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やることやってんだから、へこたれるくらい許してくれよ

仕事が切羽詰まっている。

イレギュラーな事情が重なり、スケジュールが大変なことになってしまった。〆切はやぶっていないものの、〆切が設定されていないお仕事はずいぶんお待たせしてしまっている(本当にごめんなさい)。

だからnoteを書いている場合じゃないのだけれど、そういうときほど、書いてしまう。

なぜか?

原稿を書く手がストップしてしまったからだ。

私は書くことに関しては意外と体育会系で、「書けない? 書けなくても書くんだよ!」と思う人間だ。

けれど、いったん手が止まってしまうと、頭をたたいてもひねっても言葉が出てこない。無理やり絞り出しても、読めたもんじゃない。

そういうときnoteを書くと、あら不思議、言葉がスラスラ出てくるのだ。

スラスラ出たところで仕事に戻ると、そのままの勢いで書けたりする。noteは私にとってブースターだ。

結果として、noteを書いてる場合じゃないときほど、noteを書くことになる。

前置きが長くなった(ブースターだから前置きだけでもいいんだけど)。

たびたび書いていて恐縮だが、ここ半年くらいうつ状態が続いている。そのため、とにかくよく泣く。仕事中も頻繁に泣いてしまう。

先日も、ちょっとしたことでメンタルがぐずぐずになり、涙があふれた。

思わず泣き言を言うと、母は「働いてれば、ちょっと嫌なことくらい誰だってあるでしょう。みんな我慢してるんだよ。へこたれるんじゃないよ」と言った。

えー。

「みんな我慢してる」と言うけど、私だってこれ、我慢してるうちに入らない?

当たり前だけど、取材先では泣かずに取材をしたし、原稿だって書いてるし、編集さんとのコミュニケーションだってとっている。

へこたれながらも、仕事はこなしているのだ。いや、逆か。仕事してるからこそ、へこたれる。

たしかに、へこたれない人のほうが我慢強そうだ。けれどそれは、「我慢してへこたれないようにしてる」のではなく、「そもそもあまりへこたれない性格」かもしれない。

へこたれてぐずぐず泣きながらもやることやってるなら、それって充分「我慢してる」と思うんだけど……。

まぁ、我慢がいいことだとは思わない。けれど、「我慢が足りない」というニュアンスの言葉を投げかけられると、「足りてますけど!?」と反論したくなる。

私が読者に届けるのは「完成品」だ。

たとえ製造過程でぐずぐず泣いていたとしても、完成して読者の手に渡ったとき喜んでもらえたら、それでいいじゃないか。

真面目な記事もおちゃらけた記事も、評判のよかった記事も悪かった記事も、私はへこたれながら書いている。へこたれとクオリティに相関関係はないのだ。

……と、完成品がすべてと言いつつ、製造過程を明かしてしまった。

製造過程さえもちゃんとしなきゃいけないなら、もう、本当に無理です。

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