毎日『書く』といふこと。
私は一介の国語科教員であり中学三年生の担任である。
幼少期より朧げながら記憶の中に先生になりたいなという想いを胸に抱き、その想いを少しずつ少しずつ大きくしながら過ごし迎えた37歳の春。
私は教員に転職した。
そして教員になって5年。
今、私は毎朝コラムを書いている。
昨日あった出来事や感じた想いを書いている。
目の前にいる32人の生徒に向けて。
私だけでなく、学年の担任団4人全員が書いている。
それぞれのクラスに向けて。
誰が読んでいて誰が読んでいないかなど分からないし知らなくても良い。
でも書いている。
なぜそうするのか。
なぜ続けるのか。
改めて自問自答してみる。
◆毎朝学級コラムhttps://note.com/yoshi10everyday/m/m94551173c2d0
◆毎日続けるということ
小学校6年間。
私はずっと同じ担任の先生から学んだ。
小学校で6年間担任が同じなど普通はあり得ない。
今ならそれが策略だったのがよく分かる。
その先生は毎日の日記を生徒に課していた。
更に必要あらば漢字や算数の問題をノートに作成して解くことも求めていた。
我が家では母親が問題を作ってくれたのでそれをやりながら毎日日記を書いた。
それに毎日担任からのコメントが返ってきた。
これを6年間続けた。
6年間毎日だ。
6年間で使ったノートは70冊を越えた。
もうそれは無い。
でも残っている。
あの時の心の葛藤や先生から貰った言葉が
両親から貰った言葉が。
母親が毎日書いてくれた問題が。
そこに込められた想いが。
だから今の自分がある。
だから私も毎日書いている。
◆つながるということ
小学校楽しかった。
通っていた塾も楽しかった。
中学も高校も大学も楽しかった。
社会人も楽しかった。
なぜかと考えてみる。
それは全てそこに集っていた人であり仲間だ。
そしてその仲間との日々の出来事であり悩んだりケンカしたり笑ったり泣いたりの日々だ。
それぞれの場所で仲間とつながりがあったからだ。
だから楽しかった。
それは今も変わらない。
だから繋がろうとする。
繋がろうとするから書くのだ。
繋がろうとするから出すのだ。
想いをおもてに。
◆言葉によって言葉を育てる
父は厳しい人だ。
でも優しい人だ。
昭和の親父だ。
折を見てさりげなく手紙を書く人だ。
悩んだ時、怒られた後、何かあった時。
さりげなく机の上に手紙やメモがあった。
そういう人だ。
さりげなく。
厳しさの裏にある優しさ。
だから名を剛という。
そうなりたいと思う。私も。
だから私も書くのだ。
◆分断から見えてきたこと
コロナ禍は明確に分断を生んだ。
毎日会っていた生徒とは週に1回の電話だけ。
生徒同士はネットゲームやオンライン通話などで繋がろうとしていた。
我々は電話だけ。
なんか違う。
違うなら動くしかない。
そうしてオンライン体制を整えた。
そこから少しずつ少しずつ。
繋がりを作り続けてた。
最初は週1で学級通信を配信。
次はオンライン通話。
会うのが楽しみになるように毎朝コラム配信。
こうやって始まった毎朝コラム。
私がやったのではなく他の先生のノリに私も乗っかった。
そして学校が再開され、分散登校になった。
分散でも朝は必ずオンライン含めて全員繋がる。
つながりやすくなるようなゲームや仕掛けを用意して。
授業や行事もそんなつながりを意識した仕掛けや1人1人の個性が発揮されるように。
そして今。
そうして育ったみんなは様々なチャレンジに向かっている。
◆学校に行く意味ってなんだろう
私達教員にとって生徒となる誰かがいないと仕事は成立しない。
では子供達にとって学校ってなんだろう。
普通だったら行くはずの日々に行けなかった子供達からすると学校に行く意味を考えるきっかけになったのではないだろうか。
行かなくてよい。
となった瞬間から。
あれ。何のために行くんだっけ。
となる。
なるはずだ。
ならば。
学校に行く意味と価値を感じてもらわなければ我々の仕事に意味はない。
オンライン講師もやった。
そこにも価値はあったし、今でもあるはずだ。
でも、公立中でかつ通学する価値を最大化する必要がある。
みんなで学ぶ意味ってなんだよ。
お前の授業を学校で受ける意味ってなんだよ。
それを問われたのではないだろうか。
そんな気がする。
だから学活、総合、教科学習あらゆる仕掛けを学校でみんなで学ぶ意味を実感できるやり方を模索している。
するとどうだろう。
子供自身がそれを受け取り想像を超えた先に羽ばたいていっている。
彼ら自身も「つながる」という価値を理解したのではないだろうか。
頭でというよりも、心で。
だからこれからも続けたいと思う。
◆忘れがちなこと
私自身がいつも心にとめていること。
面白きことも無き世をおもしろく
住なすものは心なりけり
担任初年度は自分自身も焦っていた。
「ちゃんとしなきゃ」と思っていた。
だからイライラすることも多かった。
「なぜできないのか」と。
そして迎えたコロナ禍で迎えた2年目。
毎日書こうと決める。
書くネタが必要になる。
毎日、子供達が「見たい」と思うようになるためには間違いなく「笑い」が必要だ。
少しでも「前向き」になってもらいたいと思う。
自分の恥ずかしいことや自分をどんどんさらけ出していこうと思った。
だからとても温厚になった。
気がする。
怒れば怒るほど「つながり」はなくなっていくのだ。
怒っても誰も前向きにはならない。
つまり。自分に言い聞かせているのだ。毎日。
笑顔で子供たちを迎えよう。
ユーモアをもって子供達を迎えよう。
だから毎日書くのだ。
日常にユーモアを。
日常に笑顔を。
そして素敵な毎日を。
◆だから私は毎日書く。
そこはかとなくつらつらと想うがままに書いてきた。
そんな私ではあるが、なんだかんだミスだらけやってもうただらけ、上手くいかないことだらけの毎日だ。
でも毎日喜怒哀楽溢れる現場はやはり楽しい。
楽しいかけがえの無い日々だ。
忘れられない。忘れたくない日々だ。
だから私は毎日書く。
車窓に揺られながら。
明日も。明後日も。その先も。
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