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note言わない僕。

自分の話を話したい訳でもなく、影響したい訳でもなく、承認欲求が強い訳でもなく、自分が自分の決めた自分、もしくはそれに近づいた形で折り合いが付くのが一番良いと考えるタイプだ。

それは確かだ。それは確かなんだけども、現にこうやって書く矛盾、はどうか目をつぶって頂きたい。

他人の反応、評価で自分の価値を決められない方はだいたいそうかもしれないが、自己評価は低い。足元を掬われない反面、自分の理想に全く追いつけてない自分に人知れず心が折れそうになり人知れず持ち直しを繰り返している。自信満々に自分を売り込んだりするのも下手かもしれない。

他人の評価を受け入れるタイプは自分に厳しいタイプなら良いのに。逆に他人の評価を真に受けれないタイプはせめて自分に甘いタイプならバランスが取れると思うが世の中そうは上手くいかない。

そもそも他人の評価を受け入れるというのは自分への甘さからくるのかもしれない。

過去もあまり振り返らないタイプだ。恥ずかしさでいっぱいです。尊敬する映画監督、園子温監督が本の中で「刹那に生きる」と掲げていた通り、僕もそれを実践している。

刹那=一瞬を精一杯生きた積み重ねが過去、そして未来のはずだから。

過去に興味がないのは、そんな大した事を残してきた訳ではない事も理由の一つかもしれない。記憶も曖昧。

人それぞれ多少は誇れる過去があるのだろうか。過去を大した事ない、と思う事がそもそも自己肯定の低さが現れてそうだけども。

それでも僕は今まで、何回か自分の人生を振り返るタイミングがあった。どうしても過去を形式上でも他人に説明しなければならない状況があったからだ。

今から、その過去を振り返った時に気づいた出来事を振り返ってみようと思う。とても純度の高い暇つぶしにはなりそう気がしている。

自分の過去を振り返るとなると膨大な量にはなってしまうので、それは追々書くかもしれません。今からはその振り返った時に初めて気付いた、少し驚いた事を書く事にします。

全く面白くはないとは思うんですが、こんな人間がいる、程度で皆さんの好奇心をくすぐる、撫でるぐらいになればと思います。

小学3年生から高校3年までサッカーしかしてません。運動神経は良かったです。今まで会った人の中で運動神経が一番良い、と3人ぐらいに言われた事はあります。(笑)

サッカーも中学生の時に東京都の選抜にも入っていたし、高校もサッカーで決めたし、高校自体も全国大会に出てるし、本気でプロを目指していたレベルではあるんです。足も短距離そこそこ早い、中距離、長距離はなかなか早い。

結果は高校でレギュラーになれなくて辞めてしまったし、もうその辞めたのも22年前??の話なんで他人の話のようですが。全く後悔はしてません。

今の精神力は完全にサッカーによるものだし、みんながグランドの脇に気付かれない様にゲロを吐いてまた練習に戻っていく、あの夏の練習よりもキツイ出来事は未だ人生にはないです。社会人時代も。芸人時代も。

「人は人によって人となる」

スポーツは確実に良い。人間が研磨されます。もし、この先子供を授かるタイミングがあれば何でも良いので好きなスポーツはやらせたいと思います。そんなタイミングあればですが。

しかし、言いたいのはそんな事ではなくて、そんな10年近く情熱を注いだサッカーでさえ、小学校3年の時に自分から始めたというより、母親にやってみたら?って勧められたって事です。

高校3年になり、サッカー推薦で大学も行けず、サッカーを辞めなければならなくて人生最大の挫折を味わっている時、担任の先生が、あなたは文章を書く事が好きなのでは?と広告ライター系の専門学校を勧められたんです。その後、文章を書く勉強をしながら広告代理店(営業職だったけれども)に何となく入り10年近く。

その会社の同僚、今の相方ですが、彼が芸人になる為に山口から上京してきていて、ネタを書いてみないか?と誘われたので芸人の道へ。そして、13年目の春が。

因みにそれまで芸人になりたいなんて思った事は人生で一度もないです。普段の人間関係が出来ている日常での面白い人と、舞台に立って、初対面の人を、開始10秒で笑わすプロの領域には確実に大きな溝があって、それを素人ながらにずっと思っていたからです。

でもこんな人間は少数派みたいです。この世界に入って、色々な芸人さんから熱い初期衝動を聞いてきましたが、そんな溝の事なんて考えずに、ある人は学校一面白かったからとか、テレビの芸人さんに憧れてとか、そんなシンプルな情熱の人達ばかり。あれでも相方は前者みたいなんですが。マジかよ。(笑)

勘違いして欲しくないのは、でもそんなシンプルな衝動が一番良いと思うし、憧れてはいるんです。そういう人は大好きです。

僕が振り返って少し驚いたのは、ほぼ自分の人生の選択を自分で決めてこなかったって事です。こんな10年単位で続けてきた事でさえ、僕はほぼ、周りの人から勧められたり、誘われたりしてたって事です。

自分の人生は自分で切り開く、なんて聞き慣れた言葉がありますが、切り開いてなんてないんです。いや、切り開いてはいるかもしれませんが、山の管理者がこの斜面を切り開いていけば見晴らしの良い丘にきっと出るからと言われて切り開く場所を指定をしてもらってきたみたいな。(笑)

自分で選択する事を避けてきた。自分の人生に責任を持ちたくない。なんてマイナスな精神性が根底にはあるかもしれません。

しかし、僕が変だなと思うのは、そんな他人任せ、ある意味無茶振りの様な選択肢の連続にテンションが上がってきたという事です。

そのやり続けてる年数を見て貰えば嫌々やってきてない事は分かると思います。嫌々で10年は続けられません。僕は人に勧められた事を、勧められた事だからこそ、情熱を注ぐ事が出来るという事です。

「つまらない本と、つまらない仕事と、つまらない人間はいない」

20代の時、座右の銘的にしていた言葉です。いや、冷静に考えるとそんな事ないと思う人もいるかと思いますが、僕はこれを本気で思ってきたんだなーと今になって気付きました。

何かを選ぶ事にはあまり興味がなく、与えられた事を、その与えた人が想像も出来ない領域にいく事が僕の熱量の気がします。何かを0から始める、芸人の最初の一歩を自分で始める、それは凄い事で憧れでもあるし、そういう人に劣等感を感じる事もありました。わがままを言う人が好きだし、わがままな女性が好きなのはその為ですきっと。(笑)

でも昔、作家さんに「お前はある意味天才だよ。」と言われた事があります。自己肯定が低い自分は馬鹿にされてるんじゃないかと思い、「絶対そんな事ないですよ!!」と言い返しました。

しかし作家さんは「世間では0から1を作り出すのが天才ってイメージあるでしょ?でもお前は1から50とか100出せるから天才。」と言われました。

あー天才は言い過ぎにしても、そういう才能を認めてくれる人もいるんだなと。僕は与えられた1を必死で50とか100とか、よく言えば1000、1万にしたいんだなーと。

結果が出ていないので、その自分で最初の一歩を決めない事が結果の出ない最大の原因だよと愛あるご指摘があるかもしれません。

しかし、後悔もしてないし結果が出ない事を誰かのせいにした事はありません。これは僕の性格なんです。白黒つけるのは苦手で、グレーをいかに濃いグレー、そして熱いグレーにするかみたいな。(笑)

こんな状況です。やりたい事も、やりたくない事も、上手くはいかない状況の中で、どうせどっちも上手くいかないなら、やりたくない事はやりたくない!って初めて言えそうではあるんです。新しい自分です。

これからも人生に襲い掛かるお誘いや無茶振りに、乗っかりながら、翻弄されながら、悶々としながら、それを打ち返す時にテンションが上がる自分の面倒を見る。そして、やりたい事だけやる新しい自分の責任を取る、そういう生き方をしていくのでしょう。

もうそんな歳でもないけど。変な人間だな。ノーと言わない僕。でもこんな人間が1人ぐらいいてもいいかなと思う今日この頃です。

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