「本当はこうしたかった!」は言ってもいい

青春コンプレックスがある。

全日制高校に行けなかったので、学校祭や修学旅行や制服デートなど、絵に描いたような「青春」の思い出がない。

高校は通信制で、バイトしながら劇団に所属していた。その生活に満足していたし後悔はない。だけど私は欲張りなので、「全日制の絵に描いたような青春もやりたかったな~」と思ってしまう。

夫に言うと、

「男子校で進学校だったから、サキちゃんが思い描いてるような青春なかったよ」

と言われる。

まぁ、そうなんだろうな。全日制高校を出た友達もみんな、「そこまで楽しくなかった」「楽しかったけど、大人になってからのほうが楽しい」って言うし。

もちろん、年がら年中こんなことを考えているわけではない。1年のうち362日くらいは青春コンプレックスも忘れている。

だけど、何かのきっかけで思い出しては、「わーん、私も青春したかった~!」と思う。

「1年のうち362日は忘れてるけど何かのきっかけで思い出すシリーズ」は他にもあって、結婚写真の写りが悪かったことや、ウユニ塩湖に行ったのに存分にはしゃげなかったことなどがある。

誰にでもひとつやふたつ、「本当はこうしたかった!」と言いたい過去があるんじゃないか。


こういうことを言うと必ず、

「過去は変えられないから、今さら言ってもしょうがない」

「それより今を楽しんだほうがいい」

と言ってくる人がいる。

いや、わかってんだよ。その程度のこと、他人から言われないとわからないとでも? わかった上での「本当はこうしたかった!」なんだよ。

Yahoo!知恵袋か発言小町だったと思うけれど、病気で中学・高校にほとんど通えなかった女性が大人になって子を持ち、「高校生の娘が青春を謳歌している姿を見ていると、嬉しい反面、羨ましい。私も青春を謳歌したかった」と投稿していた。

おぉ……。通学できないほどの大病を患っていたのに、今は高校生の娘さんを育てているなんて、その間にどれほどの痛みと努力があっただろう。文面も不幸自慢的な嫌味がなく、娘思いの優しい方なんだろうな、と思わせるものだった。

それなのに、回答している人たちの説教臭さと言ったら!

「過去は変えられない。いつまでも過去に捉われているのは甘え」

「今からでもできることはある。前を向いて」

うわぁ……。

あなたには「本当はこうしたかった!」と言いたいことがひとつもないのか?

もしも「私にだって『本当はこうしたかった!』と言いたいことはあるけど、言うのを我慢してるんです!」と主張するのなら、我慢すべきと教えたのは誰なんだ。その認識を疑ったほうがいいのではないか。

最近、とある心の専門家と話をしたのだが、彼女は

「『本当はこうしたかった』という過去のわだかまりは吐き出したほうがいい」

と言っていた。

過去は変えられないが、飲み込んでいた感情を出すことに意味があるらしい。たしかに、言語化するだけで少し楽になるもんな。

あのYahoo!知恵袋か発言小町のお母さんも、「私も青春を謳歌したかった」と口に出したことに、意味があるのだろう。

じゃあ受け取り手は余計な説教をすることなく、ただ聞けばいいのではないか。心の専門家でもない人がしたり顔で私見を述べるのは、けっこう危険だと思う。このお母さんがネット民の発言を真に受けて病まないとも限らないので。

ネット掲示板は余計な説教をしたい人に溢れているから、この手の吐露には向かない。信頼できる友人か、お金を払ってカウンセラーにでも話すのがいいのでは。

先月、メンタルの調子が悪いとき、「本当はこうしたかった!」という思いが次々溢れてきた。

吐き出したほうがいいと聞いていたので、その感情と向き合うことにした。浮かんできた思いをひとつひとつスマホのメモ帳に箇条書きし、離れて暮らす夫に送った。

修学旅行に行きたかった
仲間はずれにされたくなかった
お母さんに話を聞いてほしかった

それはまるで、心のゴミを捨てるような作業だった。

夫は、否定せずに聞いてくれた。アドバイスや説教をせず、ただ聞いてくれる。それだけで、ぐじゅぐじゅしていた心が少し滑らかになった気がした。

あ、もっと早くこうすればよかったな。

説教されることを恐れて言えずにいた自分に気づく。

「吐き出したほうがいい」と教えてくれた人、ありがとうございます。

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