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人の日記を読むのが好き

noteの毎日更新についての意見をよく目にする。

その多くが「書き手にとってのメリット」を書いたものだ。読み手にとっての毎日更新については、あまり語られない。

私にとって、「推しの文章が毎日読める」ってけっこう重要なことだけどな。

毎日更新してる人って、たいていは同じ時間帯に更新する。だから私も、その時間帯になると「そろそろあの人の日記が更新されてるはず……」と読みに行く。たまに更新が遅いと、「どうしたんだろう」と心配になる。

書き手にとっては書くことが日課だが、読み手にとっても、読むことが日課だ。半年以上読み続けていると、すっかり習慣化している。

「会ったこともない人の日記を読むこと」が日常のルーティンに組み込まれているの、よく考えたら奇妙で面白い。

相手は私の存在を知らないのに、私はその人が昨日何食べたかを知っている。

日常を晒しているのは本人なのに、なんだか自分がストーカーをしているような背徳感がある。秘密を共有しているような。

万が一ご本人にお会いすることがあっても、ドキドキしちゃって「日記読んでます」って言えなそう。

日記が好きだからといって、誰の日記でもいいわけではない。

今は、毎日読んでいる日記がふたつある。読み続ける理由は、書かれている「感じ方」が好きだからだ。

日記って基本的に「出来事」と「それについて感じたこと」が書かれる。

私が好きな日記の書き手はふたりとも、毎日毎日、仕事と家事をしている。劇的な出来事は起こらない。

だけど、そこに描かれる日常はとても面白い。本人の「感じ方」が面白いからだ。

道で花束を持っている人を見かけたとき、イキってる若者を見かけたとき、買い占めを見かけたとき、ラブラブなカップルを見たとき。

同じ光景を見ても、感じることは人によって違う。なんにでも怒る人もいれば、なんにでも肯定的な人も、なんにでも冷めてる人もいる。興味の度合いにばらつきがある人も。

日記には、その人の感じ方のクセが表れる。

えー、そんなふうに感じるのかぁ。なんかいいなぁ。好きだなぁ。

そう思える日記が好き。

あと、観察力がある人の日記は面白い。

日記ではないが、長嶋有の『夕子ちゃんの近道』という小説の中で、主人公が窓拭きをするとき、「泡タイプのガラスクリーナーって本当は少しでいいのに、つい線を描くようにたっぷりスプレーしてしまう」という描写があった。

わかる~!

ガラスクリーナーの適量への感慨は、物語に関係がない。でも、私はそういう描写が大好きだ。

私が気づかなかったことや、知ってはいるけど言語化して思ったことがないことを、言葉にしている。その観察力が好き。

日記ってそういう、「小説だったら本筋に関係ない余談の部分」のよせ集めなので、余談マニアの私としては嬉しいのだ。



私も日記をはじめました!


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吉玉サキ
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