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目指すところは「野望なき成功」だったよ

最近、ちきりんさんの過去のVoicy配信を、たまたま聞き直して、「そうか、自分が目指すところが言語化されていた」と思ったので共有します。

現在はプレミア放送になっていて有料なので、聞けない人もいるでしょうが、一応リンクを載せておきます。
この放送自体を聞かなくても分かるように、要約を載せておくので大丈夫だと思います。

■オタク型の人間の野望なき成功

【要約】
・ある配信者のプロフィールに「野望なし」という記載を見かけた。
・配信者になるような人は、野望を持つべしという前提があるのか?
・だから、野望はない、とわざわざ書く必要があるのだろう。
・人生や生き方の成功は、野望の有無は関係ない。
・成功確率は変わらないが、成功の定義が異なる。
・オタク的な気質があれば、成功できる時代なのだ。

うまくまとまっているかどうか分かりませんが、だいだいこんな感じ。

野望をもつべきか?

「野望」というと「世界を変える」みたいな大げさな印象がありますが、そこまでじゃなく、将来の展望に関して「こうしたい」「こうなりたい」というような願望を持っている、という解釈です。

一番分かりやすいのは、「稼ぎたい」っていう気持ちでしょうね。
サラリーマンだろうがフリーランスだろうが、年齢や職業に関係なく、わりと一般的に持っている願望だと思います。

あとは「出世したい」「認められたい」「賞賛されたい」という欲求であったり、「社会を良くしたい」「このような環境を作りたい」という外向きの理想を持つ、ってのもあります。

特に、SNSやブログを熱心にやっている人であれば、「もっとフォロワーを増やしたい」「インフルエンサーになりたい」という気持ちもあると思います。

強弱はあっても、これらの思いをひっくるめて「野望」と表現しています。

で、この程度なら「野望」を持っている人のほうが多数派ではなかろうか、という前提があって、わざわざ「野望なし」と注釈する意味があるのでしょう。

「野望なし」とは?

では、「野望なし」とはどういう状況なのでしょうか。

上述したような、「こうしたい」「こうなりたい」というような願望がない状態、「自分が、とりあえず好きなことをやって生きていければいいや」ということになります。

こう聞くと、何ともやる気のない、自堕落なイメージですね。

そんなんじゃ人生の成功者、勝ち組にはなれない、と思われがち。
ただ、そのイメージは昭和の価値観なのです。

現在、平成後半~令和の時代は、野望なんかなくても、十分「成功者」になれる時代です。

ただ、その「成功」の定義は全く異なります。

野望ありの人は、お金や地位、名声を手に入れることが成功。
野望なしの人は、自分が楽しく生きていければ、お金や地位などなくても「成功」なのです。

世間の基準や、他人からの評価は、全く関係ありません。
自分が楽しければいい、というだけなので、世界や社会がどんなだろうが、それは気にしません。

これは「オタク的な気質の人」にとっては、成功を手に入れやすくなったことを意味します。

オタク的気質の人は、野望なしでも成功できる

オタクである、という意味ではありません。
「オタク的な気質」です。

漫画やアニメ、ゲーム、アイドルなどに興味がなくても、「オタク的な気質」という人がいます。

他人の目を気にせず、自分が好きなことだけに没頭する、という感じ。

ちきりんさんも、オタクの趣味はなくても、当初は誰にも読まれないブログを、数年間「書くことが好きで続けた」ことが「オタク的な気質」と分析しています。

最終的にはブログがブレイクして、文筆業や発信者として成功し、自分の望む「裕福で、旅行とTV三昧ののんびり生活」を手に入れています。

昔なら、親や年長者からは「好きなことだけをやって食っていけるか」と言われていました。

音楽や漫画、イラストなどを、好きで続けていても、それで稼げる人はトップのほんの一握りだけ。

でも、ネットの時代が、人々の「生き方」を変えました。

とりあえず、自分が生きていければいいや、というレベルであれば、自分が好きなことをネタに、少額のお金に換えることも可能になっています。

別にトップである必要もありません。
「それが大好きで得意な人のうちの1人」くらいでも、生きていくことはできます。

もちろん、生活費のすべてを稼ぐのは簡単ではなくても、「成功」の定義が「好きなことをやりつつ、イヤなことはやらずに生きていく」ことなので、それを手に入れることはできる、という意味。

野望があってもなくても、成功する確率はほとんど変わりません。

どちらが正しいというのはなく、どちらが楽しいかは、人によるとしか言いようがありません。

昔なら、定職に就かず、好きなことだけやっていて、お金もそれほどなく、時々バイトなどをしてプラプラ暮らしている人は、人生の落伍者のように見られていたでしょう。

でも、今の時代は、お金や地位などの世間的な基準よりも、「本人が楽しく生きているか」のほうが、価値としては大きいと、みんなが思い始めています。

そういう生き方も、ひとつの「成功」パターンだと気付く人も、今後増えていくだろうと思います。


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