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常識と法律の違いについて

yoshiです。今日はなんとなく考え至った、「常識」と「法律」の
関係について、僕の考えを述べていきます。

常識がある人間は
正しい人間と言われる。

その理由は、

「人に迷惑をかけない」

からである。

つまりそれは、
社会に影響を与えない

「無難な人間」

とも捉えることができる。

一方、常識のない人間として
「迷惑な人間だ」とよく言われる
人もいるだろう。

人に迷惑をかけないことは
確かに重要だ。
だが、我々は少なくとも
生きているだけで
多少なりともの
迷惑をかけてしまっているはずだ。

たとえば、街中で
「ここは外だしいいか」と
屁をこいてしまったとしよう。

もし後ろを歩いていた人の
嗅覚がめちゃくちゃ鋭くて
におわれてしまったら、
君はその人に迷惑を
かけたことになる。

つまり、
「人に迷惑をかけない」という
ルールを完璧に守ることは
生きている以上
不可能なのである。

一切人に迷惑をかけない
「完璧な常識人間」など
まず存在しない。

そして、
常識に縛られれば縛られるほど
君はたくさんの我慢を
しなければならない。

屁をこくのも我慢するし
道を訪ねて話しかけるのも
電車内で呼吸音を立てるのも
我慢すべきことは
無限に存在する。

そんな人々の自由を奪わないためにも
社会というのは線引きを決めた。

ここまではやってもいい
ここからはやっちゃダメ。

そう、それが「法律」である。

屁をこくことを
「法律」で禁止しないから、
我々は自由に屁をこくことができる。

つまり、法律というのは、

常識<-----[法律]----->常識外

といった一定水準の壁でしかない。

常識を外れるということは
法律を破る方向に
向かうわけであるが、
法律の壁さえ
ギリギリ超えないように
常識外行為をするのであれば
大丈夫だということだ。

法律は、我々国民の自由を
担保してくれる概念とも言える。

一切の常識を外れなければ
まるで「無」の人生に
なってしまうので、
多少はみんな外れているはずだ。

どうせ外れているのに、
自分より大きく外れている人を
「こいつは非常識だ」となじる
というのが人間の性。

残念ながら、
「本当の非常識の基準」は
君が決めることではない。

決めることができるのは
すでに社会が定めている
「法律」しかないのだ。

「常識」か「非常識」かを
社会的に正当に判断することが
できるとすれば、
それは「合法」か「違法」か
という判断でしかできない。

すなわち、
君たちが街中でこっそり
屁をこくのが
「合法」であるように

俺がナンパした女に
生活費を払わせて
ヒモになることもまた
「合法」なのである。

程度が異なるだけで
「法律」という基準によって
分割された枠組みとしては
同じところに位置する
ということである。

残念ながら、
君たちは人生で一度でも
屁をこいてしまった時点で
俺の行為を非難することが
できない。

以上だ。

yoshi

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