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自己紹介です。

初めまして。宮内 英啓(みやうち よしたか)です。
noteを見ていただきありがとうございます。

ふと、自己紹介やこれまでの経歴についてちゃんと書いたことがないなと思いまして、整理整頓するため一度ちゃんと書いてみたいと思います。
少し長いですが体験談の書籍のようなイメージで、気軽にご覧いただけますと嬉しいです。


これまでの大まかな経歴はこちらになります。

■経歴
宮内 英啓(ミヤウチ ヨシタカ)
合同会社BizPoly代表社員
1990年生まれ。兵庫県加古川市出身。
2014年に同志社大学卒業後、新卒でSMBC日興証券に入社。岡山支店に配属となり営業活動を行う。
2015年に半導体業界の業界トップ商社のマクニカへ転職。入社から1年半は主に白物家電や産業機器などの電源部分の製品を担当。その後、車載業界へと担当変更になり、WIFIやBluetoothなどの通信機器の販売を行う。
2019年合同会社BizPolyを創業。「自動化×仕組み化」で中小企業のバックオフィスの業務改善を行うコンサルティング事業を展開する。
2024年より自身の経験を活かして未経験から業務自動化エンジニアになり 月額で高単価の法人契約を獲得するビジネススクール 「新・業務自動化エンジニア養成講座」を運営している。

ざっとした経歴はこちらの通りですが、上手くいかなかったことも多いなと振り返りながら詳しく書いていきたいと思います。

1. 新卒で入社した証券会社で心が「バキッ」と折れる

就職活動を経て2014年に大手証券会社のSMBC日興証券に新卒で入社しました。約2ヶ月の研修が終わって岡山支店に配属になり営業をしていました。
先に言ってしまいますと、証券会社時代は全くと言っていいほど結果が出ず、上司にはびっくりするくらい毎日怒られていました。
成績は550人いる新卒の同期の中で、ちょうど真ん中くらいの順位だったと思います。

やっていたことは「新規開拓」。毎日電話したり飛び込みしたりをして、中小企業のオーナー経営者や開業医の先生などの富裕層の方々にコンタクトを試みる毎日で、年商数億〜10億くらいの企業を2件新規開拓できたのですが結果として提案もうまくできずあまり取引も広がらず、その他はほとんど目立った成績がないという状態でした。

本人としては当時は一生懸命やっていたんですが、電話営業も作業的にやっていたり、どうすれば開拓できるのかと改善を考えることもなく、ただ今日も件数をやるだけで何も考えないといった質の低い仕事をしていました。
今思い出しても自分でもなかなかに酷い営業活動だったなと思ってしまいますね….どうりで上司に毎日怒られるはずです。
今思い返しても反省しかないです。

そして、成績が出る気配もなく怒られて当然の質の悪い仕事をしてしまい、負のスパイラルがしっかりと回ってしまった結果、メンタルも見事にやられてしまいます。
音で聞こえてきそうなくらい「ボキッ」と心が折れてしまっていました。

1年目の冬くらいになるとメンタルがもう持たなくなってしまっていました。
なんとかしなければと転職を考え始めたのですが、これまでの教育で「大企業に入社してそこで昇進して高い年収をもらい40年勤め上げることが絶対的な正解」と育ってきましたので、「転職をすると人生がダメになる」くらいに思えてしまっていました。
考え方が堅すぎますね。笑

しかしながら、その頃はもう会社に近づくと頭の中が真っ白になり手も震える状態だったので、勇気を振り絞って転職サイトに登録して3社ほど面接していただきました。

学生時代に商社でグローバルな仕事をしたいと思っていたこともあり、転職活動は商社に限定していて、その中でマクニカという半導体商社に内定をもらうことができ、無事に転職活動ができました。

ちなみにマクニカは当時すでに東証プライム市場(1部)上場企業だったのですが、頭が真っ白の僕は内定にホッとするばかりで、証券会社に勤めていたにもかかわらずマクニカのことを全く知りませんでした。笑
転職するときに上司から「上場してるなら自分が入社する会社くらい調べろよ」と怒られてしまいましたが、そんなことを考える余裕すらないほどだったのが正直なところです。

2. 転職先の商社で誰よりも頑張ることを決意

マクニカに入社したのが25歳(2015年)の8月でした。
日興証券を6月末に退職したので、7月の1ヶ月間全くやることがなくなってしまい暇してました。
この暇になった1ヶ月が良かったのか、心は割と回復していました。
特にメンタルケアも何もしていなかったのですが、心がボキッと折れてしまた後の僕は何も考えられないくらい思考停止状態だったのですが、しばらくしてから「入社した大手企業で昇進し、高い年収をもらい40年間勤め上げる」という自分の中の絶対正義だったものがなくなってしまったことと、思いっきり挫折したことで自分への期待値がなくなったことで
「失うものはもうないか!」
と逆に気持ちを振り切ることができたことを覚えています。

気持ちが振り切れた僕は、
「よし。やってみたかった商社の仕事もできるし、結果は気にせず3年だけ思いっきり誰よりも仕事に熱中してみよう。3年頑張ったら起業してさらにチャレンジして見たことない世界に行ってみよう!」
と、誰に言うでもなくひっそりと心に固く決めていました。

3. 商社に入って朝から晩まで働き倒す

2015年8月。内定をいただいたマクニカに無事に入社しました。
入社後の研修があったため新横浜にある本社に勤務することになりました。本所属は大阪支店だったので研修が終わったら関西に移動する予定でした。

通常、入社時研修は2週間くらいで終わるのですが、僕はなぜか異例の4ヶ月間も本社で研修を受けていました。
4ヶ月もの長い期間本社で研修を受けていた理由はいまだによくわかりません。当時の上司からも「なんで宮内くんだけそんなに研修長かったの?」と聞かれましたが今でも僕自身が一番不思議に思ってます。笑

さて、金融から半導体業界への全く畑違いの業界に移ったため一番苦労した部分ではあるんですが、この業界はとにかく専門用語が多く入社してから1〜2ヶ月は商談中の会話が一つもわからない中でただ意味不明の記号を音で聞いているような日々が続きました。

もちろんそのままでは良くないので、同行した商談で懸命にとったわからない単語のメモを先輩に勇気を出して声をかけて、理解するために他の人の10倍くらい質問しながら必死で勉強していました。
勤務時間外の勉強が大半の時間を締めていて、朝6時から夜日付が変わるくらいまでほぼ毎日働いていました。

ちなみに、1日200~300通といった大量のメールを処理する日も珍しくない環境だったのですが、入社当時はPCで文字を打つのに両手の人差し指を使って、ゆっくりポチポチとタイピングするような状態で「一生仕事のスピードが間に合わないんじゃないか…?」と思ってしまうくらいデスクワークができない人でした。笑

ただ、当時は「誰よりも頑張る」と決心していたので、身につくまで毎朝誰よりも早く出社してタイピングの練習をしたり、パワポやエクセルの使い方も本を買って1から練習したり、もちろん土日の空いている時間は半導体業界の本を買って業界の歴史や半導体の技術について一から勉強したりと、無我夢中で基礎スキルの習得をしていました。

そうこうしているうちに半年、1年と過ぎると不思議なことに業界の専門用語もわかるようになり、タイピングも成長し、パワポ資料もなんとか作れるようになっていたり、もちろんメール処理もしっかりできるようになっていて、なんとかスピードについていけるようになっていました。

大阪支社に正式に赴任してからの担当ですが、最初の1年半は「電源」と言われる分野を担当しました。「電源?」と言われてもわかるようでわからないような話かもしれませんが、イメージをお話ししますと、例えばスマホやPCを充電するときに下記の画像のようなアダプターを使うと思うのですが、そのアダプターの中に使われる専用の半導体チップをメーカーの開発担当のエンジニアの方に提案して営業するという仕事です。

画像の赤枠の部分に基板(緑色の板)とその上に実装されたチップが入っています。

その「電源」と呼ばれる分野で、PCのような身近な製品から産業機器など完成品としての分野は比較的広く受け持っていました。

マクニカにはおよそ3年ほど在籍したのですが、後半の1年半は車載(Automotive)業界で、WifiやBluetoothといった通信チップの製品を扱っていました。

半導体業界の仕事はとても面白く魅力的なので短い表現で言葉にするのが難しいのですが、提案している製品が開発に何年もかかるようなものだったり、業界規模が大きくダイナミックな仕事だったり、白物家電のように身近な製品があったりしながらも、誰よりも最先端のテクノロジーに触れることで少し先の未来を見れるような感覚があったり、技術動向が激しいので新しい半導体技術や顧客の製品開発の情報合戦になったり、そしてその裏側にいるワクワクがあったりと、とにかく仕事が楽しくて仕方がなかった業界でした。

その他にももちろん「商社」ということもあって在庫管理や海外とのやり取りなども発生して、イメージ通りの商社での仕事といった感じでした。
在庫管理などはあまり好む人はいないのですが、僕はそれがうまく回る仕組みを作って運用することが好きだったので割と積極的にそういう業務にも真剣に取り組んでいた思います。

もちろんマクニカという会社が素晴らしい会社だったこともあり、本当に3年間は働き倒していました。

4. 事業の作り方も経営の仕方も何一つ知らない丸腰の起業

2018年6月末でマクニカを退職し、3年前に心に決めた起業に踏み切ることができました。
割と無策で飛び込んでしまう性格を持っているんだと自分のことながら半分は心配と半分は感心をしてしまうことがあります。

もちろん、起業前に色々と起業関係のイベントに参加したり経営や事業についての勉強はやっていたのですが、経験というものがゼロだったため、いざ起業して一人の経営者としての生活が始まると、これまでとは全く違った感覚で本当に何から手をつけていいのか全くわからない状態でした。

これまでと一番違った感覚としては、
「今日何するかを全て自分で決める」
ということ。

もちろん会社員の時も何をするかを自分で決めている所もありますが、「会社が目指す目標と事業計画や数値目標が組織としてあり、その組織の目標の中で自分の役割を果たすには」という枠がしっかりとあったので、どうやったらいいのか?を考えることはあっても、どこから何を手をつけたらいいのか?が真っ白の状態で考えることがないので、「自由すぎると逆に決められないのか…」と当時混乱したことをよく覚えています。

しかも、「起業前にサービスを作って顧客を獲得してある程度売上がある状態で起業」なんてことを全くしなかったので、本当に丸腰状態でした。

それがもう5年前の話(2023年8月現在)になりますが、よくここまで前に進めたなあとそのチャレンジ精神には自分で自分を褒めたいと思います。笑

少しだけ弊社の事業についてご説明をしますと、特に半導体商社時代に議事録作成から案件管理、在庫管理に資料作成といったようなバックオフィス業務を鍛えられたこともあり、その中で自分自身のキャパシティを上げるためにそれを仕組み化して運用する工夫もしていた経験を活かして、企業向けのバックオフィス業務の支援と実務からスタートしました。

創業融資を受けるところから始まり、動き回ることで知り合いの方が増え、その中で周りの方から企業様をご紹介いただいたりしながらなんとか少しずつ契約をいただくことができ、なんとか5年間進み続けることができています。
月並みな表現ではありますが、本当に皆様には感謝しかありません。

5. 仕組み化と自動化が武器になる

さて、多くのご縁とチャンスの機会をいただきながら、2020年に関わらせていただいたプロジェクトで上場企業の創業者の方と仕事をさせていただく機会に恵まれました。

仕事をさせていただきながら、学びの機会もいただくことができる。
創業して間もない、何にもない小さな会社の経営者にとっては自分の器にはとても入りきらないほどの多くの学びをいただくことができました。

その中で得た大きな学びの一つに「仕組み化」があります。
今振り返りますと、商社時代にも自分なりに仕事の中いろんな仕組み化をしていたんだなあと思うのですが、当時は無意識でしたので人に話せる内容でもなくもちろん体系化されたものでもありませんでした。ただ、ひたすらに「仕事をもっと頑張るには?」と考えて突き進んでいただけでした。

それを「経営」という観点から体系化した「仕組み化」のノウハウとして教えていただき、プロジェクトとしての仕事とは言いつつもやり取りの9割くらいは未熟な僕が育つための機会やチャンスをいただいたのだと感じています。

今でこそ(自分で言うのも変ですが)「仕組み化のプロ」として認識いただいている方もいるかもしれないのですが、「仕組み」という言葉にしっかり出会ったのもその時が初めてなんじゃないかというくらいに知識やノウハウの引き出しとして整理されているものがない状態でした。

特に衝撃的だったのが、元々その前の商社時代の3年間で「自分が長時間動いて全て人力で頑張ることでないと結果は出ない」とある種の固定観念のようなものが自分の中にできていましたところに、「どのような仕組みをつくれば結果に結びつくのか」という真逆の視点から事業を見ることを教えていただいたことで、「仕組みってすごい!」とそれこそ頭の中に雷が落ちたような衝撃が走った感覚でした。

そこから、「仕組み」について徹底的に勉強するようになり、現在は「仕組み化×自動化」で中小企業向けの業務改善サービスをメイン事業として展開しています。

6.売れるスキルの作り方

ここですでに5,000文字を超える長々とした自己紹介を書かせていただいたのですが、最初は結果の出ない証券営業から始まった経歴ですが、なんとかかんとか「仕組み」について企業向けにノウハウを提供できるところまでなんとか来ることができました。
そしてそのこれまで培った仕組み化のノウハウでご支援させていただいた企業様が累計20社以上となりました。

そして、ここから先どうやって自分の得意なことを活かしていこうかと考えている矢先に、講座型ビジネス構築のプロとして事業を行なっている経営者の方とご縁をいただきました。

起業してからの5年間を振り返ると、法人契約を獲得したいために本を買って、セミナーに参加して色々なビジネススキルを身につけてみましたが、自分本位なスキル習得では全く企業から求められないことを痛感してきました。

一方で、人材不足やIT化の遅れについて、その危機的な状況についてニュースやSNSで見ない日がないような状況にある日本では、僕がこれまで積み重ねてきたスキルが生かせるのではないかという、確信に近い根拠のない自信を持っていたりもします。

このスキルを自分一人だけが使うのではなく、個人としてより高いレベルで活躍したい人たちに伝えることで、個人の成功と企業の成功を同時に実現できるのではないかと感じています。

これまでは自分自身のことで精一杯で狭い範囲しか物事が見れていなかったですが、ここから先は誰かの役に立つことでビジネスが成り立つように少しレベルアップして進んでいきます。


おわり


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