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手段と目的

アスリートが社会で起こっていることに発言をする。

ここ最近、世界でいろんな社会現象が起こり、自分の主張を発信するアスリートが増えました。いや、増えたというより、目にする機会が増えたのかもしれません。

先日、日本の選手がそういった主張することが少ないという意見が取り上げられていました。確かに海外の選手に比べると日本の選手は少ないと思います。聞いて驚いたのは、海外のアスリートは自分の主張や発信をするためにスポーツをやっているという選手が結構いるということ。なるほどな・・・と思いました。

この話を聞いた時、私は、そういった考えを持つアスリートは、スポーツを自分の主張する手段と捉えてるんだなと思いました。もちろん好きな競技を存分に続けているということもあると思います。でも、競技を続けることで自分の主張や思いを発信する。自分を知ってもらう、影響を受けてもらう、その手段としてスポーツを続けている。なので、SNSでの発信も自分の意見や考えを躊躇なく発信する。そんな感じなのかな〜と思いました。

一方で、スポーツは日本のアスリートにとっては手段ではなく、自分が勝つためや良い結果を出すための目的になっているのかなと。これはどっちが正しいとかではなくて、元々の国の文化や歴史があっての価値観になっているのではないかと思います。例えば、日本の侍は刀の技術を磨くために日々、鍛錬を行なっていました。他のことに気を取られていたら命が取られてしまうという世界です。これって、日本の古くから行われているスポーツ現場の指導に少し似ていないでしょうか?

「他のことを考える暇があれば、競技のこと考えろ。」「お前は他のことなんて考えなくていい、そのことだけ考えておけ。」

なので、例えば取材で競技以外のことを聞かれると、答えなかったり、競技のことだけの質問にしてくれ、となるわけです。決して考えていないわけではなくて、答えられないんです。

なので、実はこれは発信することが正解ではなくて、人それぞれの育った環境や文化が関係していると思うのです。ただアスリートは影響力があります。現在はSNSの発達により発信しやすい環境下ではありますが、その反面、つるし上げられたり、批判されたり、そう言った現象も起きるので、発信するには勇気がいります。トップアスリートであっても一人の人間であり社会の一員。個人です。そういった主張ができる雰囲気を日本ももう少し作れればいいなと私は思います。

で、何か言いたいのかというと、手段か目的かで、アスリートは引退後の人生が変わってくるのかなと思いました。例えば、大学に入るためにスポーツで良い結果を出して、入学する学生がいると思います。もちろんプロやその後もスポーツを続けていく通過点なのかもしれませんが、スポーツを手段として入学してますよね。

これを人生に置き換えた時、先ほどの話ですが、自分を主張するための手段としてスポーツをやっているのであれば、引退してもスポーツに変わるものは見つかる可能性が高いと思うのです。

一方、勝つことに結果を出すことに重きを置いてきた選手は、引退した後、何がしたいのかわからなくなりがちです。そのスポーツに集中しろ、そういう教えでやってきたわけですから、それがなくなったら他に集中する物が無くなってしまいます。でも競技を続けることによって価値観が変わるということももちろんあると思います。

日本では、アスリートのセカンドキャリアがよく問題にされますが、結局選手が、というよりは選手の環境を変えていかないとこの問題は解決されないと思います。

例えアスリートであっても社会からかけ離れた場所にいるのではなく、社会の一員として存在しています。そういう価値観を持って競技をすると、指導者やコーチがおかしなことを言っているとすぐにわかります。

指導者やコーチは、自分の人生の責任を取ってくれるわけではないので、選手自身がもっと自分と向き合って考えていくことがきっといい方向につながるだろうし、そういった考えを持った選手が増えれば、また良いコーチが増えていくことになると思います。

手段としてスポーツを捉えてみる。少し考え方が変わるかもですね。でも「その競技に集中する」って感覚も私はすごく大切だと思います。それはなぜか、というのはまた今後書きたいと思います。






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