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パンみみ日記「伝えたいことがあるんです」

日々のできごとをかき集めました。パン屋に置いてある、パンの耳の袋のように。日常のきれはしを、まとめてどうぞ。5個くらいたまったら店頭に置きます。


8月2日(金)
猛暑続きとクーラー生活のせいか、なんだか調子が出ない。これまで夏バテに悩まされたことはほとんどなかったけど、今年は気温と湿気に膝を屈してしまう。

暑がりとはいえ、夏は好きなんだけどな。ギラギラと差し込む日差しをお供に夏曲を聴いたり、流れる汗が関係なくなるくらいに身体を動かしたりするのが好きだ。季節の真っ盛りを感受性100%の状態で味わえないことが悔しい。

会社で夏バテ気味なことを話すと、ビーグル君(犬系のかわいい後輩)が慌てたように自席へ戻り、塩レモン飴をくれた。そういう優しさ見せちゃうところ、最高だよ。


8月3日(土)
ミネ君(真顔で冗談を言う親友)と大学時代の友人夫婦の家へ。この夫婦はサークルの同期であり、大学1年生のときから付き合っている。軽快なボケとツッコミで夫婦漫才を見せてくれる、大好きな2人だ。

「メイメイ」という架空の人物や施設に名前をつけるボードゲームをした。名付け親が1つのカードにオリジナルの名前をつけたあと、他のカードも混ぜた上で「どのカードに親が名付けたか」を回答者が当てていくゲーム。

イラストがかわいい

友人が「良い子にしていないと『チャンギロッティー』が来るよ」と名付けており、お腹を抱えて笑った。何に対してかはわからないけど再現度が高すぎる。「チャンギロッティー」の名前を出せば子どもが言うこと聞きそう。(しかも高級チョコレートブランド名にも思えるのがこのゲームのおもしろいところ)

こんな風に誰かのお家でただただ遊ぶということが、ずっとできればいいのにね。


8月5日(月)
仕事終わりに会社の人たちとテニス。屋外に屋根がかかっている「半分インドア」みたいなコートだったのだけれど、蒸されて汗だくだった。「小籠包ってこんな気持ちなのかな」と思うくらいには参っていた。

「最近夏バテ気味だったけど、意外と動けるじゃん!」と自信を持ったのも束の間、帰宅後は疲れが押し寄せてバタンキュー。あんなに元気に走り回っていた昨年までの自分はいずこ…!

夏をフルスロットルで楽しんでも耐えられる体力が欲しい。


8月6日(火)
仕事終わりに神保町へ。ずっと行きたかった「さぼうる2」へ。早めの晩ごはんを食べる。

見た目よりも大盛りなナポリタン

色を選べるクリームソーダは緑色を注文。贅沢なほどにアイスが盛られていて、子供に戻ったような気持ちでスプーンでつつく。

その後は喫茶店「神田伯剌西爾」へ。地下に昔ながらの独特な空間が広がるお店。時が止まってしまったようなひと時が過ごせる。

ゆっくりおしゃべりをした後、東京駅へ向かって散歩。

やってきた。やってきてしまった。言うべきタイミングだ。隣を歩いているのは、さっきまでの時間を一緒に過ごした女性。2人で会うのは3回目。

お互い恋愛文脈で会っていることは意識しているはず。だがしかし、今まで「好きな異性のタイプ」やら「過去にお付き合いした人」みたいな恋愛トークを一切していない。

ぼくは恋愛の話題を持ち出すのがとても苦手だ(友人とは無限に話してるのに)。相手も同じ属性のようで、延々と本や喫茶店の話ばかりをしていた。

そして今日も、なんでもない雑談ばかりが進んでいく。そうこうしているうちに、東京駅近くの公園にたどり着いた。ここで自分の気持ちを伝えることは決めていた。先週の仕事終わりに神保町に寄ったのはこのためだ。どこでどんな風に切り出すかシミュレーションを重ねていた。…のに。

「ぼくがケガをすると喜ぶ、変わった父親の話をしてもいいですか?」

気がつけばそう口走っていた。なぜだ。告白から遠ざけるな。ムードなんてありゃしない。

ちょうど小雨が降り出してしまったこともあり、「駅に向かいましょう」という流れになる。まずい、このままではおひらきだ。まあでも、次に会うときに伝えればいいのかもしれない。いやダメだ。本当に次に言えるのだろうか。そもそも今日だって決めたんじゃないか。SHISHAMOの「狙うは君のど真ん中」を戦闘曲にしてきただろ!

「伝えたいことがあるんです」

そう引き止めたのは橋の上だった。そこから先は緊張と感謝がないまぜになった、圧縮されたような感覚で言葉を押し出した。

ちゃんと伝えられたかはわからないけれど、好きなものや考え方が似ていることと、あなたが好きでもっと知りたいと思っていることを言葉にした。沈黙はあったけれど、それが破られるのはすぐだった。

「私も好きです。よろしくお願いします」

ペコリ、と綺麗に折り畳まれる彼女の背中がみえる。

え、ええ〜〜〜!

「本当に?」と聞く必要のないポンコツ質問をしてしまうくらいにテンパっていたけれど、すぐに安心に変わった。よかった。正直、一か八かだったから。

友人に相談したときも「もうちょっと恋愛の話とかして感触確かめたり、確率上げてから告白した方がよくない?」と言われていた。絶対そうだと思う。だけどぼくは、恋愛トークができない。だったら告白して恋愛における話題の許可証をふんだくったほうがマシだと考えている。我ながら意味不明な論理だ。

だけど、これで相手のことをもっと知れる。目の前にいる人の近くにいて、もっと深い部分を話してもいい関係性になれたのだから。

恋人がいない身体に慣れすぎて、喜びとともに「で、彼氏ってどうすればいいんだっけ?」と迷子の気持ちが湧き出ているのも事実。今は相手の価値観を探す冒険が始まったような気持ちだ。カメのように歩みが遅そうだけど、頑張るぞい!



【編集後記】
以降は「なんか突然恋人できたけどなにごと?」と思った方向けの文章です。これだけで4000字くらいになってしまったので、お時間ある方のみ…!

恥ずかしいから不特定多数の人に読んでほしいわけではなくて。でもいつもパンみみ日記を読んでくれている人には伝えたい。ということで、とんでもなく長い編集後記のスタートです。

ぼくは日記やエッセイで周りの出来事や抱いた感情を結構露出しているけど、こと恋愛に関してはほとんど書いてなくて。理由はシンプル、恋愛に対する自己肯定感がめちゃめちゃ低いから。

仕事や対人関係に関してそんなことはないので、多分別人に見えると思う。恋愛は頑張り方がわからなくて、成功体験と呼べるものがほとんどない。周りの人のように自然に自分の気持ちを伝えたり、誰かの気持ちを受け取ったりすることができなかった。

そうするうちに、自分は「恋愛が苦手だ」というイメージが刷り込まれていき、固い甲羅の中に中に閉じこもっていたように思う。

直近で彼女がいたのは3年半ほど前だった。ちょうどnoteを始める直前だ。あのときは自分がすっからかんだったのかもしれない。それがnoteを始める原動力になっているとしたら、むしろ感謝したいけれど。

この3年半、住環境や仕事が変化していく中で、自分の価値観もだいぶ浮き彫りになったように思う。その中で、恋愛が上手くいかない理由も分かりはじめてきた。突然だけど分析の振り返りにお付き合いください。

【よさくが恋愛うまくいかなかった理由】

①少女漫画的ロマンティック症候群である
症候群名は造語です。なんとなく意味は伝わるでしょうか? もうね、恋に恋しちゃってるの。現実の恋愛よりも漫画や小説の恋愛に多く触れちゃってるもんだから、「出会い方にトキメキは必須!」と思い込んでしまっている。

これが足枷となり、「相手がどんな人なのか」ということよりも「自分と相手が置かれたシチュエーションはどんな状況か」ということを重視してしまっていた。

出会い方にドキドキがないとピンとこなかったり、逆にシチュエーションだけで過剰に舞い上がってしまったり。

これに気がついてからは「あ〜今は人ではなくて状況ばかり求めているな〜」といった具合に自分を冷静に見られることがポツポツ増えてきた。

今思うと、出会い方ってあくまできっかけでしかないとは思うけれど。


②回避型である
アタッチメント理論において人は恋愛に対するタイプが4つに分かれるらしい。

①不安型:親密な人間関係の中で「見捨てられるのでは?」と不安になる。安心感を得るために頻繁に連絡が欲しい。

②回避型:親密な相手が自分を傷つけないということを信じられない。相手と近づきすぎると距離を取る。

③無秩序型:不安型と回避型のミックス。最初は親密さを求めるものの、その後に相手を拒絶する。相手が離れることを恐れて自分から去る。

④安定型:愛情表現に抵抗がなく、人間関係の中で恐れを感じない。他者へ深い感情を共有したり表現したりすることができる。

下記サイトより引用・要約

この中で、ぼくは「回避型」の傾向が出ることがよくある。人と必要以上の距離が近づいたとき、「これ以上親密になると傷ついてしまう」と心の警報が鳴り始める。結果としてその人と突然距離を置こうとしてしまう。

友人関係で回避型が発動することはないのだけど、こと恋愛においては回避の衝動に駆られることがある。

回避型の性質を持っていない人からすると「どゆこと!?」と理解不能に陥ると思う。本人も思っている。どゆこと!?

③理想の彼氏像に負ける
ぼくは「恋愛」と「恋愛以外」において自己肯定感がアンバランスな状況になっている。恋愛以外においては自信を持ってコミュニケーションが取れる。仕事とかコミュニティではバンバン話したり、状況に応じてリーダーシップを握ったりする。

この姿から「結構ひっぱるタイプなのでは」と思われることがあって。これまでごくたまに職場にいる方から好意を寄せてもらうことがあったのだけど、相手の頭の中には「しっかりしてリーダーシップがあるよさく」を浮かべている。

この瞬間、「相手が頭の中に想像している理想像」と実際の自分を比べてしまう。相手の好意が見えることすなわち「異性としてのよさくが輪郭を帯びる」ことになる。

そうなると「そんなに大層な人間じゃありません…」とメンタル貧弱な自分が顔を出してしまい、失望を回避するためにその人から離れようとしてしまう。

こんな「バーチャルよさくvs本当のよさく」という戦いが頭の中で勝手に行われている。自分で書きながら「とんでもなくめんどくさいやつだな」とびっくりしている。



こんな3つの原因が複雑に絡み合い、人とお付き合いすることまでたどり着くことはキリマンジャロ登頂くらい難しいことだと思っていた。

だけど感情を共有できるパートナーが隣にいてほしいという気持ちは強く、そんな相手を探し続けていた。

そこでどんな人と一緒にいたいかを考えたとき、浮かび上がったのは「ひとりの時間を大切にする人」と「抽象的な概念もおしゃべりできる人」。理想のタイプとしてあげるにはずいぶん特殊だけれど、自分にはピッタリな要素だと思った。

そして出会ったのが「選書×出会い」をコンセプトにしたサービス。毎月4冊の本の概要が紹介されて、読みたい1冊を選ぶと自宅に届く。そして同じ本を選んだ人同士で月に1人ビデオ通話できるシステムになっている。(Podcastのリスナーさんに教えてもらいました。これ読んでるかな。スーパー感謝しています)

「本好きの人は1人の時間を大切にしたり、概念的なおしゃべりをするのが好きそう」という理由でまったりとサービスを続けていた。

そこで出会ったのが今の恋人だった。お互い『私とは何か「個人」から「分人」へ』という新書を選んでおり、ビデオ通話で分人主義について話した。出会いとしてはロマンチックさに欠ける1冊ではあるものの、最初から概念的なおしゃべりができたのは心地よかった。

そこから連絡を取るようになり、彼女の関係性に対する真摯さに驚いた。印象に残ったできごとがある。初めて2人でお茶をすることになり、ぼくが候補となる喫茶店を3つあげたときのこと。

「どれを選ぶかな」と返事を待っていたら、相手も喫茶店を3つ提示してくれた。そんな優しさカウンターが世には存在するの…? 結果的に選択肢が6択になり「ポケモンバトルみたいのが始まってしまった」と悩んだけれど。

実際に会ったときも、彼女のまっすぐさを感じた。喫茶店でぼくがトイレで席を外したときのこと。席に戻ると、彼女がスマホを見ていた。「暇つぶししてたのかな」くらいに思っていたら、こうつぶやいた。

「さっきよさくさんが言ってた本、おもしろそうだったので調べてて」

彼女のスマホ画面にはぼくが読んだ作品のあらすじが映っていた。なんてことない1ページだけれど、この瞬間に「この人は大切にしなきゃいけない!」という電流が体に走ったのを覚えている。

ぼくが口にした本や喫茶店も、次回会うときには「あの作品読みました」「あの喫茶店行ってみました」とさりげなく追体験してくれていた。

それほどまでに「趣味や好みが一致していた」ということなのかもしれない。でもそれよりも、「この人はぼくを知るためのパーツ集めに時間を使ってくれた」ということに感動した。

本来であればここらで問題の「回避型」が発動してもおかしくなかったのだけれど、なぜか発動しなかった。「この人には傷つけられない」という信頼感を無意識レベルで感じていたのかもしれない。

「理想の彼氏像と比べる」ということも起きなかった。恋愛の話を一切しなかったからかもしれない。「男女関係」ではなく「本の感想を真剣に話し合う関係」という謎のスタートを切ったことで、ぼくは「あるべき男性像」として振る舞う必要性を感じなかったのかな。ぼくは本の話をしているときは、「異性としてどう見られるか」という鎧を外している気がする。

彼女はとても律儀で、誠実で、学びへの探究心をやさしく抱えている女性だと思う。ぼくのことを純粋に「知ろう」と思ってくれた気持ちが、ぼくの恋愛コンプレックスを少しずつ溶かしてくれたように思える。

告白も成功するか全くわからなかったけど、「この人なら断るとしてもいったん気持ちに向き合ってくれる。好意を無碍にすることは絶対にない」という確信だけはあった。だから気持ちを届ける決心がついた。

こんなことを書きながら、何が起きるかまだまだわからないけれど。もっと距離が縮まってぼくの回避型が突然発動してしまうかもしれないし、相手の理想の彼氏像を勝手に想像して勝手に悲観してしまうかもしれない。根本は全く完治していないと思う。

でも今回はちゃんと向き合える気がする。この数年間こじらせにこじらせたおかげで、自分のことはよ〜くわかったから。自分の弱さとか、卑下しようとする気持ちとか、今なら言葉にできる。なくすことはまだできないけど、きっと抱えながら歩き出せる。

彼女もお付き合いするのがぼくと同じくらい久しぶりらしい。わからないけど、もし相手も同じような何かを抱えているとするのなら、自分が力になってあげたい。恋愛にまつわる不安とか劣等感なんかこれから先は感じないで生きてほしい。まずは自分の治療をしないといけないのだけど。

パンみみ日記にどれくらい書くかわからないけれど、ぼくの心のリハビリをあたたかく見守っていただけると嬉しいです。

こんだけ書いたのに公開するか迷った。やっぱり恋愛のこと書くのって、恥ずかしいね。しばらく経ったあとに「この文章、羞恥心の塊だな」と思う未来が見える。でもなんか、今さらだよね。

こんなに長い文章を読んでくれたことに感謝しています。あなたには、合宿で寝る前の話に付き合ってもらったような感覚がしています。

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