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僕にとって「教える」とは。

 ここのところ立て続けに僕に、今継続してセミナーを開いているテクニカ・ガビラン以外のことについて、「教えてもらえませんか?」というアプローチがありました。1件は長期的なプロジェクトとして、もう1件は短期的な、差し当たって必要なこと(依頼者にとっては…でもこれも本当はもっと長期的に、かつ広範囲に取り組まねばならないものですが、たぶんそこまで気づいておられないと思われます)、どちらも僕にとってのキャリアの生命線になるような内容で…。

 2004年から2006年まで、と2008年から2019年まで、合計13年間、僕は大学や専門学校で先生をしていました。僕の講義内容や、そのスタイルを知る同僚からはよく、

「先生は、例えばAT限定の普通免許(MTですらない)を取りに来た学生に、どうやってコーナーで逆ハンを切ってドリフトをコントロールするべきか、を教えようとしている。そういう話が好きな学生もいるでしょうが、多くの学生にとっては何の話をしているかわからないままそこですごしている」

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と評されることもしばしばでした。まあ、凄い腕前のドライバーは安全運転もできますけど、クルマと物理がわからない人、あるいは普通に運転できない人がドリフトはできないわけで、転ばぬ先の杖、を教えておきたかったのかもしれません。あるいは、自分が人生を賭けて追い求めている柔道整復師の資質向上につながるために、そして、柔道整復師免許を取得して、所帯を持ったのち、そこからまた何年も両親にも迷惑をかけ、妻や子供の生活にまで大きなリスクとなりかねない留学を経て身に着けた知識や技術を伝えるのだから、と力とエゴが入りまくっていたのだろうと今振り返って思います。

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 そんな姿勢でやっていると伝わるところには伝わるようで、勤務先大学の他学科の学生のグループから僕に「春休み期間中に、外傷の検査法を教えてほしい」とリクエストがありました。「来るものは拒まず、去る者は追いすがる(笑)」のポリシーを持つ僕は二つ返事で3時間×4週の課外授業を行いました。それで僕のお給料が増えるわけではありませんが、他学科の学生であっても、彼らが社会に出ていい仕事をしてくれることで救われる患者さんやアスリートがいると思えば、そんなのは全然苦にならなかった…若かったのかもしれません。

回想(ネガティブ注意):そういえば、その課外授業を代表で頼みに来た学生、仮にA君としておきましょうか、その課外授業の初回に何かの用事と重なったらしく、出席できない、と伝えてきました。
 別件がどうしても出席せねばならないとても大切なことだったとは思うのですが、僕が「A君のために別に時間を取りましょうか?」と尋ねたところ「1回目の授業で触れた内容はB君に聞いておきます」と来たので、若かった僕は「僕が7年間何百万円とお金をかけて、アメリカで家族を危険にさらして学んできたスキルを、3時間授業を受けたB君が伝えきれるとは思えないけど」と返したところ、それまで僕も定期的に自分の臨床の現場に連れていったりしていたにも関わらず、そのメール以降音信不通に(苦笑)。もっとびっくりしたのは、その1年後の卒業式では僕がA君の目の前に立って、目が合っているにも関わらず「ありがとうございました」の一言もなし(笑)。
 そんな彼も今は某NPB球団にお勤めだとか、それだけでなく僕の知人には「牛島の元でお世話になっていました」と調子よく自己紹介していると聞いて唖然としました。まあ、そうやって何か些細な事があるたびに逃げる姿勢でいる人が選手からの信頼を集めることはできないと思うのですが、どうでしょう?もしかしたら、その球団ではそんな姿勢でもその職務が務まるのかもしれませんね… そのタイミングにもっといい教え子たちが複数いたのもあって、その球団、見る目ないよな、と小言の一つもいいたくなります。
 が、きっとそこにたどり着くまでに大きな人格的成長があったのだろうと信じておきます。

 今は大学の教員を辞めて、「治療家やアスレティックトレーナーの育成」はひとまず横に置いて、間接的にそれにつながる新しい道へ進みはじめて、あの頃は勝手に周りに敵を作って苦しい戦いをしていたのだな、と振り返ることで、素直に「若かったな」と笑い話にできるようになったのですが、ここにきてまた「教えてほしい」という声が。

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 もちろん、高校1年生でスイミングスクールのコーチをアルバイトで始めてからかれこれ30年は教える仕事をしてきたので、基本的に人に何かを教えることは好きです。合計13年の大学教員生活でも、研究・臨床・教育の中では常に教育に軸足を置いていました。その教育がここでは思うようにできない、と感じる出来事がいくつかあったためその大学を辞めたので、もう一度自分の持つ知識やスキル(それも自分の興味のど真ん中に関するもの)を教えるにあたり、中途半端な教育に終わりたくない。それを僕が教える以上、僕にある範囲までの権限が必要だったり、こだわりの機材や設備が必要になったりすることは先にお伝えしておきたい。国内のスポーツ医学を取り巻く環境が、米国のレベルに近づく、いや追い越す(留学やMLB球団に勤務した経験で、アメリカってすごい!そこに居てた俺ってすごいでしょ?って言いたいわけじゃない、いつか向こうに勝ちたい、アメリカ人が日本語を勉強して留学するくらいにしたいんです)ためにはそちらもそれくらいの覚悟を持ってもらいたい。(まあ、そこで求められている以上のものを持ち出そうとするから暑苦しいと思われるんだよね、きっと)

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 いや、ええねん、やってる感さえ出るならそれで、というのであればどうか別の人にあたってください。日本のやり方、そこにいるスタッフがどういう教育を受けてきたかも理解したうえで、どう米国最高峰レベルにおけるスタンダードを導入できるか、を知っていて実践もできる人、ほかにもいると思いますし、もっと気安く引き受けてくれるかもしれません。僕が柔道整復師として初めてNATA認定アスレティックトレーナーになってから18年も経つわけですし…。

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 まあ、まだWeb上でこんなことを言っているうちは、僕にとっての「理想の教育ができる環境」が整うのはやはりまだ先かもしれませんね。教え子のみんな、社会に出たら、まれに逆ハン切らないといけないようなことあったでしょ?でも普段は安全運転でね。


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