「居場所」の分解とかけ算
cakesの連載の最終話に、「居場所はあるものではなく、築くものだ」と書いた。
居場所はどこかに「ある」のではなく、「築くことができる」。
山小屋も今も、私のための居場所が用意されていたわけじゃない。試行錯誤しているうちに少しずつ、生きやすくなった。今だって試行錯誤している。
居場所を築くのは自分だ。
もちろん、今の環境が苦しいなら無理に居続けなくていい。だけどどうか、自分はどこに行ってもダメだなんて思わないでほしい。
大丈夫。あなたはきっと、どこかに居場所を築くことができるから。
これについて、ちょっと補足で書きたい。
そもそも「居場所」の定義って人それぞれだと思う。
私にとっての居場所とは、「私はここに居ていいんだ」と思える場所。
そのために必要な要素を分解すると、
良好な人間関係+自己肯定感のある状態
だと思う。
どういうことかと言うと、私の場合、山小屋の仕事を始めて最初の3年くらいは、そこが自分の居場所だとは思えなかった。
仲間に恵まれていたのに、だ。
けれど4年目くらいから仕事の面で頼られることが増えて、「私はここに居ていいんだ」と思えるようになった。それまでは自己肯定感が低すぎて、どこにいても「私なんかがここに居ていいのかな」とビクビクしていたのだ。
私の場合、職場を居場所だと思えるかどうかって、単に「仲間ができる」だけじゃダメなんだと思う。
それプラス、必要とされることで生じる自己肯定感がないと、私は安心できない。
たぶん、もともと自己肯定感が高い人間だったなら、他人(職場)から必要とされなくても居場所を感じることができたのだろう。自分の価値を他者からの評価に委ねないほうがいいのは、私だってわかっている。
だけど私の場合はどうしても、「自分がそこに居ていいと思える理由」が必要だった。それが、職場に貢献しているという実感だ。
じゃあどうすれば職場に必要とされ、健全な自己肯定感を持つことができるのかといえば、
ある程度の適性×継続
じゃないかなぁ、と思う。
前述のとおり、私は山小屋を3年続けて居場所を実感するに至った。
かと言って、「どんな仕事でも3年続ければ居場所になる」とは思わない。
山小屋の前は求人広告の飛び込み営業をしたのだけど、たぶんその仕事は、ものすごく私に向いていなかった。28歳のときにやったソフトウェア会社のカスタマーサポートの仕事も、人間関係は良好だったけど、業務が苦手すぎてダメだった。
たぶんどちらの仕事も、無理して3年続けたとしても、私の居場所にはならなかったと思う。
というか、私は「ある程度向いてる仕事じゃないとすぐに心身に異常をきたす」というわがまま体質なので、そもそも適性のない仕事が3年続かない。
山小屋は、すごく向いているわけではないけど、続けられる程度には適性があったのだ。
だから、山小屋というそこそこ適性のある仕事×3年以上の継続により、私は居場所を築くことができた。
ライター業のほうは居場所を築いている最中なのだけど、とりあえず1年は続いているから、適性が皆無ではないと思う。
これをあと10年続けられたらきっと、「これが私の天職だ!」と思えるんじゃないかな。
私はおバカだから、「とりあえずやってみる」という方法でしか、自分の適性を見つけられない。
とりあえずやってみて、合ってたら新しい道が拓けるし、合ってなかったら違う道に行く。
その繰り返しの35年で、そこそこ幸せだ。
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