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炎上必至!?「⑩精神疾患、障がいは治る!」そう言い切ってみたらどう!?

さて、大いに語らせていただきました。

炎上必至!?シリーズ。

日々の支援の中である程度の確信を持ってやらせていただいてる事の
根拠やらなんやらを書かせていただきました。

今日はそのラスト。

知らずにいるとマジでヤバいっ!精神的な病になる人の10の特徴!
以前こちらでもお伝えさせていただきましたが、
今までお伝えしてきた疾患、また障がいの主な原因と言うのは
厚生労働省のHPでも明確に一応挙げられています。

しかしながら、その原因の中に

【その他】というものが含まれている以上、
「これっ!」と言い切れるものがないっていうのが現実なんだと思います。

なのにも関わらず、
支援に関わらなきゃわからなかった③精神疾患が治らないのは支援のせい!
【治らない】【一生付き合う事】を前提に
医師から様々な言葉を告げられている方が多いのも事実です。

そして、

そこに明確な説明をもらっている方があまりに少ない。

脳機能の伝達エラーや、機能的な問題が根本原因だと・・・、
勿論、それもあるのかもしれませんが・・・、

医学的に、科学的に説明される事だけで捉えるには
脳も、心もあまりに仮説が多く、未知過ぎると僕は思うので、

やはり、小学生にでもわかるような・・・否、人間ならわかるような・・・
いやいや・・・

生き物なら、感覚でわかるような話をしたいと思う。

まず、ハッキリ言っちゃおう!

【精神疾患】【精神障がい】は治るっ!!!

というか・・・

そもそも、精神疾患、精神障がいってなんなの!?って話。

めっちゃ雑にドバァって書きますが・・・

凹む出来事が起こったら鬱々してしまう。
その鬱々で日常生活に支障が出たり、生命活動にさえも影響が出る。
それが自身の意思ではどうもコントロールが難しくなってしまう状態。
これがうつ病・・・。

精神障がいっていうのはそれの継続により、どんどん重症化し、
日常生活に重篤な支障が出てる状態。
福祉的なサポートが無くては生活そのものが難しい状況にある事。

って感じなんですが・・・

凹む出来事が起こったら鬱々してしまう・・・。
それは普通に生きていれば、多くの人にそりゃあ、ありますよねって話。
じゃあ、うつ病と言われてる方と、そう言われてない方の違いは?
という問いを投げかければ・・・

自分の意思ではどうにもコントロールが出来ない状態なんです!

と出てくる。

この辺の話から世の中のタブーに触れるような話になってくるから、
途端に話に霞が掛かってくる。

医療寄りのお話を聞けば、

このコントロールが出来ない!を前提としたお話に絶対的になってくるし、

その他、様々な民間療法、また東洋医学的見地のお話を聞けば、

このコントロール出来ないってところは無視してお話が進む事が多い。

ここは一生、交わる事は無いんだろうとさえ思う。

じゃあ、いっそのこと両方認めちゃおうよ!

って僕は思う訳です。

別にどっちもあるし、どっちでもないかもしれない。


そもそも鬱々する機能自体は何のために存在するのか?
生物全般で考えた時に、人間にだけハッキリ明確に鬱々機能が備わってる。
そこ自体に意味があると捉えたならば、なんのメリットがあるのか?

なーんて考え方はどうだろうか?

鬱々する事で、新たなトライをしなくて済むし、
別のトライの仕方を思いつく事も出来るかもしれない。
また、二度と同じ目に遭わないようにって警戒すれば
(対人恐怖や不安神経症、適応障がいなど?)
安心安全の自身の立ち位置を作る事も可能かもしれない。

でもさ、

この社会ってのがそれを許さないってだけでしょ?

集団生活を頑張りなさい!
学校に行きなさい!勉強しなさい!社会に属しなさい!仕事しなさい!
自炊、掃除、洗濯・・・とにかく、しなさい!!

鬱々してる場合じゃないんですよ。
社会全体のメッセージ性として、感じるものはね。


そもそもなんでコントロールが必要なの!?


そこから考える事が重要なんだと僕は思うんですよね。

だから、

ララホームっていう施設ではプログラムゼロなんです。
何も提供しないし、何も目指させないところからスタートするんです。

森田療法の絶対臥褥じゃないですが、

今まで、そうあるべきだ!と信じてきた事が手放されて、
自身の鬱々を責める必要性がなくなったら・・・
どんどん気持ちは未来志向に勝手になっていく。

そう、

何かやりたくなってくるんです。

だって、暇でしょ?w

それぐらい単純なんです。

子供は大人よりもかなり本能的なところで生きている。

本能的って事は動物的な訳ですが・・・
動物的な彼らの動きを見ていると、自身の目的、目標に向けて真っ直ぐで、
着実に自分にちょうどいい努力の仕方でそれを手に入れようとしてくる。

大人からすると、それが非常に他力本願だったり、非合理だったり、
非現実的だったり(社会を前提にした時に)で、
注意したくて仕方なくなる訳ですが・・・

600万年前の猿の時代から考えたら、
人間が農作物を作り、ほんにゃらほんにゃらし始めたのなんて
せいぜい1万年未満の話・・・。

599万年は子供達のめちゃくちゃな動きの方が合理性があった訳です。

鬱々する事、音に敏感に生きる事、危険を全力で避ける事・・・

そう考えたら、別に悪い事って確信持てませんよね?

さて、

精神疾患、精神障がいってものに関してひとつの考え方の話です。

何を以てして、精神疾患、精神障がいか・・・は
社会性っていうひとつの尺度が大きな要因になっていて・・・
人、ひとり、個人的に考えたら限りなくあやふやなんです。

だからね。

個々に聞けばいいんです。

どうしたい?

って、

無論、ピュアな子供のような発想は大人は持っていません。
かなり歪んでいますし、叩き込まれた常識やら持ち出してきます。
それで苦しんでいるのにも拘らず・・・です。

だから、向き合わせてもらう側も、
この日本社会に合わせたアホみたいな支援者目線で関わったら、
もう迷宮入りです。

相手の【あらねばならぬ!】をことごとく排除して

何がしたいの?

を探究、追求していく事が大切だと考えます。

この目線を持つと、精神疾患ってそもそも何?精神障がいって・・・?
って感じになってきます。

そうすると、

もはや、治すっていう概念でもなくなってくるんですけどね。

最後のテーマは・・・
そんな感じでそもそも、あなたはさ。何で悩んでんのさ?w
なーんてお話にさせていただきました☆

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