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ジョバンニの食卓5 「親はなくとも子は育つ」

前回までのあらすじ:17歳の美希は、36歳の父親・広治(こうじ)と二人暮らし。幼い頃に家を出た母親の記憶はない。広治や幼なじみの陸生(りくお)と平和な日常を過ごしている。ある日、広治から恋人ができたと聞かされて……。(第一話から読みたい人はこちら)


九月九日は救急の日で、私の誕生日でもある。十八回目の誕生日は三者面談と重なった。

広治を見て、担任の阿部ちゃんは少なからず驚いたようだった。無理もない。高校三年生の父親として、二十代に見えるヤツが来たら、誰だって驚く。実際は三十代だけれど。

三者面談の時期になると毎日校内のあちこちでスーツ姿のおばさんを見かける。おじさんを見かけたことはないし、広治より若く見える保護者を見たこともない。

昨日、亜沙子が母親らしき女の人と廊下を歩いているところに会った。亜沙子とよく似た顔立ちのその女の人は、涙ぶくろの下にくっきりとしたしわが刻まれていた。亜沙子の涙ぶくろも将来ああなるんだろうな、と思うと温かい笑いがこみ上げてきた。

放課後の教室の蛍光灯は、授業中のそれよりしらじらしい明るさを放っている。広治は勧められた椅子にかけ、阿部ちゃんと挨拶を交わした。今日の広治はいつもより落ち着いていて『まっとうなおとな』に見える。

阿部ちゃんが、進路調査書を片手に話を切り出す。

「美希さんは進学を希望してませんけど、希望する職種はあるんでしょうか? 一番最近の進路アンケートにはアルバイト希望と書いてありますけど……」

「えっ、そうなの?」

広治は大人にあるまじき慌て方で、一瞬前までの落ち着きを台無しにした。

「進学は希望しません。特になりたい職業もないので、バイトで稼いで自分一人なんとか食べていこうかな、と」

「大学行かなくていいの? 専門でもいいし。お金のことなら遠慮しなくていいんだよ?」

阿部ちゃんは明らかに苦笑いしていた。三年の二学期に、まだ自分の娘が進学希望かどうかを知らない親なんて、私でも呆れてしまう。広治はそういうことを一切聞かないし、私も自分からは話さない。

「特に勉強したいことないから」

私がそう言うと、阿部ちゃんは眉を八の字にして後頭部を撫でた。

「進学しないなら就職希望したらどうだ? フリーターよりは、正社員で就職しといたほうがなにかと有利だぞ」

「……考えておきます」

就職するのが嫌なわけではない。特になりたい職業が見つけられないでいるだけだ。

面談が終わった後、広治と職員室に行った。広治が在学していた時の担任の西本先生に会いに行ったのだ。職員室はいつ行ってもコーヒーの匂いがする。

エメラルドグリーンのポロシャツに白衣を着た西本先生は「白井は変わらねぇなぁ」と言って懐かしそうに笑った。

「先生、僕の娘です。今三年です」

「そうそう、白井の娘がいるのは知ってたんだけど、教えたことはないんだよな。そうか、君か」

西本先生は広治の後ろに立っていた私の顔を覗き込み、息を呑んだ。お化けでも見たかのように、てかてかした色黒の顔を強張らせる。

私はそんなにも、美雪さんに似ているのだろうか。

「いやぁ、あのときの赤ん坊がいまや俺が教えてた時の白井と同じ歳だもんな。まいるよ。俺なんてもうじいさんだな」

「まだまだお若いですよ」

「でも、なんだな。親はなくとも子は育つって言うけど、母親がいなくてもちゃんと立派に育つもんだなぁ」

その言葉に、ひっかかりを感じた。私が「ちゃんと立派」に育ってるかどうかはわからないけれど、この世界には、広治に育てられた私しか存在しないのに。

もし美雪さんが家を出ていなかったら、私はきっと、今とは違う人格に成長していただろう。どっちがよかったなんてわからない。けれど、そんな「もし」はなかったんだから、考えてもしかたないじゃないか。

広治は西本先生と二十分ほど思い出話に花を咲かせ、職員室をあとにした。


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