「Vtuberならでは」とは何か ならではの「呪縛」を解く

Vtuberならではの活動、ということについて。もしかしたら何かしら悩んでいる当事者の方や、疑問に思っているリスナーの方もいるかもなあ、と思ったので、簡単に書いてみようかと。

僕が目にしたのは以下のやつ。

一つめについては、Vtuberならでは、というよりそれにかこつけてクレームを入れてくる人たちへの対処がメインですし、二つめについても、Vでやる意味がないという話ではなく、Vの見た目を持っているのにそれを生かしきれていないよね、というところをこの方は問題視しているので、微妙に本題とはずれるのですが、僕からは「Vtuberならではの表現とは何か」「なぜVtuberでそれをやるのか」という問いに真正面から答えてみよう、ということを試みてみようと思います。


Vtuberとはどういうコンテンツか

深夜に投稿した上記2ツイートが僕にしては読まれたので驚いたのですが、言いたいことはだいたい上で言っています。

まずコアな点として、「Vtuberとは人間をキャラクター化するものである」ということ。キャラクター、とは英語では性格、特徴といった意味を持ちますが、ここではそれに引っ掛けて「キャラクター=実在する人間から特徴的な要素を抽出して生み出された架空の人格」という意味で使います。

重要なのはキャラクター化というのが「情報量の削減・特徴の記号化」というプロセスを経ていることです。人間とキャラクターを比較すると、キャラクターの方が圧倒的に情報量が少ないです。生身の人間は、無限の解像度を持ち(本当に無限かはさておき)、無数の動きと表情のパターンを持ち、匂いや動きに伴う音、はては手触りまであります。それをフィクションで伝達可能な分までに情報を削ってできるのがキャラクターです。

また、わかりやすくするためにある種のパターンが導入されることも多いです。「萌え」の記号化、みたいな話を聞いたことがある人もいるかと思いますが、ツンデレキャラ、と言っただけでそのキャラクターの言動の方向性がある程度わかる、とかそういう特徴づけがされることが多いですね。一方でみなさんの周りに、まさにツンデレ、という言動をする人はそこまで多くないし、そういう人がいたとしても「ツンデレ度」はそこまで高くならないでしょう(当然です、そういう特徴を抽出して強調したのがキャラクターなので)。人間は本来もっと複雑ですが、そのままだとわかりづらいし伝わりづらくて面白くないので、シンプルにして強調しよう、という試みですね。(余談ですが、そういう意味でのキャラクターを書くことを中心に据えているのがいわゆるラノベで、そうではなく人間を書こうとしているのが純文学、みたいな対比もできそうです。)

で、キャラクターになっていると何がいいかというと、消費しやすい、というのが一番のメリットです。わかりやすく面白い。そのためにキャラクターは作られています。もちろん生身で人前に出る芸能人の方もいますが、彼らも生活の全てを晒している訳ではありません。彼らが芸能人として人前に出るとき、僕らは別に彼らの洗濯物とかゴミ捨ての話に興味を持つ訳ではないので、そういった彼らの芸に関係のない部分は削減されています。また彼らのキャラ、個性のようなものは基本的には一貫して見えるでしょう。アニメキャラクターまで行くと、完全に創造物であることがわかるので、アニメで描写されていない部分は存在しないも同義です。また、彼らを人間として扱う必要もありません。人権とかそういう難しいことを考えずに好きに楽しめるのがアニメキャラクターです。そして、Vtuberというのは、そのちょうど間にあるキャラクター性を持っています。芸能人ほど人間っぽくはないが、アニメキャラよりは人間である、それがVtuberです。

これは今まで芸能人を楽しんでいた人にも、アニメキャラを楽しんでいた人にもメリットがあります。芸能人(YouTuberも含みます)側から見れば、Vtuberはより気楽に楽しめる対象であり、同時に生身の人間ではできなかった・しにくかったことができるという点で幅が広がります。これは何をやるかにとどまらず、何であるかという点でもです。吸血鬼であることもできるし、男の声がする美少女でも良いですし、人の形を保っている必要すらありません。また、二次創作が容易になる、というのもポイントです。実際の芸能人を対象とした二次創作はいわゆるナマモノとして慎重な扱いが必要ですが、Vtuberに対してはそれはより気楽にできるでしょう(もちろん、配慮が不要な訳ではありません)。

アニメキャラの消費層から見れば、実在性とコンテンツの生産力という点でそれまでのアニメキャラとは一線を画します。Vtuberは現状、中の人などと呼ばれる個人がそのキャラクターに人格性を持たせているので、従来のキャラクターにありうる批判、つまりキャラがテンプレ的すぎる、深みがない、ということはまずありえません。また、コンテンツの生産力という点では、ファンとの交流が可能という画期的な点に加え、活動が続く限りコンテンツが継続的にかつ効率的に生み出されるという点も見逃せません。何せ環境が揃っていれば一人が1時間喋るだけで1時間のコンテンツになるのですから。

現状、特に2DVtuberに関しては、アニメキャラを楽しむ層との親和性が強く出ている一方、アニメ絵を楽しむ文化に疎い人々には受容が進んでいないように見えます。それでも、両者にとって楽しむことができうるコンテンツであることは変わりありません。最近ではバーチャルジャニーズのような、芸能人側から人が流れてくる動きもあります。

冒頭の問いに戻ると、「Vtuberならではの表現とは何か」の答えは、「Vtuberであることそのものだ」ということになります。つまり、人間らしさをしっかりと持ったキャラクターであることそれ自体が、Vtuberの価値の根幹にあると僕は思っています。その上で、その人が何をやるか、というのは、プラスアルファで考えるものです。なのでVtuberのみなさんは、特にこういうことをやらなければならないというものはないのです。


流行に乗るということ、「ならでは」の必要性

先の段で、Vtuberはそれ自体が「ならでは」なものであるということを述べましたが、もう少しこの「ならでは」ということについて考えてみましょう。

Vtuberを追っている方なら、世代の違いはあれ、ボーカロイドというジャンルについてはご存じでしょう。このボーカロイドというジャンルで、ボカロならでは、というのは必要とされてきたのでしょうか。偉大なるボカロPたちに、「それボカロでやる必要ある?」と問うことは正当でしょうか?

ボカロの特色は、1人で完結できるDTMの形式であるということに始まり、初音ミクらの流行で「ミクに歌わせる」という文脈が付与され、さらにいわゆるメルトショックを経て、遍在するバーチャルシンガーによる歌唱という形でジャンル化していきました(大雑把な説明です)。その中で「ボカロでなければならなかった」作品は実は限られていると思います。初期の初音ミクを題材にした楽曲(「えれくとりっく・えんじぇぅ」など)や、人間では出すことが難しい音域の広さ、スピード感を持つ曲(「初音ミクの消失」など)は典型的な「ボカロでなければ」な曲でしょう。逆に、DECO*27さんの「愛迷エレジー」や40mPさんの「夏恋花火」などをのように、ボカロPがボーカロイドを使わずに作った曲もありました。シビアにここを問えば、絶対にボカロを使わなければならなかった、という曲はそう多くないということになるでしょう。

しかしながら、あの時代、ボカロを使って曲を作ることには大きな意味がありました。初音ミクらの歌を増やすということ、そしてニコニコ動画を中心とした個人が自由に作る音楽を皆が楽しむというムーブメント、ボーカルが共通だからこそ作詞作曲家にスポットが当たるということ。あげればキリがないでしょうが、どんな曲であれ、その時代背景を含めての「ボカロならでは」だったはずです。

あるムーブメントが流行化し、ジャンルと呼ばれるためには、必ずそうなった理由、それならではの根源的な特色があります。そしてジャンルになると、そのジャンルでやるということ自体に意味が備わるようになってきます。ボカロがいい例ですが、Vtuberにだってそれは当てはまります。ジャンルとして流行したものに、「ならでは」を求めるのは、基本的には必要のないものでしょう。


「ならでは」を追求する意味

では、Vtuberならではを考えることに意味がないかというと、もちろんそんなことはありません。バーチャルだからできること(例えば家を燃やしてみたりとか)をやる、というのは、わかりやすくほかのコンテンツとの差別化になります。あるいはVtuberの特色を意識しておくだけでも、クオリティの向上に貢献するかもしれません。逆に、そのような差別化を考えずとも受ける面白さがあれば、Vtuberというガワを被って生主なりYouTuberなりをやったって何の問題もないのです。

冒頭で指摘を受けていたVtuberさんも、Vでやる意味についてはあると分かった上で、じゃあその特徴をどう活かしていくか、どうVtuber内、あるいはほかのコンテンツと差別化していくか、という点を焦点にしているように見えます。結局のところ課題はそこで、どうすれば面白くなるか、ということが結局は1番大事、という結論は、ほかの人となんら変わりません。


ということで、単なる1視聴者の意見ですが、思うところを書いてみました。Vtuberとして活躍される方々におかれましては、Vtuberならではのことをやらなければならない、という強迫観念があるならそんなものいらないですよということと、上記で書いた、僕の考えるVtuberの特色がコンテンツ作りのヒントになればいいな、と思っております。

これからのVtuberというジャンルの行方が楽しみです。

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