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テストで『珍妙な解答』を書く勇気

こんにちは、不登校+ひきこもり+ロスジェネ三冠王のyoshiです。
日本社会が求める要求のすべてに斜め上の解答をしてきた私が世の中の『正解』と『不正解』について考察します。

この記事は1分30秒ぐらいで読めますが、効果は一生続くので騙されたと思って最後まで読んで頂けると嬉しいです。

『不正解』は個性の宝庫

僕は子供の頃、テスト対策としてよく自分で問題を作っていました。
正解から逆算して問題を作れば、出題者の意図がわかることに気がついたからです。

そのとき僕はあることに気がつきました。

『正解』と『問題』は一対一に対応する。
ということは、『不正解』は『正解』以外のすべての要素なので、『不正解』は無数に存在することになるのではないか。

例えば「1+1=□」という問題の不正解例として、「1」、「5」などの数字に限らず「半沢直樹」などの固有名詞でも不正解になります。

そこに気がついた僕は他人の不正解が無性に知りたくなりました。

友達にお願いして答えを見せてもらうと、「え、どう考えたらこんな答えになるの??」という世にも奇妙な不正解がザクザクと出てきてとても興奮しました。

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「正解」に至るプロセスはどれも似通っていますが、「不正解」に至るプロセスには個性があります。

「個性的な不正解」「一般的な不正解」として終わらせるのはすごくもったいない。
珍妙な答えを導き出す思考回路はイマジネーションの宝庫です。

アメリカの大学の授業などを見ても、立派な教授ほど生徒がどんな答えを返しても否定せずに受け取り、さらに学びが深まるように授業を展開しています。

優れた大工は道具を選ばない。
素材を活かすも殺すも料理人の腕次第。
『失敗』を活かすも殺すも世間の寛容さ次第。

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『不正解』は正解に至るプロセス

私が感じる日本社会の息苦しさのひとつに「失敗に対する厳しさ」があります。
誰しも必ず失敗はするのに、他人の失敗に対してどうしてそんなに厳しい態度を取るのか不思議で仕方ありません。
そんなことをすれば、次に自分が失敗した時に同じ目に合うに決まっています。
それよりも、他人の失敗に対して寛容な精神を持った方が断然生きやすくなると思います。

すべての『不正解』は『正解』に至るまでのプロセスととらえ、自分で納得できる『正解』をゆっくり楽しみながら探していけば人生はもっと豊かになると思います。

「人生100年時代」というならば、100年という長い時間に見合った『ゆとり』を身につけることも大事なのではないでしょうか。

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twitter(@Yoshi)も細々営業しています。

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