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「傘寿随想」カナダのマルローニー元首相国葬で思ったことなど。。。

去る3月23日は、私の傘寿の誕生日でした。何で傘寿というのかどうかなどわかってもいないくせに、敢えてそういう言い方をするのは「80歳」という自分の歳をあまり言いたくもない気持ちがあるせいかも知れません。

よく考えれば、いくら隠そうとしたって自分の歳は厳然として、そのまんまだし、恥ずかしいことでも、遠慮することでもない。私の家系の中でこの歳まで生きた人は、私の知る限りいないということは、むしろ神の恵みと喜び感謝すべきではないか。

ヘッダー写真は、誕生日の朝、ウチの裏庭で撮った燦燦と輝く太陽と青空。実に気持ちのいい早春の朝でした。その日の夕刻から、友人、Nさんご夫妻宅にシニア・ウオーキング仲間、私の家族一同が集まり、ポットラックのバースデーパーティーを催してくれました。実はNさんのご主人の誕生日が前日(3月22日)で、彼は81歳になったので、彼と私の合同誕生祝いとなったのです。

この3月23日は、今年2月29日に84歳で死去したカナダの第18代首相、ブライアン・マルローニー氏の国葬が、モントリオールのノートルダム・バシリカ(聖堂)で行われた日でもありました。

マルローニー元首相は、1984年に中道右派とされる進歩保守党を率いて総選挙に勝利し、連邦首相に就任、2期連続、1993年まで、国内外ともに激動の時代、国政を担うリーダーの座に就いていました。

マルローニー元首相は、日系カナダ人の間では、1988年9月に連邦議会で初めて正式に第二次世界大戦中、カナダ国内で不当に差別的な扱いを受けた日系カナダ人コミュニティーに対して謝罪し、補償を行った政治家として知られています。

私個人の思い入れとしては、彼が首相在任中(1988年)に、カナダ公共放送CBC傘下の、ラジオ・カナダ・インターナショナル(RCI)日本語短波放送班に雇用され、それまで住み慣れたバンクーバーから家族とともにモントリオールに引っ越しをしたということがあります。

RCIは、いわば政府(当時の外務省)直轄の報道機関の一部であり、当時の湾岸戦争の煽りを喰らって、その日本語班は約3年半後には「整理」の対象になってしまい、私は新しい職を求めてトロントに移ることになったのです。すなわち、私はマルローニー元首相の在任中に、彼の政府(旧外務省)の一職員として「奉職」していたことがあったのです。

感動的だった国葬

3月23日のマルローニー元首相の国葬の模様はCBCテレビなどで全国に放映されました。モントリオール市内の観光名所になっているノートルダム・バシリカ(聖堂)で行われた国葬の全てを見たわけではありませんが、ニュースで伝えられた部分だけ見ても私は感動しました。

次のURLをクリックしてください。 元首相の孫娘の一人がケベック州のプロの歌手と亡き祖父が愛唱していたアイルランドの古い歌(彼はアイルランド系移民の子だったのです)をデュエットで歌います。すると、歌の途中で二人が沈黙すると、何と元首相が朗々と歌い続けるではありませんか。

https://www.cbc.ca/player/play/1.7153636

これだけではありません。今回は割愛しますが、元首相の長女、キャロリン・マルローニーさんが家族を代表して弔辞を述べましたが、感動的な内容でした。彼女は現在、オンタリオ州政府で閣僚となっていますが、私はいつの日にか、キャロリンさんがカナダ連邦首相の座に就く日が来るかもしれないと思っています。

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