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善意が不快に感じること、環境が変われば行為の受け取られ方が変わることってあるよね
先週の土曜日にした会話の内容について、今ごろになってじわじわと「あの会話よかったな」という実感をおびてきたので勢いでnoteをひらき、これを綴っている。
わたしには20年来の友人がいて、その子とは数年に一度会って、ファミレスで近況や最近思っていることなどをだーーーっと会話して別れる。をルーティンにしているのだが、先週はその数年に一回の土曜日だった。
ファミレスの席に座ってすかさずスマホを取り出した友人(以下Sとする)が「今日は話す話題をメモしてきた」と言うので「えっなんで???(わたしはそんなことしてきてないよ)」とたずねると、どうやら前回のわたしがそうしていたらしい。覚えていないが。
でもとりあえず、前回のわたしの行動をふまえSは自分もそうしなければならないと義務感に追われたとのことだった。
わたしは全くそのことを覚えていないので、おそらくこれ話したいな〜をかるく繋ぎ止めておくためにそうしたのだろうが、それによりSが自分もそうしなければならないというプレッシャーを感じてしまったらしく、非常に申し訳なかった。
自分の何とはなしの行動が相手への無言のプレッシャーになる。そういうことを自戒でき、いい滑り出しだった。
上記記事と同一の彼女なのだが、今回のわれわれのメイン話題はもっぱら”Sが最近変わったこと”だった。
「いままでのわたしは、自分がみんなより少し頭がいいということが分かってて、わたしが周りのできない子たちに教えてあげないと!って思ってたんだよね。
yoruも昔、Sちゃんは頭がよくて何でも知っててすごいって言ってくれたじゃん?実際他の子にも頼られてたし。だから、周りからそんなふうに思われていることについて、わたし自身もその像を壊さないように、その自分でいられるようにしないとっていうふうに考えるようになって、そうじゃない自分を認められなかった。
だからいままで、yoruが言ったことやその時点でよく理解できなかったことがあっても、それを聞き返したり、質問するってことができなかったの。教える立場の自分が、教えられる方の人間が知っていることをわからないってことが許せなかったから。
でも今は、それを少しずつできるようになってきてるの。変わってきているんだと思う」
そういう話だった。
たしかに、それは今回会って話してるなかでも少し感じていることではあった。
彼女がいうように、Sがわたしと会話をしていて「それって何?」というような、知らないことを聞くていでの質問をすることは今まであまりなかった。しかし今回は会話の中でちょくちょく「〇〇って?」という確認が入っていたからだ。
珍しいな〜とは思っていたが、まさかそんな変化の賜物だとは。
「まえに、高校の友だちに”Sは友達でも誰でも、無意識に人を見下してるところがあるよね、でもそれはこの先ずっと直らないと思う”って言われてかなりショックだったっていったじゃん?
それって、確かに人を下に見ているのは事実なんだけど、たぶんこれは小さい頃からの、みんなより頭のいい自分は出来ない人に対してそのやり方を教えなきゃいけないっていう勝手な使命感からくるものだったのかもしれない」
なるほど。
“人を見下す”って、あたかもバカにした意味合いが強いように感じるけど、幼い頃に染みついた「自分の能力を誰かのために分け与えよう」という善意が巡り巡って人を見下しているように感じられた、ということもあるのかもしれない。
小中の義務教育期間はいろんな学力レベルの人間が集まるので、おのずと人より頭のいいSは教える側であり、そのことに対して本人も自負があった。
が、高校からは自分と似たような学力の人間が集まることによって、みんなよりできていたはずのSが「至って普通、それか中間より下になる」という体験することになる。
その状況下で、いままでと同じように「わたしが教えなきゃ」を発動させ、でもその相手も自分と同じような学力、かつ自分と同じように誰かに教えてあげる側だったことにより、いままではなかったリアクション、ハァ??こいつ何言ってんの?に出くわしたのだ。
「たぶん人を見下してしまう、無意識なその考え方の癖は一生直らないのかもしれない。でも、わからないことをその場で質問して聞けるようになったってだけでも、ただ見下すだけ、質問もできずにわかったふりをしてるだけより前進だと思わない?」
この前進は、Sにとっては「人よりできる自分」「人に何かを教えてあげられる自分」からの脱却であり、輝かしい自分とのお別れ…みたいな部分もあるのだが、わたしはこのとき話しているSがめちゃくちゃに眩しく見えた。
小学生のころの「何でも知ってていろんなことを教えてくれるSちゃん」も十分かっこよかったが、「自分にかけた呪いを向き合い解放してあげられるS」もかっこいいなぁと感じたからだ。
いつだったか、前に会ったときに、「yoruと会うときはすごく緊張する。自分の考えを話したときに”なんで?”って聞かれて、なんでにあたるものがない空っぽな自分をみられたくないから」というようなことを言われたことがある。
なまじわたしが概念と思考が好きなのを知っている分わたしにとってつまらなくない自分、をまっとうするために頑張ってくれていたのだと思う。
なんで?と言われて、理由なんてない、なんとなくだって答えたりすることもできるが、彼女にはそれができなかったのだろう。
「yoruが、わたしが何か分からなくても悪く言ったり、つまらないって思うことはないのはわかってるけど、わたしの中でyoruに対してつまらない回答をする人間になりたくなかったの。」
小学生から大人になる今の今まで続いている関係だ。20年もあれば人は変わる。でも、自分の中で変わりたくない自分、そのままでありたい自分があるのも事実だ。
そんななかで、頭のいい自分・人に教えられる自分につながる「人を見下している自分」は彼女の中で変えたくない自分だった。
でも、それを変えたいと思う何らかのきっかけがあり、今それを実践しているというリアルタイムに立ち会えたことが嬉しかった
数ヶ月や数年おきに会う友だち、学生時代とは違って何か起きたことの事後報告が多くなる中で、「自分が今こういうことに取り組んでいます」の途中経過を話してもらえたことがめちゃくちゃ幸せだなと
わたしもSやその他の友達に対して途中経過をたくさん話せるよう日々を楽しいことで充実させたいなと感じる今日だった
多分これから先、自分たちがどんどん老いていってどんどん視野が狭くなり、考え方も固くなっていく。でもSとの会話を通して、定期的にその狭さ固さをほぐせるような、そういう関係でありたいなと感じずにはいられん。
とりあえず「見下す」の成分分解ができたので楽しい回であった
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