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「無価値」な自分を許す
自分の価値が信じられないと、無価値観からのハードワークから抜け出せなくなります。
忙しさとは、無価値観の埋め合わせだからです。
何もしない、そのままの自分の価値を認めることの大切さと、そこにいたるためのヒントをお伝えします。
【引用元】「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)
自分は本質的に無価値な人間なのだという感じ方を強化してしまう
他人の役に立つということは、社会的に見て望ましいことである。
そのこと自体は否定できない。
ただ社会的に見て望ましい行動をとるということと、その本人の心理にその行動がどういう影響を与えるかということは別の問題なのである。
他人の役に立つというような、社会的に見て望ましい行動が繰り返される内に本人は、自分は本質的に無価値な人間なのだという感じ方を心の底で強化してしまうことがある。
他人の役に立つということ自体が心理的に悪いのではなく、他人の役に立たなければ自分は無価値なのだという感じ方を作ってしまうことが心理的に悪いのである。
何もしていない自分の価値とは
忙しいことを、自分の価値の証明にする。
言い換えると、その心理は、「何かをしている自分」「何らかの役割がある自分」にしか、価値を感じられない状態、ともいえます。
仕事をしているから、価値がある。
パートナーのために何かをしてあげられるから、価値がある。
父親だから、部長だから、価値がある。
何もしていない、何の役割もない、ただただ、そこにいるだけの自分。
その自分に、価値を感じられるか、どうか。
そこに、「無価値観」はしのびよってきます。
結論 「無価値」な自分を許す
自分の価値を、何の根拠もなく信じる。
それは、自分で自分を許す、という最大級の癒しと、同じことなのでしょう。
ただ、それだけに、最上級に難しいことでもあります。
自分の価値を信じるのも、自分を許すことも。
恐らくそれは、生涯をかけてやっていくくらいの、長い道なのでしょう。
焦らなくても、大丈夫です。
もし、自分の価値を信じられなくて、自分を許せないときは。
「あぁ、今はそうなんだな」、と思うだけで、いいと思います。
【引用元】大嵜直人のブログ
『無価値観から忙しくすることがやめられない、あなたへ。』
https://oosakinaoto.com/entry/daily-psychology-59
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