那智勝浦町昔懐かし話 第7話

第7話 『和道流博正会勝浦支部』
 
始めにこの話は、僕の記憶に基づき書いた短編小説であり、当時お世話になった諸先輩方の記憶と異なる事があることをあらかじめご了承ください。
 
「なあ、タコちゃん、山ちゃん、今日は、K川先生来んのかなぁ~。」タコちゃんは、もうおなじみのT君であり、山ちゃんは、名字に山が付くのでそのまま山ちゃんである。「さぁ~。まだ7時5分やから分からんで~。」とタコちゃん。僕の小学6年生の時の話である。当時勝浦小学校の下のグランド(通用門から上がっていき今のプールのある左奥、お寺側)に木造立て2階の校舎跡の建物があり2階が家政学校、1階の1部屋が空手道場、もう一部屋が剣道道場に借りられていた。空手道場つまり和道流博正会勝浦支部の道場でK川先生はそこの勝浦支部長、僕らは生徒だった。僕のお父ちゃんも大学時代より空手をやっておりK先生と同じマグロの仲買いだったので、K川先生、Y木さん、R野さん、K郡さん、H中さんたち先生方といっしょにこの道場で空手を教える役だった。生徒は、全部で20人くらいいただろうか。僕は小学4年から6年の終わりまで習い1級(茶帯)、タコちゃんと山ちゃんは僕より1年早く始めており初段(黒帯)だった。「ガラガラ、ドンドンドン」入り口のドアが開いてK川先生がやってきた。K川先生は、背は低いのだが、ものすごい筋肉質で頭髪はなく、眼光が鋭くちょっと猫背気味に歩くので、ものすごい迫力だった。もちろん黒帯でその黒帯も所々色がはげており貫禄十分、いつも竹刀をもって僕らを教えていた。本気で叩かれた。普段は非常にやさしく冗談も言う先生なのだが、いざ稽古となると目つきが変わり戦闘態勢に入ったゴリラに変わる。
まるで大魔神が変身するときのようである。以前僕らの昇級試験に付いてきてくれたK川先生は見本として他の支部の有段者の若者と組み手試合をやって見せてくれたが、K川先生は暑くなると胴着からと頭髪のない頭から湯気が上がる。試合の途中相手がちょっとふざけた格好をとった。
初めは、おおめに見ていたK川先生だが、何度もふざけた態度を見せる相手の若造に中段突きと蹴りを一発。相手は壁際までぶっ飛び、気絶してしまった。それを見ていた僕ら生徒は、K川先生だけには、間違ってもふざけた態度は取るまいと改めて心に誓った。K川先生は、空手の練習日で無い時も、毎日仲買の仕事が終わったあと道場の外にぶら下げたサンドバックで突きの練習をしていた努力家であった。そのサンドバックには、所々赤く血が付いておりそのぐらい毎日練習していた。この道場はこの校舎跡が取り壊されたと同時に終わったが、形を変えてスポーツ少年団の様な形で那智勝浦町でも空手を習っている子供たちがいると聞いている。中学入学と同時にやめてしまった僕だが今でもその道場のことを思い出すことがある。良き思い出である。
                            第7話終わり
 

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