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お金をいただくことに罪悪感を持ってしまう

私のnoteは基本的に無料公開でやってきた。

だけど、7月26日にcakesの連載第1回目がスマニューで配信されるやいなや、山小屋の後輩に吉玉サキが私であることがバレた。

ちなみに、この記事は3万PVくらい読まれたらしい。

cakesの記事にはnoteのリンクも貼ってある。

知り合いにこのnoteも読まれてしまうかもしれない……!

そう思った私は、noteの過去記事の中で「知り合いに読まれたくない」ものを有料化した。

結果的に、もともと無料公開していたものを有料化することになった。

8月になって、はじめて有料記事を書いた。

なぜ有料にしようと思ったのかは、自分でもよくわからない。直感というか、気分というか。

ともあれ、公開時から有料の記事ははじめてだ。


はじめての有料記事は17人の方にご購入いただいた。

PVは2000くらいあったので、117人に1人が買ってくれたことになる。そして、12人の方に「おすすめ」をしてもらえた。本当にありがたい。


自分でも不思議なのだけど、自分で有料にしたくせに、購入されるたびに「わっ、お金をいただいてしまった!」と思った。

考えてみたら、メディアでのエッセイの仕事は編集者さんが原稿をチェックしてくれる。

そのため、クオリティの低い(と編集者さんが判断した)記事が読み手に届いてしまうことはない。

私は自分のことは信用していないけれど、各メディアの担当さんのことは信用している。なので、「この人が面白いと言うなら、この原稿は面白いんだ」と思える。

だけど、noteは違う。

自分で書いて自分で編集するので、金額相応の価値がない(と判断する人が多い)記事も、読み手に届いてしまう。

それは、とても怖いことだった。

あと、私はサポートをいただいたときも、「わっ、お金をいただいてしまった!」と思う。

なんだか申し訳ない気持ちになってしまうのだ。

それがおかしなことだと、わかってはいる。

そのお金は、私が脅し取ったわけではない。その方が、ご自身の判断で私に払ってくださったものだ。それに対して申し訳ないと思う必要はないし、むしろくださった方に失礼だ。

伝えるべき言葉は「ありがとう」。決して「すみません」じゃない。

……そう頭では理解していても、心が怖がっている。

自分の中にある「お金をもらうことへのブロック」を実感した。


以前も書いたけれど、私は今、貧困妄想の症状(うつ病の症状の一種で、お金がないと思い込む症状)がひどくてお金を使うことが怖い。

それは自覚していたのだけど、まさか、「使うこと」だけじゃなく「もらうこと」にもブロックがあったとは……。

どうりで、お金が入ってこないはずだ。心の奥で、もらうことを躊躇っているんだもの。

そういえば、私は「原稿料どうします?」といった話をされるのが苦手だ。

自分の価値がわからない。だから、「ほかの媒体では1記事あたり○円~△円いただいています」と事実だけ告げて、自分の希望は言わない。

そもそも、自分の希望する価格がよくわからない。


このお金をもらうことへの罪悪感や躊躇は、なんだかとても不健全なものに思えた。

そしてふと、

「9月になったことだし、8月に書いた記事の中で人気のあったものを有料化してみようかな……」

と思った。

有料にすることで記事が読まれにくくなってしまうというデメリットはあって、それは、note経由で仕事をもらうことの多い私にとってはリスキーだ。

だけど、それが「お金をもらうことへのブロック」を打ち砕くきっかけになるような気がした。

そして、8月に書いた記事の中でPVとスキの多かったものを100円にしてみた。






10月になったら、9月に書いた記事をまるまる有料にしようかな。

まだ、考え中だ。






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