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「教育虐待」とは?



このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。




先日、弁護士ドットコム様から取材を受けた際に、
「教育虐待」について、質問を受け、
弊所で実際に相談を受けているケースをも踏まえ、
説明させていただきました。



今回は、「教育虐待」について取り上げたいと思います。



近年で、「教育虐待」が話題になった事例としては、
母から医学部の受験を強要され続けて、
9浪するも最終的にうまくいかず、
母を殺害したという事件がありました。


9浪も強要するような親がいるのか、
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
過去に受けた虐待の相談を受けている私としては、
まったく驚きませんでした。


以下、「教育虐待」について詳しくみていきたいと思います。




1 「教育虐待」とは?



「教育虐待」を定義するのは難しいですが、
「教育という名目で行われる虐待」と考えるとわかりやすいかと思います。



とはいえ、この説明だけでは、
「教育熱心」とはどこが違うのか?など、
わかりにくいと思います。



そもそも「教育」というのは、とても難しく、
一歩間違えれば、虐待に陥ってしまう危険を内在しているものです。



特に家庭内における教育においては、
学習指導要領のようなものもありませんから、
そこには当然、教育を施す親自身の個性はもちろん、
親の期待や思惑も出てきます。



一方で、子どもには子どもの意思があります。
そして、子どもが親と別人格である以上、
子どもの意思と親の期待や思惑とが一致しないこともたくさんあります。



また、力関係も圧倒的に差があります。
親は、お金を出す立場ですし、
普通に考えれば親の方が長く生きている分、
色々な教育方法や学校、進路等の選択肢についての知識が
圧倒的に多いです。
一方の子どもは、
親にお金を出してもらわなければ基本的には何もできない。
教育方法や学校、進路等についての情報も持ち合わせていません。



したがって、親が子どもを言いくるめよう、支配しようと思えば、
とっても簡単にそれができてしまいます。
子どもの方は、支配されたとさえ思わないかもしれません。
親の経済的援助やサポートがなければ、子は生きていけないからです。


親が自分の期待や意向と子どもの意思にずれが生じた時、
どれだけ本気で子どもの意思ときちんと向き合うことができるか、
それが、教育虐待になるか、教育熱心でとどまれるかということの
一つの分かれ道になると思います。



親がろくに子どもの話を聞かず、自分の期待や意向を押し付け、
それを強行した場合、
子どもにとっては、それが「教育虐待」になるでしょう。
そして、間違いなく、親子関係に取返しのつかないひずみを与えることになります。




2 「教育虐待」の具体的な例



あくまでも一例ですが、
弊所への相談でよくあるケースは以下のようなものです。



・進路について、親の望む道以外は許さず、
親の望む道以外の進路を選択した場合はお金は出さない、
子どもの行動を監視して妨害する。
特定の職業(たとえば医師や弁護士、教師等)に強いこだわりを持ち、
それ以外の進路を認めないといったケースが多い。
なお、強いこだわりの理由は、
ほとんど合理性のないものであることが多い。


・小さいころからピアノを習わせ、
本人は趣味程度で楽しくやりたいと思っていたが、
それを許さず、音楽大学への入学を強制する。


・スポーツを習っていて、
コーチが怒鳴ったりするのでやめたいといったが、
習い事をやめることは絶対に許さないとして、
子どもが体調不良に陥っても、強要する


・まだ小学生であるにもかかわらず1分刻みのスケジュールを立てて、
それが少しでも守れないと、
土下座をさせる、家の外に閉め出して食事を与えない等する



・勉強を少しでもさぼろうとすると、
親が包丁を持ち出して、顔の横に突き付けてきた。
刺さるのが怖いから、眠たくても起きて勉強をする他なかった




3 他の虐待との違いは?


「教育虐待」という言葉がまだ必ずしも広く知られていないからか、
他の虐待との違いは何でしょうかと聞かれることも多いのですが、
特別、他の虐待との違いはありません。


「教育」という名目で、暴力が振るわれれば、身体的虐待ですし、
「教育」という名目で、子に対する日常的な暴言や強要があれば、
心理的虐待です。


その背景に、子どものことを一人の人間として尊重しない態度がある、
という点は、他の虐待と何も変わりありません。


ただ、「教育虐待」の大きな特徴として、
親本人も、周り(たとえば子どもの親戚や学校の先生等)も、
それが「虐待」とは気づきにくいという点があげられます。


日本では、まだまだ「教育」というと、
目上の者が目下の者に対して施すものというイメージが強く、
教育をするためには、多少スパルタも許される、といった風潮があります。
目上の者が目下の者のために、
よかれと思って判断しているのだから、それに従うべき、
そんな風潮が残っています。


そこに、さらに、
子は親を敬うべき、
親孝行すべき、
といった価値観も合わさると、
「教育虐待」に気づくことが難しくなります。


親は、教育としてやっているんだから許されるだろう、
これだけ無理してお金も出しているんだから、
いつか子どもは自分たちに感謝するだろう、
等と思い上がり、
目の前の自分の子と向き合う作業を怠るようになります。


周りの親戚や学校の先生は、
あの親はなんて教育熱心なんだろう、
子どものためにお金や時間をかけて、
なんて良い親なのだろう、
と誤解するようになります。


しかし、当然、子どもの方は、何となく感じています。
親が良い成績を取らなければ自分を認めてくれないこと、
親が自分の気持ちや自分の意思に耳を傾けてくれないこと、
親が教育費の出費が原因でいつも喧嘩ばかりしていること等を。


だから、当然子どもは周りにSOSを出したくなります。


しかし、そんな親を良い親だと誤解している
子どもの周りの親戚や学校の先生は、
良いご両親だね、
熱心なご両親だね、
あなたも頑張りなさい、
などと声をかけてくるようになります。



そうすると、子どもは相談できる場所や、
居場所がなくなります。


やはり自分が悪いのではないか、
自分がもっと頑張れば丸く収まるのではないか、
と感じ、
自分の意思を圧殺する方に進んでしまいます。
波風立てず親の意向に沿った道に進もうとします。



もちろん、耐え切れなくなって、
不登校や非行という形でSOSを出し続ける子もいます。



しかし、不登校や非行が起きない限り、親の方は気づきません。
おとなしく自分たちの意向に従っている、
おそらく本人も納得したのだろう、
このまま安泰な職業につけば、将来は自分たちに感謝するだろう、
と。
自分たちに都合よく解釈するようになります。


「教育」という名目があるせいで、
親自身も、周りも気づきにくい、
それが教育虐待の特徴といえます。



4 「教育虐待」をしないためにできること


「教育虐待」の話をすると、
決まって尋ねられるのがこの質問です。
教育熱心な親であると自覚している人たちが、
自分たちの行為が「教育虐待」にならないか心配、
あるいは、自分たちは「教育虐待」はしていないと確信したい、
という思いから、
「教育虐待」をしないためにできることはありますか?
とよく尋ねられます。



これについては、
答え自体は簡単ですが、行うのは継続と忍耐が必要ですと回答しています。



答えは、簡単です。
目の前の子どもを一人の人として尊重する姿勢を持ち、
その心や言葉としっかり向き合うことです。


「教育虐待」というのは、虐待の一種なので、
ある日突然始まるというようなものではありません。
「教育虐待」がある家庭では、
「教育」という名目があろうとなかろうと、
子どもの意思を無視した家庭運営がなされていることがほとんどです。
親に、子どもの意思を尊重しよう、という姿勢がないことがほとんどです。



普段から日常的に、
何か子どもにかかわる物事を決める時に、
子どもの年齢に応じて、子どもの意思を確認し、
少しでも寄り添った対応をしようという姿勢がある親であれば、
「教育熱心」にはなっても、「教育虐待」はしません。



そこまでいかないうちに、
子どもとの対話等によって修正されていくので、
子どもの人権が損なわれるような事態にまで発展しません。



日常的に、
親子は支配と服従の関係だ、
子は親の言うことを聞くべし、
子は親を敬うべき
といった価値観をもち、
子どもの意思を聞くなんて甘やかしだ、
まだ半人前の子どもが意見するなんて生意気だ、
と思っているような親だからこそ、
「教育虐待」にまで発展するのです。



ですから、「教育虐待」をしないためにできることは、
目の前の子どもを人として尊重すること、
そして、しっかり向き合うこと、それに尽きるのです。



でも、これがとても難しいのです。
実際に子どもを育てていると、
子どもは、もちろん親の言うことを聞かないし、
驚くくらい親とは別の好みだったりもします。
親も人間ですし、経済状況等の制約もありますから、
すべて子どもの意思どおりにするということは当然できません。



そこを子どもの年齢に応じて、
察したり、
対話したり、
説得したり、
なだめたり、
と色々工夫しながら調整して、
子どもの気持ちに寄り添った対応をしていく。
時には親の方が間違えることもあるので、
反省して謝罪もして、
また子どもと対話して、
と、そういったことの繰り返しをしていく必要があります。



これはなかなか大変なことです。
すぐには結果が出ないことも多いですし、
子どもが自立するまでとなると長丁場です。
したがって、継続と忍耐が必要です。



しかし、それでも、
子どもにとって「教育虐待」にならないようにするために、
努力すべきところではないかと思います。



「教育虐待」は子どもの心に取返しのつかない大きな傷を残します。
また、親子関係も時期はケースバイケースですが、
いつか必ず破綻します。
その時後悔しても、遅いですし、
何より子どもの心の傷は治りません。




以上、「教育虐待」とは? でした。



教育虐待を受けた子が成長するとどうなるのか、
親子関係にどのような影響を与えるか、
といった点もよく尋ねられる点なので、
また機会があれば、そういった点も取り上げたいと思います。



ちなみに、私が弁護士になったのは、親を幸せにするためでした(当時)。
大変馬鹿らしい理由で進路を決めてしまったと今では心から思っています。
しかし、当時の私は、当時の状況において、
家で社会で生き残るために必死でした。
だから、当時の私のことは誇りに思います。
でも、この仕事について10年が経過した今でも
弁護士であることに葛藤し続けていることは確かです。
最近では葛藤することを受け入れたというか、諦め、
いかに残りの人生を充実させるかという方向にシフトしましたが、
若いころは相当苦しみました。


もしこの記事を読んていらっしゃる方の中に、
今まさに進路を決めようとしているという方がいれば、
たとえどんなに困難そうなことが待ち受けているとしても、
親の意向で大切な進路を選ばないでほしい、
ということを伝えたいと思います。



あなたの声を聞いてもらえない環境の中で、
あなたは無力感に陥っているかもしれません。
私もそうです。
勉強くらいしか取り柄のない価値の低い人間だと思っていました。
でも、本当はあなたは自分を取り戻すことさえできれば、
無限の可能性のある人です。
だから、どうか、親の意向で進路を決めないで、
自分の意向を貫いてください、
そのように伝えたいです。


そうでないと、本当に何十年も葛藤し続けることになります。
たとえ社会的には成功と評価されるような職業であっても、
本人が幸せでなければ意味がありません。
それにあなたが思うほど、あなたが親の言いなりになっても、
親自身は満足してくれません。
それどころか、親から感謝することを求められるかもしれません。
そんなことで人生の時間を無駄にしては、もったいないです。



今回もお読みいただき、ありがとうございました。






















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