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わたしの仕事

わたしの職歴

転職経験なし

わたしには転職の経験がない。新卒で入った旅行会社に30年以上勤めている。

そう話すと、たいてい驚かれる。
今の時代に転職経験がないなんて、かなりレアケース?

でも、わたしが新人の頃にはそれが普通だった。(と言っても男性限定だけれど。)

転職経験はないものの、一つの会社の中で、実にたくさんの業務を担当してきた。

職歴一覧

職歴といっても、同じ会社の中で異動しているだけだが、結構バラエティに飛んでいると思う。しかも、後方業務が中心で、旅行会社のメインどころのツアー企画やカウンター業務は担当したことがない。

ザッとまとめるとこんな感じ。

【担当業務一覧】
・パッケージツアー手配担当(アジア方面)×3年
・団体ツアー手配担当(ハワイ・アメリカ本土)×5年
・添乗員関連オペレーション担当(国内・海外)×5年
・海外ツアーのAIR手配(飛行機の座席)×2年
・広報(社外・社内PR)×7年
・マーケティング(主に自治体関連)×6年
・営業企画(会議体事務局・PCIDSS)×4年
・たびこふれ(記事サイト運営)×3年

だいたい3〜5年おきに転属があり、一つの会社とはいえ、全く違う業務を担当してきた。だから転職しなくても続けてこられたのかも知れない。

ウチの会社的には、それこそレアケースだった。(当時は同じ業務を長く担当する人がほとんどだったから。)

業務の内容

担当してきた業務を一つひとつ振り返ってみたい。

新人時代

会社に入って、最初に担当したのは、アジア方面のパッケージツアーのLAND手配(飛行機の座席以外の現地手配)。寿退職(ことぶきたいしょく:結婚を機に退職すること)する先輩の後任だ。

今のようにパソコンもスマホもない時代。手配依頼はFAX と電話、台帳管理は全て手作業。プリントアウトしたデータ(コースNo.、お客さまの名前、部屋割など)を一つの記録ごとに切り分け、台帳に貼って、手配先からの回答やアレンジしたことなどを手書きで書き込んでいた。

やってもやっても仕事が終わらず、よく残業をしていた。(終電ギリギリになることもよくあった。)そして、その頃はアジアツアーが爆発的に売れていて、ホテルが一部屋も取れないこともよくあった。(新人が担当するにはかなりハードな業務だったと思う。)

同じ部署に配属された同期は6人。それぞれ担当する方面や業務内容は違ったけれど、ランチを一緒に食べたり、悩み事を相談したり、恋バナをしたり、近くに同期がいたことは本当に心強かった。

当時のこと

1990年代はじめ、女性は寿退職が当たり前。そこで辞めなくても、子供ができたら退社する人が多かった。(実にもったいない。)

そして、新人の仕事は業務だけではなかった。
机拭き、灰皿の片付け、15時の買い出し(お茶を買ってくる)も新人の仕事だった。だから、Aさんの灰皿はパイナップル型、Bさんのは黄色の四角、Cさんのは青の三角など、座席表にメモをして覚えた。これにもちゃんと引き継ぎがあって、翌年には次の新人が担当することになる。

団体ツアーの手配

次に担当したのは、ハワイやアメリカ本土に行く団体ツアーのLAND手配だ。
社員旅行や視察旅行、グループ旅行など、目的も人数も内容もツアーによって変わるので、細かい手配が必要になる。

まずはホテルの部屋を確保し、観光のためのバスや車、ガイド、レストランの予約、パーティー、会議、オプショナルツアー(現地小旅行)などの手配を進めていく。

中でも楽しかったのは、パーティーの手配だ。
会場をどこにするのか(バンケットルーム、芝生エリア、ビーチサイドなど)、エンターテイメントは必要か(バンドマン、ダンサー、ファイアダンスなど)、食事の予算はいくらで、メニューは何にするのか(セットメニュー、ブッフェメニュー、BBQ、ドリンクだけなど)、バナー(垂れ幕)は必要かなど、チェックポイントがたくさんある。

現地担当者とのやり取りは主にFAX。細かい説明が必要なときは、電話を掛ける。ハワイは日本との時差が−19時間、日本の朝10時が、ハワイでは前日の午後3時だ。19時間を計算するのは大変なので、日本時間にプラス5時間(前日)で考えていた。だから、急ぎの場合は午前中に電話する必要があった。

ハワイ担当の間、出張や会議で何度もハワイに行く機会ができ、ハワイが大好きになり、プライベートでも何度もハワイを訪れた。

添乗員関連のオペレーション

当時は社員が添乗する機会も多かったが、基本的には添乗員派遣会社に所属するプロの添乗員に依頼していた。その添乗員関連の精算業務を担当した。

ツアーに出発する前には、企画担当者との打ち合わせがあり、その際に「添乗準備金(現地で現金払いするためのお金や緊急時の予備金)」を渡していた。ツアー終了後に、企画担当者に終了報告をし、準備金を精算を行う。その精算が大変だった。

特に国内のバスツアーは一度に何台も出発することがあり、精算時には添乗員の行列ができる。サッサと終わらせたいのに、書類の記入が間違っていたり、領収書がなかったり、使用禁止のタクシーを使っていたり。

そんな添乗員関連の業務は、国内・海外ツアーの両方を担当した。

AIR手配

その後に担当したのは、海外ツアーのAIR手配。海外ツアーの飛行機の座席手配だ。方面は、ハワイ、アメリカ本土、南太平洋方面(タヒチ、ニューカレドニア、フィジー)で、航空会社は、JAL、ノースウエスト、ANA、エアカラン、エアタヒチ、エールフランスなど。

アポロ、セーバー、インフィニ、アクセスなど、航空会社ごとに使用するシステム・端末が異なるため、操作に慣れるまでかなり大変だった。座席の調整、ネームイン、お客さま情報の入力など、すべて手作業。間違いがないか、毎日ドキドキだった。

広報

一番長く担当したのが広報だ。広報には社外向けと社内向けの2種類があり、当時はその両方を4人で担当していた。

社外向けは、主にプレスリリース資料の配布と取材対応。記者クラブにリリース資料を持っていき、在席している記者一人ずつに説明して回った。まさに「剣もほろろ」な塩対応の人が多かった。(忙しいのだから当然だけれど。)また、年に一度開催していた記者発表会は勉強になることが多かった。

社内向けは、主に社内誌の制作と情報の周知。社内誌は、どんな内容にするかを決めて、担当者に取材したり、写真を撮ったり。入稿や校正作業があったので、この時に「てにをは」という言葉や印刷用語を覚えた。

マーケティング

マーケティングという名前の部署だったが、いわゆるマーケティングの業務ではない。

やや広義に捉えると、マーケティングとは「顧客の欲求を満たすために企業が行うあらゆる活動の総称」といえるでしょう。 具体的には、顧客のニーズを探るための市場調査・分析、それらにもとづく商品企画・開発、開発した商品を知ってもらうための広告宣伝活動・プロモーションなどがマーケティングに含まれます。

三井住友銀行Business Naviより

わたしが担当したのは、主に自治体の窓口。都道府県や市町村の観光担当の方とやり取りする業務だ。この時は本当にたくさんの方と会って、たくさん名刺交換をした。その名刺は全てEightに登録してある。

営業企画

その後に配属されたのは営業企画。主な業務は会社の登録関係と社内会議体の事務局、そしてPCI DSSの担当だ。

PCI DSS(Payment Card Industry Data Security Standard)とは、カード会員情報の保護を目的として、国際ペイメントブランド5社(アメリカンエキスプレス、Discover、JCB、マスターカード、VISA)が共同で策定したカード情報セキュリティの国際統一基準です。

FUJITSUサイトより

国際航空運送協会(IATA)の公認代理店になっている旅行会社は、PCI DSS準拠証明書の提出を義務づけられた。クレジットカード不正利用を防止するためとはいえ、突然のことだったため、それはもう大変だった。

たびこふれ

イマココ。(詳しくは、また別のnoteで。)

以上。

※注意:全てわたしが担当していた当時の話です。現在は変わっている可能性もあります。

(補足)トップの画像は、ある日の新橋駅SL広場から見た空。うっすら残る月がポイントです。

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