「平等」25年前のニュージーランドでの日々からジェンダーについて考えてみた その2
一つ前に書いたことに続いて、ジェンダーの観点からニュージーランドで過ごしたことを思い出して、書いていく。
ご参考までに前回書いたのはこちら。
だれもが就きたい職業で働ける
ウェリントンで暮らし始めて最初に気づいたことは、日本だと”男性がすると思われがちな仕事”に、女性が普通にたくさん働いていることだった。
バスの運転士、警察官、鉄道関係のお仕事、建設関連の現場などなど。
いっぽうで日本では”女性がすると思われがちな仕事”に男性も働いている。看護師、スーパーのレジ係、図書館の司書、キャビンアテンダントなどなど。
そして私の先生は脳性麻痺を患った人だった。
でも教えることに問題はまったくなく、なんなら一部の健常者の先生よりもわかりやすかった。
生徒一人ひとりの習熟度や学習の癖にあわせて教えてくれた。
だからその先生の授業は嬉しかった。
先住民族のマオリの人たちも普通にさまざまな職種に就いていた。
タクシーの運転士、弁護士、会社経営者などなど。
移民だからといって就けない職業はなかった。
当時のニュージーランドは、LGBTQの人たちも、みんな普通に暮らしていて仕事にも就いてきた。
私の知り合いだったLGBTQの方も、学者だったり、システム開発者だったり、弁護士だったりだった。
偏見やハンデもなく「そうなんだね」という感じで受け止められていた。
『◯◯だから◯◯』という固定観念と偏見がない。
みんな普通に自分が働きたい職業で、能力と機会があれば働いていて、それについて、どうのこうのいわれることはなかった。(表立っても、陰でも)
みんな普通に家事や育児をする
家事や子育ての役割に関する固定観念もなかった。
お母さんがご飯を作る日があれば、お父さんが作る日があった。
私のホストファミリーでは、私たちが祖国のご飯を作ることもあった。(なぜかそういう日に限って、ホストファミリーの友人がたくさん集まってくるという楽しいこともあった)
「これは誰々の仕事」という固定的な考えがないので、みんなが進んで家事をしている。
家族みんなでやっていく。もちろん子供もある程度大きくなったら家事に参加する。
家事や育児は普通に家族みんなでしている。
特別なことではなく、ただただ普通に家族が共同体として協力している感じだった。
みんな普通に、仕事のあとにでかける
そして独身でも結婚していても、子供がいても、みんな普通に夜、街へ出かけていた。大人なら性別や年齢に関係なく。
ベビーシッターやAu Pairという留学生による子どもの面倒を見る仕組みが発達しているためか、御夫婦で夜のデートを楽しむことも当たり前だった。
御夫婦で働くのも当たり前。
しかも16時には仕事を終えて、17時ごろには家でみんなでご飯を食べるというのも当たり前の光景だった。
(16時過ぎに大人がアイスクリームを頬張ってスーツ姿で帰る光景は最初は衝撃的だった)
金曜日が大人にとって一番楽しみな曜日。
だからディナーも家族、御夫婦で、そして知人や友人といっしょに食べている光景がレストランではたくさん見られた。
家でご飯を食べて、映画を見に行くのも当たり前の光景だった。
そして映画やレストランのあとは、バーに繰り出して飲んだり歌ったり踊ったりしている。
日本と違うのは、ご飯ではあまり飲まないで、バーやクラブで飲む。
だから悪酔いする人はあまり見なかった。(お腹がいっぱいになってから飲むから、純粋にお酒を楽しむという感じ)
だからみんな終バスや終電で帰る。
タクシーで帰るといっても、そんなに遠くじゃない距離だけど、夜通しやっているお店も少なかったので、早めに帰る。
子供がいるから●●ができない、といったことがなく、それをどちらかの性が一方的に引き受けないといけないということもない。
尊重あっての平等
25年前に彼の国で実現できたいたことを振り返ってみて、あらためて平等を実現するために大切なことは他者の尊重だと感じた。
他者を尊重する。
さまざまなバックグラウンドの人たちが真に協力して社会を作っていくには、これが基盤としてとても大切なのだ。
他者を尊重できなければ、本当の意味で協力はできない。
尊重できないと、嫉妬ややっかみが生まれ、足をひっぱりあってしまう。
つまり非協力的な社会になる。
他者を尊重してはじめて、協力しあえる。
そして他者にも自分にも平等になれる。
だから平等な社会を作るためには、相手を尊重する社会が土台としてなければならないし、その環境はより多くの人にとって心地よく生きられる場所なんだと、過去の記憶を振り返って思った。
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