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叱ることでしかつない自信とは?昔の私の失態を事例として

秋もいつの間にか終わりに近づき、今年もあと1か月になりましたね。温かいコーヒーを飲みながら、あるいはワインを飲みながら昔のことを思い出してみませんか。何を思い出すかって?それは、叱られた経験です。それも小言や文句ではなく、真剣に叱られた経験です。

|私の忘れられない3つの経験「トウモロコシ事件」「女子トイレ件」「測量ミス事件」

私には忘れられない3つの叱られた経験があります。

一つ目の経験は、私が幼稚園ぐらいのとき、父に叱られたことです。
私は、近くの畑のトウモロコシの芽を全部抜いてしまいました。父は、私を逆さ吊りして誰の目を憚ることなくお尻をパンパンと何度も、何度も叩いて私を叱りました。

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父も情けないと思っていたのだと思います。何を言われたかは忘れてしまいましたが、いけないことをしてしまったんだなと幼い私にも伝わってきました。それから、父は私を畑の持ち主のところへ連れて行き、何度も頭を下げて謝ってくれました。

当時はなんだか分からなかったかもしれませんが、父に叱られたこと、何度も頭を下げてくれたことを今でも忘れることはありません。

二つ目の経験は、私が小学校6年生のとき、恩師の川添先生に叱られたことです。
いたずら坊主癖の抜けない私が、女子トイレに入ったり校庭の植木を壊したりしたとき、「ゆうじ、お前は何をやっているかわかっているのか!」と川添先生に何度もビンタのお叱りを受けました。

お前はそんな人間じゃないだろう!」と全身全霊で叱ってくれました。

三つ目の経験は、私が20代後半で現場監督をしているときです。
上司から「吉田は、そんな人間ではないはずだ!」と叱られました。建設現場で測量ミスをして、地盤の高さを10センチ間違えたことがありました。

それなのに当時の私は上司に「協力業者のミスです」と人のせいにして報告したのです。このとき上司から「それを監督するのが現場監督だろう!」と、ものすごい剣幕で叱られました。
そのとき厳しく叱られたので、私のやったことは、人としてやるべきことではなないと素直に受け止めることができました。

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この3人に叱られた経験が今の私の人としてのあり方の基礎をつくってくれたと思っています。当時、人としてのあり方なんて分かっていなかったと思います。でも、あのとき叱ってくれたことが、人としてやってはいけないことを教えてくれて、私の中に自信を育んでくれたことは間違いありません。父、恩師、上司に心から感謝しています。


|人は誰も一度は過ちを犯します。叱るとは、そこから救ってあげる行為

自信とは、自分で自分を認められることができ、自分を好きになれることだと私は考えています。
罪をおかしたり、人に迷惑をかけたり、人のせいにして責任逃れしたりしている自分を好きになれるでしょうか。


ただ、人は弱い生き物です。知らなかったり、誘惑に負けてしまったりして、犯罪まではいかないとしてもいけないことをしてしまうこともあります。他の人に迷惑を掛けてしまうこともあります。そのとき、誰かが叱って、気をつかせてあげないとそのままになってしまいます。

一度やってしまうと、あと1回、あと1回と歯止めが掛からなくなり、やがては習慣して何度も同じことを繰り返すようになってしまいます。

本人も気がつかないうちに、後戻りできない状態になってしまうのです。だから、気がついた誰かが止めないといけません。それは親であり上司です。それも小さな芽のうちに摘んであげなくてはなりません。

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今回の自信をつけるシリーズで、お子さんや部下に自信をつけるために、できないところを『不足』ではなく『伸びしろ』と捉えましょう。また、できないところを『減点』するのではなく、できているところを『加点』していきましょうとお伝えしてきました。これはこれでとても重要なことです。

しかし、お子さんや部下が『人としてやってはいけないこと』をしてしまったことに目を塞いでくださいということではありません。してはいけないことをしてしまったら、目を塞ぐのではなくお子さんや部下にしっかりと向き合い『それはいけないよ!』とはっきりと伝えることも必要です。

繰り返しますが、自信とは、自分で自分を認められることができ、自分を好きになれることだと私は考えています。だから、本人が自分で自分を認められるようになる。自分で自分を好きになれるようになるために、人としての道からそれていたら、「そっちは違う。こっちへ戻っておいで!」と正しい道に戻してあげなければなりません。

|叱ることでリセットできる。叱られることで再起へ導く

やってしまったことは変えられません。でも、やってしまったことで、自分はダメな人間だという心の呪縛に囚われてしまったらどうなるでしょう。あるいは、もうどうでもいいと逃避に走ってしまったらどうなるでしょうか。それでは心の病になるか非行に走るしかなくなってしまいます。

やってしまったことからの心の呪縛や逃避から解放してあげるためには、叱ってあげるしかありません。叱って許すしかないのです。叱ることで、相手を許すことができます。叱られることで、過去のやってしまったことから解放され自分を許し決着をつけることができます。再起へ向けてリセットできるのです。その再起を親も上司も温かく見守ってあげてください。

ただ、叱っても、本人はわからないときもあります。不適されてしまうこともあります。でも、やがて自分が親になったとき、自分が上司になったとき、必ずわかります。感謝もしたくなります。それでいいじゃありませんか。

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最後に、この場を借りて感謝をさせてください。逆さ吊りで叱ってくれてた亡き父に感謝します。中学生になってからは一切叱ってくれませんでした。いつも笑顔で見守ってくれました。全身全霊で叱ってくれた亡き恩師の川添先生、真剣に私を叱ってくれた元上司に心から感謝いたします。ありがとうございました。

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