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エッセイ『日記を書いて、感情を可視化する』

 私は1年ほど前から、毎晩日記を書いている。日記を書き始めたきっかけは、自分の感情を正確に認識するためだった。私には、物事と感情を切り離して捉え感情を蔑ろにしてしまう癖がある。たとえば「道端で転んだ」という出来事があったとしても、「そういうことがあった」という事実しか感じないようにしてしまい、本当は「痛い」や「恥ずかしい」などと感じていたはずなのに感情が出来事と乖離してしまっているのだ。私はこの癖を直すために、日記を書くことで自分の感情に着目してみることにした。

 日記といってもそうしっかりしたものではないけれど、私は毎晩、「その日できたこと」と「そのとき感じたこと」を書き記し、さらに余裕があるときは感情を数字でスケーリングしている。友達とごはんを食べた日であれば、「〇〇ちゃんとハンバーグを食べた。美味しかった80、幸せだった100」といった具合だ。

 はじめは感情に名前をつけることにも一苦労で、私はこんなにも感情から目を逸らしてきたのかと愕然としてしまった。そしてネガティブな感情は言語化しやすい一方で、ポジティブな感情に焦点を当てることはとても難しいということに気づいた。私は根っからのネガティブ人間なのだ。

 日記を書くなかで「この感情にはどの言葉が似合うかな?」と考えているとさまざまな壁にぶち当たる。数字でその度合いを表現しようとするとこれまた難しい。「悲しい100」「嬉しい10」、はじめは暗い日記が続いた。そんな私の根暗日記も、1年のトレーニングを経てかなり根明なものとなってきている。最近は「筋トレをした。疲れた50、達成感!100」といったような内容が多く、感情のバランスがうまく取れているような気がする。

 感情を可視化するためのツールとして日記を続けてきて、私は自分の特性や感じやすい気持ち、さまざまな環境や行動に対する反応を知ることができた。これは認知行動療法的な取り組みで、臨床心理士さんから勧めていただいた日記の書き方だ。これからも自分を捉え直すために日記を書き続け、自分の心身に寄り添っていきたい。


こちらは大学のスクーリングの際に提出したエッセイです。私にとっての日記について書きました。「読者に対して新たな情報を提供する情報媒体としての言葉」についての講評をいただけたことが印象に残っています。いつもの文体よりも論理的な組み立て方を意識して書いてみた文章です。お読みいただきありがとうございました!

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