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エッセイ『勉強って、こんなに楽しかったっけ!?』


 高校1年生の10月、私ははじめて勉強を好きになった。マークシートを埋めていく手が止まらない。ペン先が紙の上を滑る音を聞きながら、今ならどんな難問でも解けてしまいそうな全能感に満たされる。思わず笑みがこぼれてしまいそうなほど、わくわくした。勉強って、こんなに楽しかったっけ!? 私の変化に誰よりも驚いたのは、私自身だった。

 小中高、課題やテスト勉強はそれなりにこなして、赤点を取ったことは一度もない。だけれど、勉強を楽しいと思えたことは一度もなかった。人から課されたものをただ片付けていくだけの作業に、なんの意味も見出せない。わざわざ学校に通って習う意味はあるのだろうか。要点さえ自習すればテストで赤点を取ることはきっとない。いい成績を取れば家族に褒めてもらえるけれど、平均以下の成績を取ったところで放任主義の母に怒られることはない。

 とはいえ、先生には怒られたくないな。私は褒められたがりなのだ。だから課題の提出期限は守るし、授業内の挙手発言もなるべくする。算数及び数学は苦手だったけれど、公式の丸暗記でテストは乗り切った。まとめノートをせっせと作る意味はわからないけれど、ノート提出があるから仕方ない。これで成績がもらえるなら儲け物だ、と自分に言い聞かせながら好きな色のマーカーを使って面倒くささを紛らわせる。

 小学校も中学校もそんな調子で、そこそこ優等生として卒業した。中学1年生のときに病気をして出席日数が足りなかった関係で、進学した高校は単位制。レポート提出をしてテストさえ受けていれば卒業できる学校だった。いよいよ、毎日朝から学校に通って睡魔と戦いながら授業を受ける意味がわからなくなる。卒業できるならいいじゃん! 私は夏休み明けから学校に行かなくなった。課題は全て家に郵送されてくるし、レポートは月に一度だけ学校に行ってまとめてやればいい。答えはすべて、教科書に載っている。20歳になった今でこそ、「朝起きて毎日決まった時間に通う」ことが重要だったのだとわかるけれど、当時の私はそれを非効率的なことだと思っていたし、学校に通う時間を使って趣味に打ち込むことのほうがよっぽど有意義だと思っていた。

 夏休みの課題、かったるいな。最後の一週間にまとめてやればいいか。得意の先延ばし癖を発揮して、夏休み最終週に自爆することは知っていた。それでも計画的な学習なんてできっこない呪いに生まれつきかかっているのだ。絶対そうに違いない。例の如くラスト3日間は地獄だった。何年繰り返すんだよ。自分に呆れこそするものの、反省はしない。そんな私が先延ばしの呪いから解き放たれるときがくるとは、毎年「もうそろそろ宿題やれば?」とスマホをいじりながら忠告してくる母も私自身も想像していなかった。

 夏休み明け、レポートをやるために午後から別室登校をした日、久しぶりに担任のS先生と会った。彼は私に、また毎日学校に来てほしいと思っている。教師が受け持ちの生徒に対してそう思うのは当たり前かもしれないけれど、私が学校に行かなくなってもなお、レポートやテストの成績を認めてくれているらしい。彼はレポートの束を机に置いて、真剣な表情をした。その空き教室には、私とS先生以外誰もいなかった。

「小川さん、英検を受けてみない?」
「え、英検ですか?」

 英語に対して苦手意識はないけれど、学校の勉強はずっと暗記のゴリ押し。中学生のころ長期間学校を欠席していたおかげで文法の基礎はすっぽ抜けているし、わからない範囲に手をつけることもなくここまできてしまった。三人称単数のsってなんですか? と思いながら数々のテストを潜り抜けてきてしまったことが今更恐ろしくなる。

「私、文法がさっぱりわからないんですよ」

 かと言ってこれからちゃんと勉強する気はありません! と宣言しているようなものだった。愚か者め。

「小川さんの成績なら、ちょっと勉強すれば準2級は取れるよ。2年生になってから、2級にもチャレンジしたらいい」

 この文法力では3級も怪しいか、と思っていたのだけれど。話を聞いてみると、暗記のゴリ押しは英検に有効らしい。実用英語技能検定かぁ。この高校にはまだ英検の級を持っている同級生はいないし、持ってた方がかっこいい? そんな幼稚な興味がむくむく湧いてきた。中学のころ勉強しなかった範囲もこれを機に学び直しができるなら、一石二鳥か。さすがに三人称単数のsを理解しないまま社会に出るわけにはいかないし、というプライドが私の興味を後押しした。

「私にできますかね」
「小川さんは、目的さえあれば頑張れるタイプだよ」

 S先生の言葉に、私はハッとした。ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。私に必要だったのは、目的意識をもつことだったのか。そもそも、勉強を好きになる必要なんてない。卒業するために必要なことはやっているのだから十分。だけれどそれを楽しんでみたい気持ちがちょっとでもあるのなら? 気づいてしまえばもう、迷うことはなかった。私は英検対策の単語帳と過去問を購入し、勉強を始めた。人生で初めて、自ら勉強しようと思えたのはそのときだった。

 きっかけこそS先生の提案だったけれど、勉強することを選んだのは私だ。私は今、勉強がしたくて勉強をしている! 人に課されたわけではない、自ら始めた勉強に、私はのめりこんでいった。せっかくやるならいい点数を取りたい。得意な単語問題は満点を目指したい。文法やリスニングが苦手に感じてしまうのは、触れてきた時間が短いから。毎日ひとつずつ学んでゆけば、必ずできるようになる。

 放課後にS先生が開講している英検対策講座をきっかけに、私は週に何度か教室に顔を出すようになった。そこにはS先生に声をかけられて集まった英検合格を目指す同級生が集まっている。ライバルがいるなんて聞いてないぞ! 燃えてきた。私は英検対策により一層精を出し、日々机に向かうようになった。

 こうなったら、テスト勉強ももっと頑張ってみるか。そう思ったときにはもう、勉強に意味を見出せなかったあのころの私とは脳みそごとまるっきり変わっていた。次の期末テストで、必ず学年1位になってやるぜ! S先生も母もびっくりの豹変っぷりだった。学校に毎日通うようになった私は授業を懸命に聞き、授業終わりは先生に質問をしに行き、放課後は英検の勉強をする日々を生き生きと謳歌した。いよいよ英検受験当日を迎えるころには過去問も安定して解けるようになり準備は万端。単語帳に載っている単語もすべて暗記した自信がある。いざゆかん、血湧き肉躍る受験会場へ!!

 私は、初めての英検に無事合格した。合否の発表をみた瞬間は人生でいちばん興奮したといっても過言ではない。着実に積み重ねてきた学習は裏切らなかった。目的をもって正しい方向性の努力を模索すること、そしてそれを実行し継続することは人をこんなにも成長させてくれるのか、と胸が熱くなった。期末テストでも、現代文、古文、英語、世界史で学年1位を取ることができた。数学と化学は1位ならず。悔しい。悔しいと思える自分が嬉しい。そして私は、勉強が自分にとって何よりも楽しい遊びになっていることに気がついた。楽しいから、やる。頑張っているという自覚はあまりなくて、ただひたすらに楽しいから、私は勉強をしているのだ。

 私は、勉強が好きになった。さよなら、あのころの自分。学内で真っ先に英検準2級合格者の肩書を手に入れた私はもはやハングリー精神の化身。合否を見た翌日から2級の勉強を始めた。私はもう止まらない。同級生から「ガリ勉」と呼ばれることが嬉しいなんて。私は心の底からS先生に感謝しながら、日々勉強を続けた。三人称単数のsなんて、もう怖くない!

 2023年の春、20歳の私は京都芸術大学の通信教育部に入学した。もっと学びたい、たくさんのことを知りたい! というエネルギーは高校生のころのまま。目的をもって学ぶことの面白さを教えてくれたS先生、そして英検のおかげで、私は今もこうして机に向かう日々を生き生きと謳歌している。



大学の課題で「自分が変わるきっかけになった出来事」をテーマに書いたエッセイでした。先生からの講評をもとに、内容を一部改稿しています。素直に書きすぎただろうか、と反省していたのですが予想以上の評価をいただけてとても嬉しかったです。私としてはかなり自己開示をしている、勇気のエッセイとなりました。

英検に関しては無事2級にも合格し(県内上位1%だったことを自慢させてください! 超・過去の栄光!)、準1級の単語帳と過去問も攻略することができたのですが受験のタイミングを逃してしまったので、またなんらかの形で学習できたらいいなと思っています。TOEIC受けたい! 高校生のころに暗記した内容はほとんど忘れてしまったので、また準2級レベルから頑張ります。

大学での学習においては楽しい! よりも難しい! という感情が勝ってしまうこともありますが、あのころのことを思い出して自分を奮い立たせながらこれからも勉学に励んでゆきたいです。

お読みいただきありがとうございました!


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