでしょおお。」
「あー、まぁ、そうですね。」
「やっぱりい!私ってさ、ここだけの話、超能力っつうの使えるんじゃないかってくらい、わかっちゃうのよねえ。」

「完全なる酔っ払いだ。面倒くさいし相手にしたくないけど、この公園じゃないと満月を最後まで見られないし。早くどっかに行ってくれないかな。」と僕は心の中で盛大なため息をついて頭を垂れた、次の瞬間。

「ばっっかじゃないの。満月は見ない方がいいんだよ。」と女ははっきりと言った。

びっくりして女の方を見るが、また酔っ払いのような口調に戻って、「わっかるのよねぇ、あんたの気持ちってえ。うちの上司も、まあったく、あたしの実力をわかってないわけよ。そのくせ、あーだこーだうるさくてうるさくてえ、もうやってらんないわあ。」などとグダグダ愚痴を言っている。

********
僕は、一瞬花奈が「ばっっかじゃないの。」と言ったのかと思った。

花奈は「ばっっかじゃないの」が口癖だった。良くある口癖だが、花奈の言い方は独特だった。
「ば」の字をしっかりとためてから言う。そして、最後の「の」の言い方が何と言ったらいいかわからないが独特の優しさがあるのだ。すこしだけ音程が上がり、微笑むときの何かが滲むような「の」。花奈の「ばっっかじゃないの。」を聞くと、ほっとして胸のあたりがほかほかした。

僕が同期の中で唯一、昇進試験に落ちたときも「ばっっかじゃないの。そんなもんどうでもいいんだよ。」と言ったし、6歳の時に家を出て音沙汰のなかった父親が死んで葬式に行かないと言った時も「ばっっかじゃないの。行くわよ。」と言った。

花奈とは大学2年生の時にゼミで一緒になって、知り合った。
片親で育ったという生い立ちが似ていたからか何なのか、不思議なくらい感覚が似ていた。同じような経験をしてきたからか、小さい頃から感じていた違和感だとか、痛みだとか花奈が話す話は僕には痛いほどよくわかった。花奈もきっと、僕と同じ気持ちだったんじゃないかと思う。

花奈とは会ってすぐに、付き合うことになった。小さい頃からずっと一緒にいたような、愛おしさのような気持ちはいつまでたっても変わらず、たぶん僕は花奈を愛していたと思う。たぶん、花奈も。

********
「私、宇宙人なんだよね。月神様に仕える。なんつーの、フェアリー?妖精みたいなもんなのよお。」と新たな缶ビールを開けながら女は言った。
ボーとしていて全く聞いていなかったが、女は相変わらずロレツの回らない口調で、意味不明なことを言っている。

「うるさいなーはいはい、伝えますよお。伝えればいいんでしょお。」と誰かから何か言われたかのように、女は急に言った。

「『そのままでいいんだよ。満月に祈っても、いい。』って月神様が言ってるよお。私には意味わかんないんだけどお。

女は続けた。

「『君の願いは一般的には悪い祈りとされるだろう。でも、悪い祈りも良い祈りも同じだ。同じ分だけ、平等に叶うかどうかはわからない。でも、君の願いが周りから批判されるようなものであったとしても、君の中に答えはある。』

『そのままでもいいし、自分が変わりたいと思ったら、変わってもいい。あなたがこうでありたいと思った姿が正しい姿なんだよ』だってええ。」


僕は花奈が死んでから、満月の夜は、見える間中ずっと月を見ていた。
はじめの内はベランダから満月を見ていたが、朝方にかけて月が動いていくと建物が邪魔をして見えなくなるので、満月の晩はこの見晴らしの良い公園で過ごすようにしていた。
僕は満月に「僕を連れて行ってください。」と願った。毎月満月が来るたびに、どうかお願いだから花奈のところに行きたいと何度も、何度も。

どうにか、最低限の社会生活は送れているものの、目に見えて憔悴していく様子に同僚や家族からは「時間が解決してくれるから」「残念なことだったけど、あなたが立ち直らなければ花奈さんも悲しむわ」「元気だせよ」などと言われた。

彼らは僕のことを思って励ましてくれて、僕はそれに本来なら応えるべくすこしずつ元気になっていかなければならない。そうあるべきだと思う。

でも、僕は、元気になりたくなかった。
時間が過ぎてほしくなかった。
花奈を忘れたくなかった。
元気でなくていいから眠れなくてもいいから、花奈といた時の感覚、感情をその時のままに、今もいるかのようなままの自分でいたかった。

眠れないことが、もらうものばっかりで花奈に何も、本当に何もあげられなかった僕の贖罪のような気もしていた。
「どうか連れていってほしい。」と願うことは、本末転倒というか、そうなんだけど生きる拠り所となっていた。満月に連れてって、どうかと願いをたくすことでなんとか死なずに生きていられた。

*******

隣に座っていた女が、急に立ち上がった。
「ほんじゃあ、わたしい、帰るわあ。」と引き続き酔っ払い丸出しの喋り方で女は言った。
「危ないですよ、送っていきましょうか。」と声をかける間もなく、缶ビールを片手にシャキシャキと歩いて、すぐに見えなくなってしまった。

空は薄っすらと明るくなってきており、淡い紺色の空に白色になった満月が浮かんでいた。
僕は目に涙をいっぱいにためて、月を見上げた。

「どうか。」といつものように何度も何度も。

そのうちに、空は淡い赤色からオレンジ色へと、そしてあっという間に水色へと変わっていった。白い満月は、空の色に滲んで消えた。

おわり

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