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イヤホンをめぐる議論
つい最近、バスに乗っていたら、親子と思われる女性と子どもが前の方に座っていた。女性を母親と仮定しておこう。
バスが発車してまもなく、母親はイヤホンを取り出して、絡まっているのを解こうとしている。
そんな様子を荷物を挟んで隣に座る子どもが、じっと見ていた。その顔の険しさがなんだか印象的で。
程なくして解けたイヤホンをスマホに繋ぐと母親はスマホゲームを始めた。
すると、絶妙な間を開けて、子どもが身を乗り出してなにやら話しかけている。母親は適当にあしらってゲーム画面を見ている。
しばらく子どもが上半身を動かしたり、わざと大きめの声で話しかけたりするうち、最終的には母親がすぐ隣に子どもを座らせ一緒にゲーム画面を見つめるかたちとなった。
ただ、子どもは自分にゲームを触らせろとか、そもそもゲーム画面を見せろといった様子ではなかった(話し声までは聞き取れなかったのであくまでジェスチャーとその後の様子からの予想でしかないが)。
つまり、子どもは自分を置いてけぼりにしてイヤホンをつけてスマホを触り出した母親に構って欲しかったのではないか、とわたしは予想するのである。
もっと簡単にいえば、イヤホンを外して欲しかったのだ。
結局のところ母親は隣に座らせて画面を見れるようにしただけなので、この予想が当たっているとして、この子の願いは叶わなかったのだが。
わたしがドキっとしたのは、その子どもの行動を見て、自分自身を見ているような気持ちになったことだ。
わたしが高校生だった頃、こんな出来事があった。
わたしはとある運動チームに所属していて、土日はレッスンという日々を送っていたのだが、高校生になったときに同期の間で次のような議論が出た。
下の子たち(後輩のことである)が、送迎中の車の中でイヤホンをつけている。他のメンバーも乗っているし、運転してくれている保護者の方にとってもあまり好ましくないのではないか?
全体よりも個が重視される流れにある中で、今、2020年になって高校生が上のような議論を交わしていたらなんだか古くさい感じがする。そもそもこんなこと誰も気にしないような気がする。
むしろ、「移動中の過ごし方なんて個人の自由でしょ」と言われてしまいそうだ。
ここでふと疑問に思った、そもそもイヤホンっていつからあるものなんだろう?
その起源を調べてみると、1880年に電話の普及とともにいわゆる交換手が使うためのインカムのようなものが登場。
そこからヘッドホンを経て、1979年にはソニーのウォークマンが誕生。発売当時は軽量のヘッドホンが付属品として共に売られていたが、更なる小型化、軽量化が図られ、1982年、ついにイヤホンが誕生する。
ウォークマン自体が、個人の空間で個人の好きな音楽を楽しむというひとつのスタイルを確立したのだが、それにはイヤホンも力添えしていたというわけだ。
こうしてみてみると、イヤホン自体はつい最近になって登場したわけではなく、従って、自分が高校生だった7,8年前に議論している時点で既に「古い感じ」だったのだ。
ただ、自分が高校生だった頃、1979年でいうウォークマンのように、世間のライフスタイルをがらりと変えたあるものが普及しだした。
そう、スマートフォンである。
それまでは携帯とは別にわざわざウォークマンやiPodを持ち歩いていなかった層も、スマホを手にしたことで、イヤホンさえあれば動画や音楽を楽しめるようになった。
当たり前の話だが、イヤホン単体をつける人なんていない(耳栓がわりにしていた先輩はいたが)。
コンテンツを提供してくれるモノが普及することでイヤホン人間が増産されるのだ。
で、言いたかったことに戻ると、
誰かと同じ空間を過ごしているとき、イヤホンをつけるのってやっぱりどうなんだろう。という。
わたしは、多分、異常なほどイヤホン(ヘッドホン然り)恐怖症かもしれない。
いや、イヤホン自体に恐怖を感じているわけではないので、正しくは、"同じ空間にいる相手がイヤホンを付け出したら、ちょっと、いやな気持ちになってしまう症候群"なのかもしれない。
(長い。)
最初に挙げた、バスの中の子どものように、連れ合い※がイヤホンを付け出すと、ついつい話しかけてしまうのだ。
(※連れ合いとはお付き合いしている方を指す)
あえて今聞かなくてもいいことでも、気がついたら声に出してしまっている。当然相手は聞こえにくいから、「え?」と言いながら片耳を外す。そのまましばらく話し続けて、しまいには両耳とも外してくれないかな、なんて思ってしまうのだ。
家族と一緒に住んでいた頃なんかは、弟がイヤホンをつけてソファに座っていただけでもものすごく嫌な気持ちになって、無理やり外させたりしていた。
もう、今となっては世間のライフスタイルの変化みたいなのもあって、わたし自身もそこまではしないだろう。
ただ、同じ空間にいるのにイヤホンをつけて周りを遮断すること、自分が遮断された状態になること、このどちらもに未だに強い抵抗を感じてしまうのだ。
古くさいですかね。
わたしもイヤホンはお気に入りのものを持っているし、音楽は聴くのも演奏するのも趣味なので結局イヤホンは持ち物には欠かせない。
ただ、誰かといるときは絶対付けない。
こういうのって、食事中に出すスマートフォンとか、休憩中に読んでいる本とか、正直なんにでも当てはまるんだろう。
でもなんとなくイヤホンだけは遮断感が強いんだよなぁ。聴覚を奪うという点でだろうか。
つまりはイヤホンというモノそのものではなく、人と人との関わりの問題なのであって。
ただこれはライフスタイルの変化や個人の感覚も強く影響する話題だということは否めない。
わたし個人としては、やっぱり抵抗感が強いので、誰かと空間を共にしているときはつけない。相手がつけていたときの感じ方はこれから自分自身と要相談になるのかな。
以上、イヤホンをめぐるひとり会議でした。
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