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久しぶりの傷つき体験とそこから得られた気づき



このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。





私は、今も、より幸せな人生を目指して自己探求と実践を継続しています。



生きていくなら、この自分で生きていく他ありません。いくら他人に憧れようとも他人になることはできない、それであれば、この自分で生きていくために、いかに色々なことを自分にとって最適化できるか、ということが鍵だと思っているからです。




また、子ども時代本当に辛くて消えてしまいたいと何度も思ってきた分、どうせ生きているなら、せめてこれから生きている間は、半分ゲーム感覚で、自分の工夫や努力でどこまで幸せになれるのか、できる限りチャレンジしてみたい、という気持ちもあります。



そのような私が自己探求の一貫として、先日、脳の特性の検査を受けてみました。脳波を計測して、脳の特徴を明らかにするという検査です。単純に好奇心からその検査を受けたのですが、その時に、久しぶりに、ちょっとした傷つき体験をしたので、そのことについて書きたいと思います。




1 傷つき体験の概要



それはまったく不意打ちで、私は最初何が起きたかその場でははっきりとのみこめなかったのですが、その後、冷静に整理してみて、
自分が傷ついたということに気づきました。



当日の流れは、検査、心理士とのカウンセリング、そして医師からの検査結果の説明、という流れでした。




最後、医師から検査結果を説明される前、医師から、日常の困りごとは何か?と、聞かれました。私は、元々困りごとを解決したいから検査を受けたのではなく、自己探求の一助とするために検査を受けました。そのことは、事前問診でも、心理士とのカウンセリングでも伝えていました。しかし、改めて聞かれたので、ちょっとしつこいなと思いつつも、医師に相談するほどの「日常の困りごと」を抱えていないので、最初は「ありません」、と言いました。



しかし、納得してもらえない様子でしたし、確かに「ありません」では医師が話を進められなくて困るのだろうと思い、医師を気遣ってこう答えました。



「私が今困っていること、唯一あるのは、それは親との関係についての問題です。でも、一生かけて向き合っていく他ない問題だと思っていて、これといった解決ができる問題であるとも思ってはいません。」
「親との関係にかかわる過去の辛い記憶がなくなり、未来への不安がすべて消えれば、私は本当に困っていることがなくなります。でもそんなことはありえません。」
「それ以外の問題は、他者の力を借りながら自分で対処してきたので、困っていることはありません」と。



医師の診察の前に心理士と話す時間があり、そこでも、自己探求をしたいと思ったきっかけや背景事情として、私が機能不全家族で育ったこと、具体的な幼少期のエピソード等を話していました。その内容は医師に共有されるとのことだったので、医師も心理士から聞いているのだろうという前提で、私はこう述べたのです。




すると、医師が、驚くべき発言をしました。



「あなたの脳の特徴を知っていれば、あなたの親御さんはそんなこと(虐待や不適切な養育)をしなかったかもしれないね」




私は、開いた口がふさがりませんでした。
正直、その瞬間は何が起こっているかわからず、
でも、私の脳のせいで虐待を受けたとでもいうのか?と思う気持ちは抑えられず、必死に、「どうしてですか?」と食い下がりましたが、それが限界でした。
もっときちんと怒ればよかったと思っています。




ちなみに、その後の検査結果の説明で言われたことは以下のような内容でした。
・脳波が平均値よりもとても強い
・強いということからわかるのは、頭の中にたくさんの思考が駆け巡り、ぐるぐる思考が止まらない。そして、ぐるぐる思考が続く結果、ネガティブ思考の沼にはまり、引きずりやすい。
・大きな決断ができない、あるいは、難しい。
・気分の浮き沈みが激しい。




その結果を聞いた私は、大変申し訳ないのですが、「ふーん」としか思えませんでした。それはもちろん、医師が直前に驚くべき発言をし、医師への信頼を喪失したからというのもありますが、それ以上に、自分の特徴として、頭の中にたくさんの考えやアイデア、思考が常にあるということは、8年くらい前から認識していたからです。脳波が平均値よりもとても強いと言われても、申し訳ないのですが、何の驚きもありませんでした。




そして、頭の中にたくさんの思考が駆け巡るのはそうなのですが、
そこから医師が分析した結果である、
「だからぐるぐる思考が止まらない→ネガティブ思考になる→引きずりやすい」「大きな決断ができない」「気分の浮き沈みが激しい」というのは、
現在、日常生活でこのようなことに困っていない私には、何も響きませんでした。



もしかすると、もともとの脳の素質としてはそうなのかもしれません。私がより生きやすい生活を求めて、自分の思考や習慣を変える作業を積み重ねた結果、今は困っていないというだけなのかもしれません。でも、だとしても、今困っていない以上、私には響きませんでした。



というわけで、自己探求に役立つ結果は得られず、
それよりも、医師の言葉
「あなたの脳の特徴を知っていたら、親はそんなことしなかったかもしれない」ばかりが、頭と心に残る結果となりました。




2 傷ついたんだと気づくまで



検査を受けたのが昼ごろで、自分が医師の言葉に傷ついたということがわかったのは、その日の夕方ころでした。その間、色々とやるべきことがあり、やるべきことを淡々とこなしながら、「あれはいったい何だったんだろう?」と、ぼんやり考える感じでした。



そして、夕方になって気づきました。



あ、これ、また自分のせいで虐待を受けた、自分が悪い子だから親に愛されなかった、という思考にはまっていないか?と、ふと気づきました。



私は、子どものころ、自分が悪い子だから親に愛されない、自分が悪い子だから暴言を吐かれたり、足りない部分ばかり指摘されたり、一挙手一投足指摘されるんだ、と思っていました。だから、とにかく良い子にならなければ、と思い、自分という存在を殺し、親にとっての良い子になろうと、自分を追い詰めていました。


でも、今はわかっています。
自分が機能不全家族で育つはめになったのは、自分のせいなんかでは決してないことを。
自分が悪い子だったから、親から暴言や否定を浴びせられ続けたのではないことを。



冷静に考えてもおかしな話です。
子どもが悪い子だから親に虐待される、というのは、
いじめられるのは、いじめられる側が悪いからだ、という論理と同じ。
そんな馬鹿な話があるわけありません。


でも、子どもにはわかるはずもありません。
だって、世界で一番大好きで、自分にとっては自分を守ってくれるはずの、立派な大人である親が、自分にひどいことをする、その事象自体が理解しがたいのに、それに特段の理由もないなんて(あるとすれば親側の問題ということなんて)理解できるはずもありません。



だから、子どもは自分が悪い子だからつらい目にあうんだ、
良い子になれば、きっと親は変わってくれる、と信じ続けることで、
その環境を生き延びようとするのです。


今では、このカラクリをよく理解しています。
でも、これは、腑に落ちるレベルまで理解するにはとても時間がかかりましたし、何といっても、理解してからの日が浅いため、他人から、
「あんたが虐待を受けたのはあんたに原因があったんじゃないの?」的なことを言われると、すぐに自分が悪いのかな~という思考に戻ってしまいがちです。それほどに強く、私は長年自分が悪い子であると思い込むことで、親から愛情を得るための希望を見失わないようにして生きてきたのだと思います。



今回も、これが起きたのだと理解しました。
医師から、あたかも自分の脳のせいで虐待を受けたかのようなことを言われ、「あれ?自分が悪い子だからつらい目にあったんだっけ?」という思考が戻ってきてしまったのだと。
でも、もう大人になって、今の私は、自分が悪い子だったから虐待を受けたのではない、ということが理解できています。
だから、医師の発言に強い違和感を覚えた、でも、突然のことで、その違和感について、瞬時に気づき理解することはできず、数時間経過してようやく、気づくことができたのです。



そして、自分が医師に対して怒りを感じていることに気づき、怒りの原因は何かということを考えた結果、自分が悪いから虐待を受けたかのような発言をされて傷ついたからだ、ということにも気づきました。




3 この体験から得られた気づき




今回の検査については、有益な社会勉強だったと思っています。
何事も経験ですし、これで、私の自己探求の手段から、現時点では脳波の検査という選択肢は消えたわけですから、その点で多いに意味があったと思っています。



また、今回の体験を通じて、私には、以下の気づきが得られました。



①一つひとつはちょっとしたことであっても、生きやすさを模索するための環境調整や工夫は馬鹿にできないということ



私は長い年月をかけて、日々の生活が順調に回り、幸せな人生を送れるよう、色々な環境調整や工夫をしてきました。その作業をやり始めたころは、しょっちゅう焦り、全然変わらない人生に、不満を募らせることもありました。環境調整や工夫をしても対して変わらないのでは?と絶望することもありました。
でも、今、親のこと以外、「困りごとがない」と堂々と言えるまでになったのです。少しずつの行動であっても、積み重ねによって、確実に人生が変わるということを再発見しました。



もちろん、心理士や医師の手助けや、家族の理解や支えがあったからこそ、ここまでうまくいったといえるので、お世話になっている人たちへの感謝の気持ちもより強くわいてきました。




②毒親育ちはやはり心のメンテナンスを継続していった方がよいのではないかということ



今回のことで、私は、「自分のせいで親からひどいことをされたのではないか」という気持ちを、短い時間であったとは言え、またも抱いてしまいました。そして、弱い自分、無力な自分に戻り、医師に怒りを伝えることもできませんでした。


やはり毒親育ちは、長い年月をかけて、不適切な思考や習慣を身に着けてしまっています。それは、子ども時代は自分を守ってくれるものでした。でも、大人になった今、健康的に生きていくにあたっては、その多くは不適切なものです。いくら頭ではそれを理解して、新しい思考や習慣を身に着けても、やはり長年かけて身に着けてしまったものは、簡単には消え去りません。


だから定期的に心のメンテナンスをして、健康的な思考や習慣をより強固なものにしていけるよう、心がける必要があると思います。


自分と向き合う時間を作ることもそうですし、必要に応じて心理士やカウンセラー等の専門家の力を借りるのもよいと思います。




③親の問題への向き合い方が変わったということ


これは私自身の問題なのですが、長期的に振り返ると親の問題への向き合い方が変わったということに気づきました。



今回私のバックグラウンドをほとんど知らない医師に対して、親の問題について、「一生かけて向き合っていく他ない問題だと思っている」と伝えたことで、改めて今の自分がそのように認識していることがはっきりしました。



以前の私は、そこまでの覚悟ができていませんでした。なんで自分はこんな目に遭わないといけないんだろう、自分がもっと別の家に生まれていたらこんなことにならなかったのに、と、自分の不遇を嘆いていたこともあります。


でも、今は、「親の問題含めて、これが自分の人生」と思えるようになっています。そのおかげで、他者と比べて自分のことを不憫に思ったり、不幸だと嘆くようなこともなく、自分のあるがままを認め、受け入れ、生きていくことができるようになってきたように思います。


これは、自己肯定感がしっかりを根付いてきたという証でもあると感じています。



以上のような気づきが得られたので、今回の検査は、嫌な気持ちもしましたが、良い社会勉強になったということで総括したいと思います。



以上、久しぶりの傷つき体験とそこから得られた気づき でした。



今回もお読みいただき、ありがとうございました。



読んでくださった方たちにとっても何かヒントになるような内容があれば、うれしく思います。

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