綺麗事だらけの子育て術!心理職の実感③一緒に遊ぶ姿勢だけでは騙せない!
幼児期の多動傾向に対して・・・
また、不登校など想定外の事が起き始めた時に
向き合う方が多い様な気がしますが、
極々単純な事として、
子供は何も知らない。全て初めまして。であるという前提。
悩み始めるのは親がスタートという事実。
これを掴んでいただかねば、解決策は見えて来ない。
幼児期で言えば、自分の感覚のまま気になるものに手を伸ばしたい。
とは言え、幼稚園や保育園に入って
お行儀よく色々やらされそうになったとして・・・、
子供はよくわからない。
そもそも【お行儀良く】ってなんなんだ?
大人達にそれを説明させようとしても・・・
なんだか教科書っぽい言葉が並ぶのは
多くの親御さんと向き合わせてもらって感じる事だ。
不登校だってそう。そもそも何故約50分を座って、
それこそお行儀よく謎の勉強をしなきゃならないのか・・・?
そこから子供達はわからない。
至極当たり前なんですよね。
これが何故素晴らしい光景なのか・・・?
親御さん達に説明を求めても、やはり教科書通りになってくる。
褒め育や発達ブーム、また精神疾患低年齢化もあったり、不登校・・・
様々な事が問題として取りざたされる中で、
昨今、改めて注目されつつある教育方針が・・・
【遊び】と【学び】の融合。
何事も遊びの延長。遊びの中で向き不向きを見極めて
今まで通りの教育というものは最低限のところに留めて、
個を伸ばすという考え方。
インクルーシブ教育も突き詰めればそうなっていくし、
具体的にIB教育やSTEAM教育なんてのもそれを前提としたものですね。
綺麗事だらけの子育て術!
実際、心理職の人間が子育てをしながら実感した10の事。
③一緒に遊ぶ姿勢だけでは騙せない!
さて、とは言え・・・というお話をしたいと思います。
子供の個性というものは間違いなく生まれ持ったものもあり、
完全まっさらな、プログラミングを1からしていくというイメージより、
なんかデフォルトとして用意されたものが個々にあって・・・
そこに対して要るものも、要らんものも周りが入れていくようなイメージ。
子供に任せておけば基本的には勝手に遊びだしますし、
そこに関しては大人の促しは一切要らないものです。
用意するおもちゃの段階で大人の意図は入り込みますし、
それをどれだけ用意出来るか・・・?というところも含めると
ここの時点で万人に当てはまる様な話なんて
無い様な気がしてくるのが現実。
とりあえず、
目の前にあるもので各々、自由に遊び始める。
それは発達であろうが、健常であろうが・・・です。
(無論、遊び方や興味の持ち方の差は出てきます。)
そこに時間の経過と共にある程度の道を示さねばならなくなる。
ここからがやっかいどころです。
幼稚園、保育園が始まると・・・そこに行ってもらいたい。
親の欲求が高まってきます。
習い事をすれば、その習い事に結果を残して欲しい。
親の欲求が高まっていくんです。
学校でもそれは当然続いていきます。
今までは自分の子供だけを見て、可愛い♡とか、いいぞー!とか、
やっていた親達の意識に【周りの子】【周りの家族】が入って来て、
自分の子はこのままでは駄目なのでは!?が発生します。
なんとか、やらせるべきと思う事はやらせたい!
で、登場するのが、冒頭に話した教育の方法です。
何事も遊びの延長。
声掛けも遊びっぽく。
きっとある程度は上手くいきます。
遊びたい!楽しい事がしたい!面倒は面倒で、出来る事だけやりたい!
その子供の気持ちと親達が求める【お行儀よく】は相性が悪いんです。
だから、強制的な周りと同じようにしろっ!っていうところから
柔軟で融和な姿勢に変えた親御さんに対して、
わーい!遊びだぁぁあ!楽しいぞぉぉっ!!ってなるのは自然なんです。
が、
それだけでは上手くいかなくなるのは時間の問題です。
何故か?
あくまでも親には親の目的があるからです。
保育園に行って欲しい。学校に行って欲しい。
習い事に向かってほしい。もっと日常的に言えば、
片付けして欲しい。ご飯を座って食べて欲しい・・・など。
遊びのようにしてそれぞれを楽しいものだと思わせて動かしても・・・
子供達もわかっています。それが事実として本人が楽しく感じなければ、
その方法手段だけでは誘導は出来なくなっていくんです。
大切なのはどこまでも子供を信じ、
どこまでも穏やかな親の姿勢だと思います。
子供自身を見つめ、この子の得手不得手をこの子と共に見極めようとする
そういう目が無ければ、遊ぼうとしてもすれ違いが起こっていくんです。
子供は明らかにインドアな事が大好きなのに、
外に連れ出し、アスレチックに投げ込んだところで、
子供にとっては拷問である可能性があるって事ですね。
遊びだけど・・・。
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