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「あれ・俺」を問う

 本当はこのエントリは投稿するつもりはなかったんだけど、業界で大変お世話になっている大先輩からある選手とその父親(指導者としても有名な方)の話を聞いて…。それも聞けば聞くほど酷い話、「あれ・俺」を貫いてもあそこまで行けてしまうこともあるんだ、若い人たちには勘違いしてほしくない、とPCを開けた次第。

 先日、受け持ちの3年生のゼミの時間のゼミ生のプレゼンの中で、選手を支える仕事の姿勢として

「結果が出たときは選手のおかげ、結果が出ないときは我々のせい」

という僕の言葉に強く影響を受けて、すごく険しい道だけど、やはりこの道で生きて行こう、と思ったと言ってくれた学生が現れた。 嬉しかったのは事実だけど、一点明らかにしておかないといけないことは、実は僕も誰かから教わった言葉だということ…

水着、小さい!そんな時代だったとはいえ(笑)

 20歳の時、アルバイト先のスイミングスクールで選手コースの一番下のレベルを受け持つことになったとき、そこのヘッドコーチから言われた言葉で、コーチであってもATであっても根っこは同じ、謙虚さを忘れるな、という戒めとして自分の中でずっと意識し続けてきた。治療でもトレーニングなどの指導でも、実行して結果を残すのは患者あるいは選手、僕らはそれを手助けするだけの立場でしかない。それなのにわがSNSのタイムラインには「あのケガは俺が治した」「あの選手は俺が育てた」などの「あれ・俺」の多いこと多いこと…

 そのヘッドコーチ氏は、スイマーとして素晴らしい実績を持っておられたのだけど、ご家庭の事情で大学には進学せず、高卒で働き始め、その会社が競技を継続するためのサポートを続ける、と言ってくれていたにもかかわらず、20歳、入社2年目で400m自由形で日本一になったとたん、スッパリと競技を引退し、日々の業務に専念される道を選んだ。そして20代のうちに某スイミングスクールのヘッドコーチとなられたばかりでなく、後にそのスイミングスクールを傘下に置く学校法人の事務長にまでなられた。学校法人なんて教員は大卒、事務職員も普通大卒しかいない、そんな中でたたき上げでキャリアを築かれたという点でも凄いと思うのだが、本人は「まあ、運とタイミングやよ」と謙虚そのものらしい(このくだりは人づてでしか聞いていません…ご無沙汰をお許しください)。

 そればかりではなく、その方の長男君がドラフト1位でプロ野球の球団に入団する、という「水泳で他人の子に結果を残させた(高校レベルまでの日本一を何人も育て、近畿2府4県のスイミングスクール対抗の選手権では団体で男女総合優勝を何回も…)」だけでなく「自分の子供を他種目で、いや、他競技において、その年日本一の選手に育てた」という父親としても凄い方。若干酒癖が悪い、という業界内での評判もあるのだけど(笑)、僕はそのアドバイスをいただいた時から30年以上経つ今も、その方を男として尊敬している。 その方が子育てに関してよく口にしていたことは

「誰かに任せたのなら、余計な口出しはしてはいけない」

だった。その方の長女がライバル校の選手コースに所属していたときも、まだ小学生だった娘さんに

「そのコーチの言う通りにやりなさい、そこの選手である以上、父親だからといってオレに教えを乞うな」

と突き放していたし、後にウチに移籍してきて僕の元で泳ぐようになったときも決して僕の指導に口を挟むことはなかった(非常に短い期間だったとはいえ、僕もまだ20代前半で、しかも横でヘッドコーチが見ているなかビビりながら指導していたのを覚えている…)。長男君の野球に至っては、小・中・高・大と各レベルで出会う指導者に完全にお任せ、聞くところによると、練習や試合を見に来られた際にも別競技とはいえ、自ら日本一になり、その後のキャリアで日本一を何人も育てた人、だとは思いもつかないほどの低姿勢で「息子をお願いします」というスタンスだったという。

 ただ、長男君には

「1番以外に意味はない、ドラフト1位で指名されないのであればプロに行ってはいけない」

と厳しく伝えていたようで、高校、大学とプロに行けた機会を2回も諦めさせ、社会人野球に進んだ後に、1位指名が来たからプロ入りを認めた、という厳しさも記しておかなければならないと思う。その方が僕に冒頭の言葉を伝えてくれたときに、

牛島君の選手としての力は認める(ちょっと嬉しかった、大阪で2番、くらいやったけど…笑)コーチとしても4泳法を指導できる力があるのはよく分かったけど、選手コースの指導は未知数、俺も君くらいの年齢の時に全国優勝したけど、選手としてその年の日本一になったというだけで、それがなんぼのもんやねん、と俺は思ってる」

って、日本一になったことがある人しか言えないし、それを数多の機会の誘惑(決して裕福とは言えない生活、いろんな方面に面倒見がよい方でしたから…本当にお世話になりました)にも負けず、長男君に対しても貫いたところがその方の立派さを物語っていると思う。 ここまで褒めちぎってはいるけど、僕はホント無礼を働いていて、アメリカから帰国後15年間は、すぐ近くに居られたのにそれ以降も含め20年ちかくご無沙汰している。ただ、僕の仕事が仕事なだけに「息子に繋いでほしいから現れたのか?」と思われたくなくって足が遠ざかっているんだけど、よく考えたら、そんな風に僕のこと思う人ではないよなあ、と…。長男君が現役を引退したくらいのところではご挨拶には伺いたいとは思っています。

AERA.dotよりお借りしました、問題があればご指摘くださいませ。

 小林春富コーチ、本当にあの時の言葉、感謝しています。自分のキャリアの芯にできただけでなく、今こうしてさらに下の世代につながりました…。



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