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はやり物は廃り物

以前、無能は自分のことを無能とは気付いていない。ということを書きました。

特に放送メディアの中にいる人達は、価値基準が「お金」なのて、買ってくれる人がいるなら、例え、ちょっとヤバめのクライアントさんであっても平気で売りさばきました。契約途中に逮捕されたことで番組に出演できなくなったクライアントさんもいました。近年はそれくらい金さえあれば、スポンサー様として扱ってもらえます。しかし、今どき、宣伝費としてネットなどを差し置いて、ラジオや新聞を使う奇特な企業さんは年々減り続けています。

インターネットの猛攻が始まった2000年代を経て、ニコニコ動画、Youtubeなどが広まり始めた頃、2010年代のメディアは、まだ余裕な顔をしていました。「素人が何やってんの?」的な感じに見ていたと記憶しています。2011年に東日本大震災が発生し、それでも、音楽の力を信じ、音楽(と電波)には力があるとの大号令でした。

この一蓮の流れの中で、結局、メディアは何もやってこなかったということです。マスコミは「電波」を盾に免許事業を行っていますから、昔は特に「メディアは潰れない」という神話があって、胡座をかいていたと思います。これは、多くの業界で同じでしょうが、成長できない企業というのは、過去から教訓を得ていないということです。この「デジタル化」という革命は日本の根本的なことを変えるのに十分であったのですが、どうも「変わる」と「変える」が混同してしまって、「変えなければ変わらずに済む」と考える人が多いという事に気付かされます。それは日本の企業の中にとても多くのレガシーシステムとして残ってしまっていることにも気付かされるのです。

現時点で80年代を頂点としたレガシーシステムはパソコンを使っていても、生産性の向上のために使われていたわけでもなく、新しいサービスや製品を生み出すために使われていたわけでもありません。頭の中がアナログな人たちが使っているわけですから、アナログ的にデジタルを使っていた、もしくはデジタルに使われていたのです。おそらく、日本企業の多くが効果的にデジタル化できていない。これでは海外の企業に勝てません。日本は立派な発展途上国に成り下がってしまっています。

少なくとも、デジタル化に関しては、日本のあらゆるサービスがアメリカ企業無くして成り立たなくなっていることから考えても、もはや無理ゲーであると考えたほうが良いと思っています。これは、私達メディアに携わってきた者の大罪です。Windowsだ。iPhoneだと、まるでこの大きな波に乗らなければ後塵を拝すかのように伝えてきたのですから。docomoだけがiPhoneを扱わなかった時も、ソフトバンクやauを崇め奉り、最も時代遅れの日本人そのものがアメリカ資本主義のお客さんになっていることに気付いていなかったのです。今となっては後の祭りです。

もはや逆転は不可能だと私は考えています。自動車も家電も半導体も、世界のヒット製品を失った日本が、これからどのように世界有数の企業を排出していくのか。

私にはまだ日本の未来が見えません。


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