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全部、流れの中・・・任せてみれば、面白いものが見えてくる。

死にたい、死にたい、死にたいと考えているあなたが・・・
もしも本当にこの先の未来も含めて、
死にたいと思うほどの苦しみしか続かず、
絶望の渦から抜ける事が出来ないのだとすれば、

僕と出逢う事は不自然としか言いようがない。

きっと僕はその絶望の渦から抜ける方法を見つけてしまうだろうし、
それをあなたに気付かせて、あなたの本心を聞いてしまうから、

死にたい、死にたい、死にたい・・・だってさ・・・

の先にある言葉をあなた自身が否定してしまうような・・・
大変革が起こってしまうんだ。

究極言ってしまえば、ゲシュタルトの祈り・・・。

あなたが何処へ向かおうが、それはあなたの自由でしかない。

しかしながら、
出逢う誰かとの出逢い、起こる様々な天変地異もそうですが、
あなたにとっては全てが一種の分かれ道なんですよね。
つまりはキッカケ。

僕が学校が嫌でひたすらカラオケで過ごした事も、
そこで音楽と出逢ったのも、18歳でデビューする事になったのも
後々の精神疾患に陥ったのも、
俳優になって本当の自分と言う存在に気付かされたのも、
人生に迷った末に全て捨てて、日本中を歩いた事も、
そこでのひとつひとつの出逢い、飲食店で調理師になったのも、
11年前に福祉事業にご縁をいただいたのも・・・
そして、今いる仲間との出逢いも・・・

点が線になる感覚を強く感じる。

全てに意味があったとしか思えない。

不思議なもので全ての選択決定に僕の思考が及ばない力があった。

あなたもそれを感じた事があるはず。

なのに、頑なになってませんか???

例えば、

ラーメンを食べたいって歩き出して、
すれ違う人、すれ違う人がカレーの匂いをさせて歩いてて、
あなたも何だかカレーを食べたいような気がして来たら・・・
別にカレーでも良いんですよね?

いや!!!!ラーメンって決めたじゃねぇか!!!!

っていう事でもない。

無論、そこまで言うなら、ラーメンに拘ったって良い。

食べた後、やっぱりカレーだったな・・・
なんて思うのは止めた方が良い。

そう思うような気がするなら、
やっぱりラーメンに拘るべきじゃない。

これから子供達があまりに求めるから
アンパンマンミュージアムに行ってきますが、

子供と大人に明確な思考の違いがあるとすれば、

大人はアンパンマンミュージアムに明確な期待が乗り易い。
こういう場所だし、こんなのがあって、こんなのがあるんだろう・・・
子供にこれやらせて、あれやらせて・・・って色々思う。

これが拘りになっていく。

子供は大して明確な映像がその場を聞いて浮かんでる訳じゃない。
行きたいから行くし、何が用意されてても楽しもうとする事しかない。

楽しそうだな!行ってみよう!アンパンマン!行きたいっ!

それ以上も以下もない。

だから、辿り着いた先がアンパンマンがなーんとなくそれっぽくいたら
アンパンマンミュージアムだと思い込んで楽しめるだろう・・・。

大人はそうはいかない。

その場所がアンパンマンミュージアムである事が
とても大切になってしまう。

人生、どちらがとても楽しい事になるかは・・・明々白々だろう。

昨日のご縁は色々考えさせてもらいました。
流れるままに・・・☆


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