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本の紹介:絵本『ぼくを探しに』 シルヴァスタイン作

休職中につき、日々の気付きなどをnoteに綴っています。

今回は珍しく絵本のご紹介。
私が学生時代に、人から紹介されて知った本です。

小さいお子さんでも十分に読める絵本ですが、どちらかというと大人が読んで考えさせられる絵本かなと思います。

有名な絵本なので、ご存じの方も多いかも知れません。

『ぼくを探しに』 シェル・シルヴァスタイン 作、倉橋由美子 訳


1979年に発行された本だそうです。40年以上も前ですね。
普遍的なテーマなので、今の時代に読んでも古さは感じません。

むしろ、現代だからこそ響く可能性もあります。
また、読み手(受け取り手)によって、さまざまな異なる解釈ができる絵本じゃないかな。

英語の原題は『THE MISSING PIECE』。
(※原書の表紙はすべて大文字)

サインペンでサラサラっと書いたような、シンプルな線画。

表紙に登場しているパックマンのような形状の「丸い何か=ぼく」が、ころころと転がりながら、「足りないかけら」=口の部分、を探す旅に出ます。

リズミカルに歌を歌いながら転がりつつ、雨や風に打たれたり、花や虫と出会ったりしながら、欠けたかけらを探す旅を続けます。

途中で見つけたかけらを、欠けた部分(口)に合わせてみますが、大きすぎたり小さかったり、なかなかうまく合いません。

そして、ついにピッタリと合うかけらに出会います。

完全な「マル」になったことで、「ぼく」は調子よく転がることができるようになりました。

しかし、速く転がることができるようになったことで、今までのように、花や虫と話したり、歌ったりもできなくなってしまいました。

さて、その後「ぼく」はどうなったでしょうか。

是非、絵本で確かめていただきたいと思います。

哲学的な名書

読み手によって解釈が異なり、どれひとつとして正しい、間違い、というのはないと思います。

年齢や、現在の置かれた状況などによっても、感じ方は変わるでしょう。

「足りない何かを探す旅」というのは、人生に例えられたり、就活、婚活、家族、仕事など、いろんな場面で常について回る課題です。

そして、ついに「ピッタリだ!」と思うMissing Pieceに出会えたとしても、それによって、これまでの「探し続けていた時」に感じていた恩恵や幸福感などが、逆に失われてしまうこともある、ということを示唆しています。

何かが欠けている状態が、実は完全体なのか、探し続けている時間が幸福な時間なのか、ピッタリはまるものに出会えたことの功罪など。
このシンプルな線だけの絵本で、自分自身に向き合って、いろいろと考えさせられる名書です。

人に送るのもおすすめです

実は、人にあげてしまって、現在は私の手もとに、この本はありません。
今までに、少なくとも2~3人にプレゼントした記憶があります。

どちらかというと、リア充と呼ばれる人やネアカの人よりも、悩みや迷い、弱さを持っている人に向いているかもしれません。
ただ、人は見た目では分からないので、ぱっと見が明るくて元気な人でも、悩みはあるはずですけどね。

自分で読むのもおすすめですが、年齢や性別にかかわらず、誰かにプレゼントしても間違いが少ない本だと思います。

※続編もあります。

『続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い』
こちらも是非。
※廃刊になったのか、Amazonではマーケットプレイスでしか入手できないようです。

※続編は違う形で新登場していました

なんと、『ビッグ・オーとの出会い』は、村上春樹さんの新訳で、『はぐれくん、おおきなマルにであう』として新登場していました。
オリジナルは、『ぼくを探しに』と同様、倉橋由美子さんの訳でした。
私は村上新訳は読んでいないので、比べてみるのも面白いと思います。

同じ作者の別の本。
シルヴァスタインの絵本『おおきな木』も良いです。おすすめ。


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