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「死んだら、それが寿命」という言葉で気付いたこと2つ

「死んだら、それが寿命」

過去に私が聞いた中で、ずっと記憶に残っている言葉。

なんと分かりやすい。そして深い。
当たり前すぎて、なかなか言えない言葉。

どういうシチュエーションで?

若かりし頃、クルージング&バーベキューに誘っていただきました。

クルージングというと、富裕層の優雅な遊びのような響きですね。

そんな大層なものではなく、プレジャーボートで海がきれいな別の漁港に行って、バーベキューや遊泳を楽しむ、みたいな漁村レジャーです。
手伝い要員として参加。

船のオーナーは、小さな電設会社の社長さん。
富豪という感じでもない、船が趣味の普通のおじさんでした。

そのレジャーに参加していた、オーナーの知り合いであろう母子が海辺で遊んでいて、子供がはしゃいで遠くまで行った時、母親が

「危ないから戻ってきなさーい!」

って叫んでいたのを聞いて、そのオーナーがボソッとつぶやいた言葉。


「えーでぇ、戻ってこんでも。死んだらそれが寿命じゃ」

(訳:いいじゃないか、戻ってこなくても。死んだらそれが寿命だ)


その母親に声が届く距離ではなかったため、ほんとに独り言。
たまたま近くにいたので、私の耳には届きました。

そして、いまだにそのつぶやきを覚えている、ってことは、相当印象が強かったのだと言えるでしょう。

それを聞いた時には、それほど衝撃はなかったと思います。
しかし、なぜだろう。
あれから、10年、20年経っても記憶から消えない。
呪いの言葉か。

この言葉を考えていて、気付いた点を2つ上げてみます。

1.結果とプロセス

「死んだら、それが寿命」
そりゃそうだ。

人生の教訓でも何でもない言葉が、なぜここまで引っかかったのか。

寿命と聞けば、人は何となく「平均寿命」を思い浮かべます。
それは、自動車や家電製品などの工業製品も同じ。

無意識に、「通常使用なら、○年くらいは持つ」という耐用年数と認識します。

人間なら、たいていは80代くらいまで生きるだろう、と。

だから、50代や60代で亡くなると「えっ、まだ若いのに」と驚きます。
ましてや、子供や若者の死は、通常ではあり得ない異常事態という扱いになりますね。

このように、通常は「寿命が尽きたら死ぬ」が一般的な思考です。

「死んだら、それが寿命」は、結果とプロセスが逆。
結果がプロセスを証明する。

・「強い方が勝つ」ではなく、「勝った方が強い」
・「賢い子が合格する」ではなく、「合格した子が賢い」
・「イケメンだから結婚できる」ではなく、「結婚したやつがイケメン」

たぶん、この逆転の発想が、印象に残ったポイントの1つだと思います。

2.人生は、長さではなく回数

もう1つのポイントは、人生を「長さ」ではなく、「回数」でカウントしている価値観なのでは?ってこと。

「人生100年時代」って言葉をよく聞くようになった時代。

70~80代で亡くなる人も多いけど、100歳まで生きた人のほうが勝ち組なのでしょうか?

20代で亡くなった有名人は何人も思い浮かびます。
若くしてなくなった人と比べ、100歳まで生きた人の人生は、4倍の価値があるのでしょうか?

・・って考えると、違うよね。

人生は誰でも「1回」だけ。
異世界転生モノは人気ですが、実際には滅多に起こらない。
知らないだけかもしれんけど。

貧困だろうが大富豪だろうが、ドヨ~ンだろうがウェーイだろうが、みんな人生は「お1人様1回限り」

「死んだら、それが寿命」って言葉には、長くても短くても、それが「ひとつの人生」と見なす意味がある。

低年齢の死は、早すぎるし惜しまれる死には違いないけど、1人の人間が1回の人生を生きた証として、尊厳が守られる。

さて、冒頭に戻ろう。

船のオーナーの発言は、「子供が死のうが知ったこっちゃない」という、突き放した言い草に聞こえます。あるいは「好きなように遊ばせてやれ」の意味で言っただけかもしれません。

でも、この言葉をペラッと裏返すと、人生を肯定し、ポジティブ感さえ醸し出す名言にも聞こえてくるから不思議。

あれ以来、私の死生観にじわじわと影響を与えているのは確かなのです。

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